沼津発 フェンシングの灯 五輪のレガシーつなぐ取り組みとは

スポーツできらりと光るまちづくり。東京オリンピック・パラリンピックのレガシーをどう次につなげるのか、静岡県沼津市には、その貴重なヒントがありました。

フェンシングと沼津 出会いは65年前

静岡県沼津市にある創業97年のわさび漬けの製造会社。

その倉庫の2階はフェンシングの練習施設になっています。

フェンシングの選手だった社長が15年ほど前、倉庫の建て替えにあわせて整備し、いまも毎日地元の子どもたちがフェンシングの練習で汗を流しています。

社長は「こういう場所は全国的に見てもなかなかない。自分自身がフェンシングが好きでフェンシングを普及させたいという思いがありました」と話します。

沼津市とフェンシングの縁は65年前に開かれた静岡国体にまでさかのぼります。

市内の高校がフェンシングの競技会場となったことをきっかけに、フェンシングの熱が高まりました。

ただそれは、沼津市のなかの一部の人に限られていました。

東京五輪をきっかけに動いた沼津市

沼津市が本格的に“フェンシングのまち”を目指すようになったのは、東京オリンピックがきっかけでした。

世界的なイベントの恩恵を地元にもと、沼津市が白羽の矢を立てたのが“フェンシング”でした。
ねらったのはフェンシング日本代表の事前合宿。

3年前に日本フェンシング協会と包括連携協定を締結しました。

市と地元企業などが協力して、オリンピックを前に駅前の1等地にフェンシングの練習施設を整備しました。

同時に6か所で試合ができる国内屈指の施設です。

この施設で日本代表クラスの選手たちがたびたび合宿を開き、フェンシングの街のシンボルとなりました。
北京五輪銀メダリストの太田雄貴さんは「フェンシングができる環境が全国的に見てもトップクラスに整っている。設備という面でも人という面でも沼津が最適である」と話します。
駅前には沼津市が舞台になった人気アニメのキャラクターがずらりとならぶ大きな看板があります。

キャラクターたちはフェンシングスーツに身を包み、その手には剣と、市の目指す“フェンシングのまち作り”とのコラボで盛り上げました。

ポスト東京五輪 フェンシング熱をどうつなぐ

オリンピックで生まれた沼津市のフェンシング熱。

大会が終わったいま、その熱をどうつなぐかが課題ですが、沼津市では若い世代にしっかりと引き継がれています。

日本フェンシング協会との協定にもとづき、元オリンピック選手の長良将司さんが派遣され子どもたちの指導を続けています。

長良さんは「自分もどんどん成長していける気がして、とてもいい環境だなと思います」と話します。

指導を受ける子どもたちは「オリンピックで金メダルを取りたいです」と意気込みを語りました。

沼津市の目標は将来のオリンピック金メダリストを生むこと。

それこそが東京オリンピックの最大のレガシーになると考えているのです。

長良さんは「沼津市に来て3年たっていないんですけど思った以上に結果が早く出てきていると感じています。オリンピックだったり、世界選手権だったり大人になったときにトップを目指せるような選手を育成していきたい」と語ります。

夢は膨らむ 沼津からNUMAZUへ

そして沼津市が目指すのは世界の“NUMAZU”になること。

市がフェンシングを通したまち作りに取りかかってからぶれることのないゴールです。

沼津市ウィズスポーツ課の横山憲利 係長は「もともと沼津市の取り組みが東京オリンピックをゴールとしていないところが前提にあります。沼津のいいところを世界中に発信するいい機会にもなりますので実績、経験値を積んでいきたいなと思っています」と話していました。