現場出動のDMAT医師「力尽くせず無念だった」大阪 ビル放火

大阪 北区のビルに入るクリニックが放火され、25人が死亡した事件では、火災が発生した当初、複数の災害派遣医療チーム「DMAT」が出動しました。そのうちの1つのチームの医師たちがNHKのインタビューに応じ、現場に到着した時点で治療できる余地がないほど深刻な状況だったと振り返ったうえで「力が尽くせず無念だった」と当時の心境を語りました。

“治療できる余地がないほど深刻な状況”

大阪 吹田市にある「千里救命救急センター」の災害派遣医療チーム、DMATに出動の要請が届いたのは、火災が起きてから40分余りが経過した午前11時すぎでした。

中島有香医師などチームのメンバー6人は専用の車両に医療機器などを積みこみ、大阪 北区の現場に向かいました。

途中、先に着いた別の病院のDMATのメンバーから「20名を超える負傷者が出ていてかなり厳しい状況だ」と電話で連絡があり、厳しい現場になると覚悟をしたといいます。

中島医師たちが現場に着いたのは、午前11時49分。

現場は、消火や救助の活動を行う消防隊員らで混雑していました。

現場では、別のDMATのチームがけがの程度に応じて治療の優先順位を色で分類する「トリアージ」をすでに始めていました。

中島医師は、先に到着した医師から「現時点で赤タッグが24名、緑が2名。赤はほぼ生命の兆候がなく、黒に近い状態だ。医療が介入できる状況ではない」と告げられたといいます。

赤のタッグは命の危険があり、最優先で手当てをすべき人に付けられますが、黒のタッグは、死亡、または救命が難しいと判断された人が対象です。

中島医師たちは、本来なら現場近くに設けられたテントの中で負傷者の治療を行うはずでしたがこのときはテントに入ることはありませんでした。

救命活動を行わず、救急隊によって負傷者が搬送されていく様子を見守ることしかできなかったといいます。

中島医師のチームが現場を離れたのは午後0時15分。

現場に到着してからわずか26分後のことでした。
中島医師は「通常であれば酸素を投与することで体の中に取り込まれた一酸化炭素を酸素に置き換えるという治療をしますが、その余地がないほど現場に充満していた一酸化炭素の濃度が致死レベルに高かったのだろうと思います。DMATはできる治療が限られる厳しい現場であっても、その限られた中で可能性を信じて全力を尽くすことが役目ですが、今回はそれすらできない状況で本当に無念です。同じようなことが二度とあってほしくないと思います」と心境を語りました。

DMATメンバーそれぞれの思い

25人が亡くなるという厳しい現場に直面した、千里救命救急センターのDMATのメンバーに話を聞きました。

千里救命救急センターのDMATは、医師2人、看護師2人を含む6人が現場に向かいました。

このうち、DMATの車両を運転していた救急救命士の落合祐一さんは「安全にチームを届けられるよう運転には注意しましたが、現場が繁華街にあり、救急車両なども多数集まっていたため、到着までに時間がかかりました」と当時の状況を振り返りました。

また、チームの連絡や記録の係を担った臨床工学技士の冨永篤史さんは、負傷者の状況を記した手書きのメモを見せてくれました。

冨永さんは「赤が24人というこの記述は印象に残っています。僕は現場に足を下ろしたわけではなくて、医師から電話を受けてこれを書きましたが、何もできない無念さを思いながら書いたのを覚えています。本来であれば僕も現場で負傷者の搬送先を調整する仕事をやっていたはずでした。ただ何もできなかった、という思いです」と語りました。

看護師の白上哲平さんは、DMATに加入してから今回が初めての現場でした。

不安を感じながら準備した酸素マスクや、やけどの手当てのための医療機器などは結局使われることはありませんでした。

白上さんは「何かできることがあるんじゃないかと自分なりに考えて現場で先輩たちと話したんですが、結局何もできず本当に悔しかったです」と話していました。

白上さんと一緒に機材を準備したもう1人の看護師、張公也さんは「看護師の役目は、患者の命をつなぐために医師の治療がスムーズにいくような支援をすることで患者や家族に寄り添った支援ができることが強みです。ただ、今回はそれができず無念さを強く感じました」と振り返っていました。

中島医師とともに現場に立った山口英治医師は、負傷者が搬送される様子をみていたたまれない気持ちになったといいます。

山口医師は「今回の火災は鎮火までの時間が短く、われわれも要請がかかってすぐに現場に向かったにもかかわらず多くの負傷者が黒タッグの扱いでした。一酸化炭素中毒では患者が本当に早くに亡くなってしまうことを痛感しました。次に大きな災害などが起きた際には今回以上に迅速に現場に駆けつけて、DMATのできることを究極まで突き詰めて活動していきたいと思います」と話していました。