真珠湾攻撃から80年 各地で平和への思い 新たに

太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃から8日で80年です。
各地で多くの人たちが犠牲になった人たちを悼み、平和への思いを新たにしました。

80年前の12月8日、旧日本軍はハワイの真珠湾に停泊していたアメリカ軍の艦艇や航空基地を攻撃し、4年近くに及ぶ太平洋戦争が始まりました。

真珠湾攻撃に参加 101歳の元整備兵は

福岡市南区に住む101歳の長沼元さんは、航空母艦の「加賀」に整備兵として乗船していて、真珠湾攻撃に参加しました。

長沼さんは、太平洋上を航行する船の上で艦長から「12月8日にハワイの真珠湾を攻撃する。米英に対して宣戦布告の予定だ」と、突然、告げられたと言います。

長沼さんは「まさか戦争が始まると思っていなかったので、最初は本当に驚いた」と振り返り、「軍国主義の風潮だったので、国のため日本を安全にしたいという思いだった」と当時の心境を説明しました。

真珠湾攻撃から半年後のミッドウェー海戦で長沼さんは足に大やけどを負い、兵役免除となりました。

戦後、日本が起こした戦争は無謀だったと感じるようになった長沼さんは、自分の体験を通じて戦争の悲惨さや愚かさを伝えようと、真珠湾攻撃の体験記を執筆し、地元の図書館に寄贈するなどしてきました。

長沼さんは「どうしていまだに世界が平和になっていないのか疑問に思う。戦争を防ぐためには相手のことを思いやって対話していくことが何よりも大切だ」と話していました。

太平洋戦争「捕虜第一号」酒巻氏の生涯伝える石碑完成

80年前の真珠湾攻撃に出撃し、ただ1人、アメリカ軍に捕らえられ太平洋戦争の「捕虜第一号」となった徳島県出身の軍人、酒巻和男氏の激動の生涯を伝える石碑が8日、極秘の訓練所があった愛媛県伊方町に完成しました。

80年前の真珠湾攻撃では、小型の潜水艦で出撃した10人のうち9人が命を落とし、極秘の訓練所があった愛媛県伊方町には「九軍神」と称された9人の慰霊碑が建てられています。

今回、この慰霊碑の隣に、ただ1人生き残ってアメリカ軍に捕らえられた徳島県出身の元海軍少尉、酒巻和男氏を加えた10人の写真がはめ込まれた高さおよそ2メートル、幅1メートル余りの石碑が新たに完成しました。
8日の除幕式にはおよそ20人が出席し、酒巻氏の長男の潔さんが「碑を建立していただき本当に感謝しています。父は今、ハワイから戻ってきました。きっと喜んでいると思います」とあいさつしました。

石碑は「捕虜になることが恥」とされた時代に、「捕虜第一号」としてアメリカの収容所で生き抜き、終戦後に帰国してからは、ビジネスマンとして、戦後復興に尽くした酒巻氏の激動の生涯を知ってもらいたいと、地元、徳島県の人たちが資金を募って建てました。

石碑の建立を企画した徳島県美波町に住む青木弘亘さんは「多くの人に寄付していただき建立することができました。平和について考えるきっかけにしてほしいです」と話していました。

元兵士の体験伝える史料館では

東京 千代田区にある「しょうけい館」は、戦争でけがをしたり、病気になったりした元兵士の体験を伝える史料館で、太平洋戦争の開戦から80年となる8日も訪れる人の姿がみられました。

このうち研修の一環として訪れた陸上自衛隊衛生学校の自衛官8人は、語り部から、4年前に96歳で亡くなった元兵士についての話を聴きました。

語り部は、元兵士がオーストラリアで捕虜になったことや、帰国後は、病気を患ったこともあって鍛冶職人になる夢を諦めざるをえず、ふるさとにも戻れなかったことを話し、自衛官たちはじっくりと聴き入っていました。
史料館を訪れた人は、銃弾で穴が開いた帽子やレンズが割れたメガネなどの遺品をじっくりと見ながら、平和への思いを新たにしていました。

「しょうけい館」の学芸員の半戸文さんは「開戦から80年という節目に当時の人たちに思いをはせ、改めて戦争や平和について考えてもらいたい」と話していました。

教育現場では模索が続く

戦争を体験した人が減り子どもたちが戦争を知る機会が少なくなるなか、学校の授業に新しい手法を取り入れ伝えていこうという取り組みが始まっています。

7日、愛知県の愛知教育大学附属高校で行われた世界史の授業では、この学校で最年長の西牟田哲哉校長が教壇に立ちました。

西牟田校長は戦後世代で戦争を知りませんが、父親から聞いた証言として「父親が海軍兵学校に入学した時に、当時の校長が『日本は今やっているアメリカとの戦争に負ける』というふうにはっきり言ったと話していました。国のために死のうと思っていた若者に対して、こういうようにあいさつをしたということで、もう仰天したそうです」と生徒に伝えました。

この学校の授業では、映像や証言など、実態をより具体的にイメージしやすい資料を取り入れ試行錯誤しながら改善を続けています。

授業に出席した生徒は「戦争は身近じゃない、別の世界の話みたいだったけど、学んでおくべきものなんだなと感じました」と話していました。

西牟田校長は「今はもう、おじいさんおばあさんの話も、そんなに戦地に行った話が聞けるわけではない。あの手この手で工夫しないと、なかなか子どもが真剣に考えるようにはならないと思います」と話していました。

“歴史を多角的に捉える” 理解を深めようとする高校も

歴史を多角的に捉えることで理解を深めようと取り組む高校もあります。横浜国際高校の徳原拓哉教諭は、日本の人々の証言、アメリカの人々の証言、それに戦後の研究者の論文の3種類の資料を用意しました。

生徒は3つのグループに分かれ資料を読み込み、太平洋戦争の開戦について意見を出し合います。

アメリカの人々の立場から考察したグループは、当時、大学生だった青年が戦争で医学部進学を諦めたこと、真珠湾攻撃に対する復しゅうへの強い思いを学んだあと、ほかのグループに移り、日本や研究者の立場から考察したメンバーとさらに議論を深めました。

戦争の事実を単一的ではなく異なる視点からも捉えるためです。

授業のあと、生徒の1人は「インプットの授業だけだと気付けないことに気付けて、他の人の意見から学ぶことが多かった。集団に流されてみんなと同じことが美徳っていう思想が重なっていくとやはり戦争みたいなことが起きてしまうと思うので、自分の物差しを形成していくっていうのが大切だと思う」と話していました。

徳原教諭は「その人たちの経験っていうのは今の私たちにとってはどんな意味として見えるのか。世界に目をやってみれば紛争や戦争っていうのはいまだに続いている。視野を広げてみると今の世界を考えるということにもつながってくるそういうことが学べるといいのかなというふうに思います」と話していました。