第五福竜丸被ばくから68年 元乗組員の墓前で核兵器廃絶を祈る

静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が、アメリカの水爆実験で被ばくしてから68年となる1日、支援者らが亡くなった元乗組員の墓前で核兵器の廃絶を祈りました。
参加者からは、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの軍事侵攻に当たり核保有国であることを誇示する姿勢を強調していることについて、「絶対に許されない」という抗議の声が相次ぎました。

昭和29年3月1日、南太平洋で操業中だった「第五福竜丸」は、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で放射性物質を含んだ「死の灰」を浴び、乗組員23人が被ばくしました。

それから68年となる1日、元乗組員の親族や支援者らおよそ50人が焼津市に集まり、被ばくから半年後に「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」ということばを残して亡くなった元乗組員の久保山愛吉さんの墓がある寺で平和を祈る集会が開かれました。

集会では久保山さんの祭壇の前で参加者が焼香をして静かに手を合わせ、核兵器の廃絶を祈りました。

そして第五福竜丸平和協会の山本義彦理事があいさつし、「ロシアが核兵器を脅しに使うという、核兵器禁止条約違反の蛮行が行われている。核兵器の廃絶を心から願い久保山さんの思いを実現するまで前進していく」と述べました。

支援者によりますと、23人の元乗組員のうち生存者は2人となり、被ばくの事実をどう後世に伝えるかが課題となっています。

去年3月に87歳で亡くなった元乗組員の大石又七さんの義理の妹の河村惠子さんは、ロシアの姿勢について、「兄が生きていたら驚くと思う。核兵器をちらつかせて脅しをかけるのは絶対に許されない。小さい力ですが、みんなで声を出していかなければいけないし、親族の1人として体験を語り継いでいきたい」と話していました。

ウクライナへの侵攻に大学生からも懸念の声

アメリカの水爆実験で日本の漁船「第五福竜丸」が被ばくしてから1日で68年です。

ロシアによるウクライナへの侵攻が続くなか、東京の展示館を訪れた大学生たちからは、核保有を誇示するプーチン大統領の姿勢に懸念の声が聞かれました。

いまから68年前の昭和29年の3月1日、マグロ漁船「第五福竜丸」は、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁周辺で操業していたところ、アメリカの水爆実験に巻き込まれ乗組員23人が被ばくしました。

船体が保存されている東京 江東区の展示館に1日、神奈川県の大学生5人が訪れ、核による被害の歴史やこのビキニ事件のあと核兵器廃絶を求める運動が全国で広がったことなどについて学びました。

ロシアによるウクライナへの侵攻が続き、プーチン大統領が核戦力を念頭に抑止力を特別警戒態勢に引き上げるよう命じるなど、核の保有を誇示する姿勢を示しています。

大学2年生の女子学生は「ウクライナで起きていることは怖い。核で抑止することは本当の平和ではなく、核をなくした平和の実現が大事だ」と話していました。

2年生の男子学生は「核は使用されるものではなく、使われないように世界全体で努力することが必要だ」と話していました。

第五福竜丸展示館の安田和也主任学芸員は「ウクライナの紛争で核兵器による脅しが行われているが、使用した場合に人や自然、地球がどれほどの被害を受けるのか改めて考えてほしい」と話していました。