ウクライナから日本に避難した女性 入国までの状況明かす

ウクライナから娘が暮らす日本に避難してきた50代のウクライナ人の女性がNHKの単独インタビューに応じ「住んでいる街がミサイルの攻撃を受け、みんなパニックになった。子どもたちを避難させようと大勢の人たちがポーランドとの国境に向かっていた」などと、日本に入国するまでの状況を明らかにしました。

インタビューに応じたのは、ウクライナ東部から日本に避難してきたリボフ・ヴィルリッチさん(59)です。

ヴィルリッチさんは、ロシアによる軍事侵攻が始まった翌日の先月25日に、娘のユリアさんが暮らす日本への避難を決断し、ポーランドなどを経由して10日、孫のブラッド・ブラウンさん(12)などとともに羽田空港から日本に入国しました。

ヴィルリッチさんは、侵攻が始まったときの状況について「先月24日の朝、爆弾の音がしました。その後、ニュースで住んでいた街がミサイルの攻撃を受けたことを知り、みんなパニックになりました。私には持病があり、街の中から食料品や薬が無くなったので、すぐに避難することを考えました」と振り返りました。

ヴィルリッチさんは、自宅からポーランドとの国境に近いリビウまで数百キロの道のりを、娘の夫が運転する車で孫とともに移動し、道中では、燃やされた車やガソリンスタンド、それにミサイルで攻撃された跡を数多く目撃したということです。

当時は、子どもたちを避難させようと大勢の人たちがポーランドとの国境に向かっていたということです。

ヴィルリッチさんは「いちばん悲しかったのは、お母さんと小さな子どもたちが避難する姿をたくさん見たことです。ただ、避難の途中では皆さんにとても優しく接してもらい、ありがたいと思いました。日本に対しても受け入れてくれたことに感謝しています」と述べました。

そのうえで「頑張っているウクライナの兵士たちには感謝の気持ちを伝えたいです。ロシアが軍事侵攻をやめれば平和でいられます。私たちウクライナ国民は、自分で自分を守ることしかできない。できるだけ早く終わってほしいです」と話していました。