【現地は今】響く爆音と警報 キエフに生きる

ウクライナの首都キエフ。
街を取り囲むように部隊を進めるロシア軍と「戦時下の生活」に、200万とも言われるウクライナ市民はどのように向き合おうとしているのでしょうか。
現地の証言からつづります。

首都キエフにロシア軍はどこまで迫っている?

「緑の都」「ロシア諸都市の母」とも呼ばれるキエフ。

ロシアから黒海に流れ込む大河ドニエプル川の中流にある要衝で、今のロシアやウクライナ、ベラルーシのルーツとなる東スラブの人々の国家「キエフ・ルーシ」の中心として栄えた古都です。

1991年にウクライナが独立、キエフは首都に定められました。
京都市と姉妹都市提携を結び、黄金に輝く屋根と十字架が印象的な「聖ソフィア大聖堂」など歴史的な建物と、あふれる緑。

ロシアの軍事侵攻前は、300万人が穏やかに暮らしていました。

その古都を、ロシア軍が包囲しようとしています。

アメリカ国防総省の15日の分析では、中心部に最も近い部隊は北西方向におよそ15キロから20キロの位置にいるほか、北東方向から進む部隊も中心部からおよそ20キロから30キロの位置にとどまっているということです。
部隊に大きな前進はみられないものの、キエフは長距離からの砲撃にさらされ、住宅地などが頻繁に攻撃されていると指摘しています。

ロシアの侵攻で、キエフの人々の生活は大きく変わりました。キエフを離れる人が相次いでいますが、キエフのクリチコ市長によりますと、11日の時点で、依然およそ200万人がとどまって生活を続けています。

キエフ市民の暮らしは?

街に響き渡るのは、砲撃のごう音と、避難を呼びかける警報の音です。

日本語教師のアリョーナ・ブィチコフスカさん(33)が寝泊まりしているのは、地下鉄の構内。夫と夫の姉、それに飼っている猫とともに、毛布にくるまって朝を待ちます。
13日にNHKの取材に応じたブィチコフスカさんは「ロケットの音も聞こえないのでよく眠れます」と話します。日中は、数時間ほど自宅に戻って家事をしたり、シャワーを浴びたりしていますが、この日は近くから大きな爆発音が聞こえて怖くなり、いつもより早く戻ってきたということです。
周りには、同じように地下鉄の構内で避難生活を送る人たちの姿が確認できます。

ブィチコフスカさんは、国内にいる母親や友人と毎日連絡を取り合っています。
(ブィチコフスカさん)
「『元気?』とか『どう?』と送って、『私は生きている』ということばがあるだけでいいのです」
キエフ中心部に住むアンドリー・アーシンさんの自宅は、マンションの9階にあります。ただ、空襲警報のサイレンが聞こえると、すぐに妻と息子たちと一緒に地下のシェルターに避難します。

マンションのほかの住民も同じです。

シェルターにはテーブルといす、最低限の食料や水などが備えられています。警報が夜中に鳴ったときには、机に突っ伏して睡眠をとることもあるそうです。

今月10日の1日に鳴った空襲警報は、合わせて11回。そのたびに、9階から地下に降りて避難を繰り返しているということです。

これまで電気やガス、水道などのライフラインに攻撃の影響はなく、食料や薬なども住民どうしがSNSなどで連絡を取り合って確保しているということです。

緊張を強いられる戦時下の生活、どのように気持ちを保っているのか。
(アーシンさん)
「家族とは、お互いをどれだけ愛しているか、できるかぎり伝え合うようにしています」

もしも病気になったら?けがをしたら?

キエフにある子ども病院で、目のがんの治療を専門とするレシア・リシツァ医師は夫と2人の娘とともに病院に避難しながら、がんの子どもたちの治療にあたっています。

8日リシツァ医師は「毎日、爆撃音がひっきりなしに聞こえ、不安になってパニック発作を起こす子どももいます」と厳しい現状を語りました。

病院にはこの時点で、薬などの医療資源は2か月から3か月分の備蓄があるものの、補充の見通しがないため、患者の治療計画は変更を余儀なくされているということです。

多くが避難する中、残らざるを得なかったのは、症状が重い子どもたちです。
(リシツァ医師)
「治療を中断できないため避難できない子どももいます。子どもたちの体の負担は大きく、状況が長引けば、病気の悪化が心配です」

キエフの人たちを待つのは?

「私たちは平和のため、そして皆さんにウクライナを支援する方法を探してもらうために演奏しています」

ー日本を含む29か国、94人のバイオリニストがウクライナの民謡を奏でる動画をユーチューブに投稿しました。

地元の交響楽団も、キエフ中心部の広場でコンサートを開き、ウクライナ国歌などを演奏しました。
ウクライナ国民の連帯、キエフ市民の連帯を深め、国際社会に支援を呼びかける動きは広がっています。

しかしロシア軍の進撃をすぐさま止められるわけではありません。

(ブィチコフスカさん)
「ウクライナ軍が私たちを守ってくれると信じています。もちろん怖いですが、頑張ります。ここは私の街なので、最後までキエフに残ると思います。私たちのことを祈ってください」

(アーシンさん)
「私はこの町で生まれ、この町を愛しています。私たちはとても前向きです。たとえ食料や水がなくなって死んでも構いません。何日でも、何年でも、最後まで私は戦い続けます」

ロシア軍の市街地への侵攻に備えているのは、兵士だけではありません。市民もバリケードを築くなどして準備を進めています。

中には、いったん西側に避難したあと戻ってきて防衛にあたる人もいるということで、兵力で圧倒するロシア軍に対し、一歩も引かない構えです。

(ボランティアの大学生)
「私が戦うのは、ここが私の国であり、家族や大切なものがすべてあるからだ」

(キエフのクリチコ市長)
「ロシア軍の標的は首都キエフだ。われわれはキエフを守り抜く覚悟ができている」