日本に帰りたくない? ノーベル賞受賞 真鍋さんのメッセージ

日本に帰りたくない? ノーベル賞受賞 真鍋さんのメッセージ
「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」
ことしのノーベル物理学賞に選ばれたアメリカ・プリンストン大学の真鍋淑郎さん(90)。受賞決定直後の記者会見でのこの発言に、会場では大きな笑いが起きました。

しかし、私たちは一緒に笑っていてよいのでしょうか?

偉大な科学者が口にした「日本への苦言」。この重いことばにどう向き合うのか。
京都大学の総長や日本学術会議の会長も務めた、霊長類・人類学者の山極壽一さんにその受け止めを聞き、ともに考えます。
(報道局社会番組部チーフディレクター 西山穂)

なぜ日本を離れた? 真鍋さんが語る日本

10月5日、真鍋さんのノーベル物理学賞受賞が発表されると、日本ではその功績をたたえ、大きなニュースとなりました。
日本人のノーベル賞受賞者は28人目(外国籍取得者を含む)。
ゆかりのある研究者や出身地の愛媛県四国中央市の地元の人たちからも喜びの声が伝えられました。

しかし、母国での称賛の声とはうらはらに、真鍋さんはそのキャリアを通じて日本からは一貫して距離をおいてきました。
1958年に東京大学大学院の博士課程を修了後、すぐに渡米。
その17年後の1975年にはアメリカ国籍を取得しています。
1997年には一度帰国し、海洋科学技術センター(現在の海洋研究開発機構)などでも研究に取り組みましたが4年後にはアメリカに戻り、以降、再び日本を研究の拠点にすることはありませんでした。

受賞後の会見では、日本を離れた理由について笑いを交えながらこう語りました。
真鍋淑郎さん
「日本では常に互いの心をわずらわせまいと気にしています。とてもバランスのとれた関係を作っています。
日本人が『YES』と言うとき、必ずしも『YES』を意味しません。実は『NO』かもしれません。なぜなら、他の人の気持ちを傷つけたくないからです。とにかく人の気持ちを害するようなことをしたくないのです。
アメリカでは他の人の気持ちを気にする必要がありません。私は他の人のことを気にすることが得意ではないのです。アメリカで暮らすってすばらしいことですよ。私はまわりと協調して生きることができないのです。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

温暖化を予言!? アメリカだからできた独創的な研究

今回、真鍋さんが受賞したのは、その研究が現在に至る気候変動の過程に大きな示唆をもたらしたからです。
今から50年以上も前に「二酸化炭素が増えれば地球の気温が上昇し、地球温暖化につながる」との研究を発表した真鍋さん。
アメリカの海洋大気局で研究を行い、コンピューターによるシミュレーションモデルを開発しました。その発表は気候変動研究の礎となりました。

真鍋さんの研究には最新のスーパーコンピューターによる解析が欠かせません。
当時、気候変動の問題は広く認知されておらず、将来性に疑問を持たれてもおかしくない分野の研究でした。
しかし、アメリカでは、真鍋さんの研究には潤沢な資金が提供され、希望する設備はすべて整備されたといいます。
研究者の自主性を尊重し、学問の自由を守るアメリカ政府の一貫した姿勢が、世界に通用する研究につながっていると真鍋さんは指摘します。
真鍋さん
「アメリカでは研究でやりたいことが何でもできました。非常に恵まれた中で、コンピューターの購入代金などすべてアメリカの政府がやってくれました。非常に多くのお金を使いました。私のような科学者が研究でやりたいことを何でもできるんです」
またアメリカには、政府などに対して科学や技術に関する専門的な助言を行う科学アカデミーという組織があります。
各国にも形態は違いますが同じような組織があり、イギリスは「王立協会」、日本は「日本学術会議」などです。
どの組織も国の資金が投入されていますが、アメリカの学術機関の予算規模の大きさが分かります。

そのうえで、真鍋さんは、日本の学術界と政府の関係について、アメリカとの違いを指摘しました。
真鍋さん
「アメリカの科学アカデミーは、日本よりはるかにいろんな意見が学者から上がってきます。日本よりはるかにいいと思います。
日本の置かれた現状は非常に難しいですね。政治家と科学者のコミュニケーションがうまくいっていないのが問題だと思います。日本政府の政策にいろんな分野の専門家の意見がどのように伝わっているのか。政治家に対してアドバイスするシステムが日本は難しいところがいっぱいあると思うんですよ」

日本への苦言 ゴリラ研究の権威はどう受け止めたのか

真鍋さんの一連の発言をみずからの問題として受け止めている人がいます。

ゴリラ研究の世界的権威で、霊長類・人類学者の山極壽一さんです。
山極さんは京都大学総長や、国立大学協会会長、さらに日本学術会議の会長を歴任し、日本のアカデミズムのかじ取りをしてきた人物です。
現在は地球環境について研究を進める「総合地球環境学研究所」の所長を務めています。
日本を離れ研究を続けてきた真鍋さんとは違い、山極さんは研究者人生を通じて日本を拠点とし、日本の学術界が抱える課題と向き合い続けてきました。
山極さんは、真鍋さんが語ったことばの意味について、いま、改めて考えているといいます。
山極壽一さん
「真鍋さんは、日本では科学者と政治のコミュニケーションがうまく取れていないと指摘しました。日本もアメリカもよく知っている真鍋さんから、かなりきついことばで進言されたということを私はとても重く見なければいけないと思っているんです」
真鍋さんが指摘した「研究者と政治とのコミュニケーション不全」。

山極さんは日本学術会議の会長を務めていた去年9月、それが顕著にあらわれたと感じる出来事を経験します。
会長を任期満了で辞める際に示した次期会員候補6人について、当時の菅総理大臣が任命を拒否。かつて戦争に科学研究が加担したという反省から設立された日本学術会議の71年に及ぶ歴史の中で初めてのことでした。
任命拒否の理由については、人事に関わることだとして明確な説明はありませんでした。
山極さん
「これは科学者の側も反省すべきところなんですが、やはり政治家と、あるいは政策を立案する官僚たちと科学者が一体となって、いろんな事を論じ合うことをしてこなかった。
学術の世界というのは、賛否両論いろいろあっていいと思うんです。時代はドラスティックに変わっていきますから、いまネガティブな意見であっても実は10年後にはすごく大きな効力を発揮するかもしれないわけです。そういうことが日本の中でだんだん議論されなくなって、“そんたく”というか、政府の顔色ばかりみているような議論が科学者の中にも増えてしまっているとしたら大変情けない事だと思いますね」

日本の研究環境が危機的な状況に…

山極さんは、日本の研究者は自由に研究ができない厳しい状況に置かれていると指摘します。
国立大学や研究機関の国からの運営交付金は毎年削減されている一方、予算獲得のために必要な膨大な事務作業(真鍋さんは会見で「私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありませんでした」と発言)や、実用的な研究への偏重など、さまざまな課題に直面。
結果的に、日本の研究が危機的な状況に陥っているというのです。

実際、ことし8月文部科学省が発表したデータによれば、日本の研究論文数は横ばいであるものの、他の研究者から多く引用される優れた論文である“トップ10%論文”においては1997年では世界第4位でしたが、2017年からは第10位と大幅に低下しています。
現在、多くの若手研究者を抱える研究所の責任者を務める山極さん。
彼らのために、その環境をどう整えるかが、みずからに課せられた今後の課題だと話しました。
山極さん
「研究というのはお金を稼ぐためじゃなくて、自分が出会った難しい問いに対して、チャレンジングな気持ちをずっと抱き続けるってことだと思うんですね。その問いの答えを見つけながら自分の世界観を構築していく。一つの山に登ったらまた次の山が見えてくるというのが研究のおもしろさなんですね。
私たちがやるべきことは、研究環境をとりわけ若い世代にきちんと整えることだと思います。今すぐには社会のために役立たなくても、やがて社会に共有され財産になるので、多くの若い研究者を長期的な視点で支えることができたらいいと思っています」

若き研究者の好奇心 支えられる国に

真鍋さんは日本の研究者たちに対し、決して悲観的な見方はしていません。
ノーベル賞受賞後のさまざまな場で、若い世代の研究者にエールを送っています。
真鍋さん
「最近、日本における研究は好奇心に駆られた研究が少なくなってきています。どうしたら日本の教育がよくなるか考えてほしいと心から願っています。
若い人にはやはり自分の好奇心を満たすような、好きな研究をしてほしい。不得意なことはやらないで得意なことをしてほしい。格好のいい研究、格好のいい分野を選ぶことは必ずしも考えないで、自分が本当にやりたい研究をやってほしい。そうすると研究が楽しくてやめられなくなります。一生楽しい人生が過ごせるので、これから、ぜひそういう具合に研究してもらいたい」
報道局社会番組部チーフディレクター
西山穂
2003年入局
名古屋局、大阪局などを経て現職