「ドカベン」「野球狂の詩」 水島新司さんの主な作品と悼む声

野球を題材にした漫画で世代を超えて人気を集めた漫画家の水島新司さん。肺炎のため82歳で亡くなりました。漫画家や野球界からの悼む声を、水島さんの主な作品とともに紹介します。

世代を超えて多くの読者に

水島新司さんは18歳で漫画家としてデビューして以降、数多くの野球漫画を生み出しました。

1970年から連載を始めた「男どアホウ甲子園」は、剛速球が武器でストレートしか投げない主人公が高校から大学、そしてプロ野球で活躍する姿を描き、人気を集めました。
1972年に連載が始まった「ドカベン」は、主人公の山田太郎をはじめ、「小さな巨人」と呼ばれたエースの里中智や、口にくわえた「葉っぱ」がトレードマークで悪球打ちが特徴の岩鬼正美、数多くの秘打を繰り出す殿馬一人など、個性的な登場人物が人気を集め、2018年にシリーズの連載が終了するまでシリーズの累計で単行本が205巻まで刊行されるなど、世代を超えて多くの読者に読み継がれてきました。

1972年から連載が始まった「野球狂の詩」は、プロ野球を舞台に50歳を超えた投手や女性の選手など個性豊かな登場人物たちの活躍を描いた作品で、テレビアニメや映画にもなりました。
また、1973年から2014年まで976回にわたり漫画雑誌に連載された「あぶさん」は、酒豪の強打者、景浦安武が入団から62歳で現役を引退するまでの活躍を中心に描いた作品で、スポーツ漫画の名作として高く評価されました。

ちばてつやさん「野球の可能性と面白さ 探り続けた」

漫画家の水島新司さんが亡くなったことについて、交流のあった漫画家の ちばてつやさんが、ホームページでイラストと共にコメントを発表しました。

ちばさんは「昔から同じスポーツを題材にしたマンガを描いてきた同士で同じ世代、実生活でも草野球仲間でライバルの水島新司さんが亡くなってしまった」と悔やみました。

また、同じく野球を題材にした漫画を描いてきたことについて「彼は私とはかなり違ったスタンスで、ほとんど野球マンガひと筋に描き続けてきたんだ。元々野球マンガはピッチャーとキャッチャーにライバル、というヒーローものが定番だったが、彼の手にかかるとチームの9人一人ひとりの個性、それどころか監督や控え選手などを含むベンチワークまで綿密に描ききり、プロ野球選手を唸らせるほど専門的な目線で野球の『可能性』と『面白さ』を探り続けてきたと思う」と、その功績をたたえました。

そのうえで、「水島さん、そんなあなたのすぐれた野球マンガの出現で、私は野球を描けなくなりましたよ。以前から約束していて、近々楽しみにしていたキャッチボールの相手が居なくなってショックだし本当に寂しいけど、そういう私も現在は闘病中。まずは長い間本当にお疲れ様でした。先に行って今は安らかにお休み下さい。合掌」と結んでいました。

コメントには、ちばさんが草野球仲間でもあった水島さんに過去に贈ったイラストも添えられていて、黒い野球帽をかぶった水島さんと、白い野球帽のちばさんが笑顔で肩を組んでいる様子が描かれています。

里中満智子さん「漫画の裾野を広げてくれてありがとう」

水島新司さんと長年親交があった漫画家の里中満智子さんは水島さんが亡くなったことについて「本当にありがとう、お疲れさま。漫画の裾野を広げてくれてありがとうと言いたいです」と話していました。

里中さんは、水島さんの作品「野球狂の詩」で、女性や子どもの作画を担当して合作するなど長年の親交がありました。
里中さんは、水島さんの人柄について「たくさん漫画を描いてこられた方で、非常にエネルギッシュな方でした。わいわいと賑やかで、いつも明るい方でした」と話したうえで、「水島先生は野球漫画にリアリティーを取り入れた人でした。すごいヒーローがいて、超人的な活躍をするパターンが多かった中で、子どもたちに、野球は主人公だけでなく、チームメートすべてに重要な役割があって試合が成立することを読者がわかりやすい形で教えてくれたと思います」と話しました。

そして「本当にありがとう、お疲れさま。漫画の裾野を広げてくれてありがとうと言いたいです」と、死を悼んでいました。

里中さんは「ドカベン」に登場する「小さな巨人」と呼ばれたエースの里中智投手の名前の由来になったことでも知られていて、里中さんは、その経緯について「水島先生から『もっと女の子の読者を増やしたいので、女の子のようなキャラクターを出そうと思っている。少女漫画の作者として漫画ファンになじみのある里中満智子という名前を使いたい』と頼まれました。その後、人気が出てうれしかったです」と振り返っていました。

『ドカベン』モデルの高校「人と違っていい 教えてくれた」

新潟市出身の漫画家、水島新司さんが亡くなったことについて、水島さんの人気野球漫画「ドカベン」のモデルとなった新潟明訓高校では、その人柄をしのぶ声が聞かれました。

水島さんと親交があった新潟明訓高校野球部の波間一孝部長(56)によりますと、水島さんは平成2年ごろからたびたび高校を訪れて野球部の練習を見学し、生徒たちを激励してくれたといいます。

波間部長は水島さんについて「非常に気さくで豪快な方でした。そして本当に野球が好きな方でみんなに声をかけてくださり、生徒たちの励みになりました」と、その人柄をしのびました。

そのうえで波間部長は「『ドカベン』は一人一人のキャラクターの個性が強くて、人と違っていいんだということを教えてくれました。今の野球部にはドカベンを知らない生徒が多いが、水島先生からプレゼントされたドカベンが全巻そろっているので、何かの機会に子どもたちに読ませたい」と話していました。

野球部の監督室にはチームの甲子園出場を祝って水島さんが贈った色紙などが現在も大切に保管されています。
波間部長は「先生には、新潟明訓高校を陰ながら支えてもらい、ありがとうとお伝えしたい。そして、これからも先生のマンガを読み続けていきたいです。感謝しています」と話していました。

野球界からも悼む声

【ソフトバンク 王貞治球団会長】
「南海・ダイエーとホークスが弱い時に支えていただいたホークスの恩人です。私がホークスに来た時もキャンプやグラウンドに来て熱心に応援していただきました。ホークスとは縁の深い人でしたので大変残念です。心からご冥福をお祈りいたします」と球団を通じてコメントしています。
【西武 渡辺久信ゼネラルマネージャー】
「私自身、現役時代はたくさん『ドカベン』の中で登場させていただきました。水島先生が球場にお越しになられた際は、声もかけていただき、本当にうれしかったです。もちろん、私もドカベンはずっと読んでおりました」
渡辺ゼネラルマネージャーは現役時代、西武の右のエースとして在籍14年間で最多勝のタイトルを3回獲得するなど、チームの6回の日本一に貢献しました。

「ドカベン」のプロ野球編では渡辺ゼネラルマネージャーが主人公の山田太郎とバッテリーを組み完全試合を達成する場面が描かれていて、「水島先生には私の完全試合も描いていただいたのが非常に印象に残っています。水島先生は野球界にすばらしい影響を与えた方だと思います。この度は大変残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申しあげます」とコメントしています。
【巨人 丸佳浩選手】
「『大甲子園』、ドカベンの『プロ野球編』『スーパースターズ編』と読んでいたのでショックです。いち漫画ファン、ドカベンファンとして子どもの時から読んでいて、わくわくする漫画でしたし、できないけど、キャラクターの殿馬の秘打とかまねもしました。自分の野球人生の大きな影響を与えた野球漫画の1つです」
【元西武 松坂大輔さん】
「学生時代から読んでいた漫画ドカベンに自分が初めて出た時の喜びは今でも忘れません…。こんなルールがあったんだと勉強させてもらった事もあります。今だからこそ子供たち、指導者の方にも読んでほしい野球漫画だと思います。自分もまた読み返したいと思います。水島先生、ありがとうございました!」(自身のツイッターより)
【元西武 伊東勤さん】
伊東さんは「ドカベン」のプロ野球編で、1995年に西武に入団した主人公の山田太郎に、けがをきっかけに、現実の世界では不動だったキャッチャーのレギュラーを奪われました。
水島さんとはこの場面が描かれる前から交流があり、山田が伊東さんのレギュラーを奪うことについて当時、西武球場を訪れた水島さんから直接説明を受けたということです。

伊東さんは「水島さんから『ドカベンのプロ野球編を作るに当たって主人公の山田を強いチームに入れないと物語が続かないので西武に入れる。伊東さんからキャッチャーのポジションを奪うことになるが、その代わり指名打者で出します』などと話をされた。自分自身が水島さんの漫画を見て育ってきた世代なので、悔しいよりもむしろ自分が出ていることが何よりも励みだった」と当時を振り返りました。

また、レギュラーを奪ったきっかけが伊東さんのけがだったという描かれ方について「すんなりポジションを奪われるのではなく野球界でよくあるアクシデントをきっかけにポジションを明け渡すという形にしてくれたのは、水島先生の配慮だったと思う」と話しました。

そのうえで「水島先生は本当に野球が好きな方で、詳しくて、あれほどリアルに野球界を描ける人はほかにいないと思う。野球界にとって大事な存在を失って残念です」などと水島さんの死を悼んでいました。
【元プロ野球選手 野球解説者 江川卓さん】
江川さんは高校時代に甲子園に出場した際、宿舎を訪れた水島さんと初めて出会い、公園でキャッチボールしたり、一緒に宿舎の風呂に入ったりして交流が始まったということです。

大学時代も交流が続き、「水島先生が大学時代の試合の映像を録画してくれていて、試合後に捕手と一緒に観に行って研究させてもらっていました。お世話になりました」と思い出を語りました。

江川さんがプロ野球選手になってからについては「シーズンオフのときに会い、いつも野球のルールについてや、漫画の素材になることはないかと食事をしながら話し合っていました。私が話した珍しい野球ルールを使ったアイデアが漫画に反映されたことがあり、印象に残っています」と話していました。

最近は、交流が少なくなっていたということで、「きょう急に訃報を聞いてびっくりしました。漫画を通じて野球を多くの人に広めていただき、感謝しかありません」と話していました。