全住民の避難続く福島 双葉町 帰還に向けた「準備宿泊」始まる

東京電力福島第一原子力発電所の周辺自治体で唯一すべての住民の避難が続く福島県双葉町で、20日、帰還に向けた準備のために自宅などに寝泊まりする「準備宿泊」が始まりました。

福島第一原発が立地する双葉町は、11年前の事故に伴って今も大部分で避難指示が続き、原発周辺の自治体で唯一すべての住民の避難が続いています。

町はことし6月から住民の帰還を始めることを目指していて、これを前に20日から、生活再建に向けた準備のため、自宅などに寝泊まりする「準備宿泊」が始まりました。

JR双葉駅に隣接する町役場の連絡所では、午前9時から午後4時まで準備宿泊の受け付けが行われ、避難先から訪れた住民が手続きしていました。

双葉町で住民が寝泊まりできるようになったのは、原発事故で避難して以来初めてで、住民たちは寝泊まりするために必要な家財の搬入作業などを行っていました。

また、町内では20日朝から、準備宿泊の開始にあわせて、防犯パトロールや住民が寝泊まりする建物の水道の復旧作業などが行われました。

準備宿泊の対象は▽おととし避難指示が解除された町の北東部と▽帰還困難区域のうち、避難指示解除に向け除染やインフラ整備が進められているJR双葉駅周辺の地域で、町の面積の15%にあたります。

この地域には、先月末現在で、町の全人口のおよそ65%に相当する1455世帯3613人が住民登録しています。

しかし、除染などのために900棟余りの建物が解体され、帰還を諦めた人も多く、19日までに準備宿泊を申請したのは11世帯15人にとどまっています。

準備宿泊の対象は、おととし避難指示が解除された町の北東部と、帰還困難区域のうち避難指示解除に向け除染やインフラ整備が進められているJR双葉駅周辺の地域で、町の面積の15%にあたります。

この地域には先月末現在で、町の全人口のおよそ65%に相当する1455世帯3613人が住民登録しています。

しかし、除染などのために900棟余りの建物が解体され帰還を諦めた人も多く、19日までに準備宿泊を申請したのは11世帯15人にとどまっています。

双葉町長「復興の第一歩 住民をサポート」

準備宿泊が始まったことを受けて双葉町の伊澤史朗町長は「双葉町の復興の第一歩だ。町民の皆様も本当に首を長くしてこの日を待っていたと思う」と述べました。

また「11年という月日の長さで、戻りたいと思いながら亡くなった人が大勢いる。戻ってくる方々は町への思いが強いので、その人たちが不安にならないよう、6月に予定している避難指示の一部解除を目指して町内のインフラ整備を行い、住民をサポートしていきたい」と話しました。

準備宿泊に合わせて水道や電気も開通

準備宿泊の開始に合わせて、双葉町の町内では20日朝から、参加する住民の家の水道や電気を使えるようにする作業が行われています。

このうち大沼勇治さんの自宅には、午前10時半ごろ、双葉町など浜通りの5つの町でつくる水道企業団の職員が訪れ、大沼さんが見守る中、水道の元栓を開けました。

作業が終わると、大沼さんは家の外の水道の蛇口をひねり、水が出ることを確認していました。

大沼さんの自宅では、20日、電気も使えるようになり、妻と子どもとともに今月29日に準備宿泊するのを前に、生活環境が整いました。

大沼さんは「10年10か月ぶりに電気や水道が通って感動しました。家族で準備宿泊して、ここで『なみえ焼きそば』を作って、地元の味を最初の夕飯にしたいです」と話していました。

住民と連携のパトロール 出動式

準備宿泊初日の20日、JR双葉駅前では住民と連携したパトロールを強化しようと、警察や消防の関係者が集まって出動式が行われました。

JR双葉駅の東口広場で行われた出動式には警察官や消防署員、それに町から委託を受けた警備会社の担当者などおよそ30人が出席しました。

双葉町の伊澤史朗町長が「双葉町を守っているという意識をもって活動にあたっていただきたい」とあいさつしました。

双葉警察署浪江分庁舎の石井弘敬所長は「準備宿泊する方々が安全と安心を感じながら、生活再建につなげられるよう、住民のための実効あるパトロールを継続していきたい」と述べました。

避難先で防犯活動を続けてきた地元住民らのグループ「浪江地区防犯指導隊双葉分隊」の波田野秀行隊長が、町内での活動開始を宣言しました。

そして、警察官や消防隊員らが車に乗り込み、早速パトロールに出動していきました。

生活インフラ 十分に整わず

双葉町の準備宿泊は20日から始まりますが、生活インフラが十分に整っているわけではありません。

準備宿泊を希望している住民の自宅にも水道がまだ通っていないところがあるほか、食料品や日用品を買うことができる場所は十分にありません。

また震災前、町内に5つあった医療機関は現在、再開する見通しが立っておらず、町はJR双葉駅の近くに新たな診療所を作る計画ですが、しばらくは町外の医療機関を利用する必要があります。

帰還促進策で20件企業立地へ

双葉町は住民の帰還を進めるため、北東部の中野地区に雇用の受け皿となる産業団地の整備を進めています。

これまでに建設業や製造業など町外から新たに進出する13件を含めて20件の企業の立地が決まっています。

町は働く場を確保することで、避難した住民が帰還しやすい環境を整えたうえで、産業団地で働く新たな住民を迎えて、町の人口を増やしていきたい考えです。

一方で、福島第一原発周辺の相双地域の有効求人倍率は去年11月時点で1.85倍と県全体の平均の1.38倍を大きく上回っていて深刻な人手不足が続いています。

復興事業などで求人は多いものの避難指示が解除されたあとも地元に戻らない人が多いためで、産業団地の企業と働きたい人のマッチングをいかに進めるかが課題になります。

6月には駅周辺で避難指示解除予定も 残る地域は時期決まらず

福島県双葉町は原発事故で全域に避難指示が出されたことに伴い、2011年4月、役場の機能を埼玉県加須市に移し、その後、2013年6月には、多くの避難者が暮らす福島県いわき市に移転しました。

周辺の自治体の住民帰還が始まる中、おととし3月、町の北東部など面積にして5%にあたる地域の避難指示が解除されましたが、インフラの整備など、住民が戻って暮らす環境は整っていませんでした。

ことし6月には、帰還困難区域のうち、先行して除染やインフラ整備を進めているJR双葉駅周辺で避難指示を解除する予定で、北東部の地域とあわせて住民の帰還を始めることを目指しています。

一方、残る地域では避難指示解除の時期は決まっていませんが、国は去年8月「2020年代に希望する人が帰還できるように住民の意向を確認したうえで、必要な箇所を除染し、解除の取り組みを進める」という方針を決めています。

避難指示解除 遅いほど帰還厳しく

福島県では原発事故のあと11の市町村の全域または一部に避難指示が出され、2014年4月以降、段階的に解除され、双葉町を除く10の市町村で住民の帰還が進められてきました。

ただ、帰還の状況は、解除された時期によって大きな差があります。

1月1日時点で、避難指示が解除された地域に住民登録している人のうち、実際に住んでいる人の割合は
▼2015年9月に解除された楢葉町が62%、
▼2016年7月に避難指示が解除された南相馬市は58%と、
比較的早く解除された地域で高くなっています。

一方で、
▼2017年3月に解除の浪江町は11%、
▼2017年4月に解除の富岡町は21%と、
解除が遅かった自治体では、低い状況にとどまっています。

去年、復興庁が双葉町の住民を対象に帰還への意向を聞いた調査でも、
▼「戻りたいと考えている」が11.3%だった一方、
▼「戻らないと決めている」が60.5%、
▼「まだ判断がつかない」は24.8%となっていて、
原発事故から11年近くがたち、避難先での生活が定着する中、住民の帰還を進めることはますます厳しくなっています。

準備宿泊する男性「やっとこの日が来た」

福島県双葉町のJR常磐線双葉駅から北西600メートルほどの所に自宅がある谷津田陽一さんは、かつては帰還をあきらめていましたが、自宅周辺の避難指示をことし解除するという方針が5年前に示されたことを受けて、毎日のように避難先の南相馬市から通って、自宅の維持管理に努めてきました。

谷津田さんの自宅は、周囲の住宅と同じようにイノシシが入りこみ荒らされていましたが、ゴミの撤去や掃除などを続け、きれいな状態に戻しました。

当面、避難先と双葉町を行き来する生活を続け、4月以降に双葉町で本格的な生活を始めるつもりだということです。

20日は、午前9時半ごろから、避難先で使っていた冷蔵庫や電子レンジなどの家電製品を運び込んで、寝泊まりするための環境を整えていました。

午前10時ごろには、水道企業団の職員が訪ねてきて、谷津田さん立ち合いのもと水道の元栓を開けました。

蛇口をひねり、水が出ることを確認した谷津田さんは「これでようやく自宅のトイレが使えます。生活になくてはならない生命線の1つなのでよかったです」と話していました。

このあと谷津田さんは、JR双葉駅に隣接する町役場の連絡所を訪れ、準備宿泊の受け付けを済ませ、滞在中に被ばくした放射線量を記録するための線量計を受け取りました。

谷津田さんは「やっと、この日が来ました。双葉町に宿泊できるということは、町に血液がやっと流れたような感じがします。少しでも前の生活に近づけるよう準備し、若者たちも戻ることができる町になるように復興を進めてほしい」と話していました。

帰還諦めた夫婦「申し訳ないけど帰れない」

双葉町から避難している人の中には、この11年近くの間に避難先での生活が定着し、町への帰還を諦めた人も少なくありません。

福島県いわき市で避難生活を続けている一條光子さん(75)と武八さん(78)の夫婦は、原発事故の前、双葉町で40年以上にわたってクリーニング店を営んできました。

当時は親しい客も多くいて、寝る間もなく働いたといいます。

原発事故のあと、当初は戻れるのではないかという気持ちがありました。

しかし原発事故の2年後、娘の転勤に合わせていわき市に自宅を購入してから、気持ちがしだいに変わったといいます。

今は自治会の役員を任されるなど、この11年近くで避難先での生活が定着したといいます。

一條さん夫婦は、双葉町で準備宿泊が始まったことを喜びながらも、ふるさとに戻って暮らしを再建するのは難しいと感じています。

光子さんは「これから帰れる人がいることはすごくいいことだと思う。ただ、今から双葉町の家をきれいにしたり設備を整えたりすることを考えると、何百万円もかかる。双葉町で楽しく暮らせるかというと、それは無理だと思う。だから双葉には申し訳ないけど帰れない」と話しています。