パナソニック 元グーグル副社長“Yoky流”で変われるか?

パナソニック 元グーグル副社長“Yoky流”で変われるか?
ITの巨人グーグルからおととし、パナソニックに転籍した松岡陽子さん。ロボットやAI=人工知能などの専門家で、アメリカのシリコンバレーでは「Yoky」という愛称で広く知られています。パナソニックは今、アメリカにいる松岡さんのもとに人材を次々と送り込んでいます。松岡さんは日本の電機メーカーにどのような変化をもたらしつつあるのでしょうか。“Yoky流”の荒波にもまれた社員たちの声などから探ります。(大阪放送局記者 甲木智和)

“メジャーリーグ”の衝撃

「やばい、これはメジャーリーグに来てしまった」

パナソニックの主幹技師を務める浜崎浩二さん。

ことし6月から、アメリカのシリコンバレーにある松岡さんの会社に3か月間、駐在した時の衝撃をこう語りました。

浜崎さんは、2003年の入社からソフトウエア開発一筋。

これまでテレビや車載事業などに携わってきました。
浜崎さん
「私も18年、技術者としてやってきたので、“Yokyの会社”といっても、『なんぼのもんじゃい!』という思いがありました。どれくらいすごいのか、わからなかったんです」
「Yoky」こと松岡陽子さんがグーグルの副社長から、パナソニックに転籍してきたのは2年前。

業績が伸び悩んでいた当時のパナソニックが、組織の縦割りを打破し、新しい事業を展開しようと迎え入れたのが、松岡さんでした。

松岡さんはプロテニスプレイヤーを目指して16歳の時に渡米しましたが、けがのためにその夢を断念。
その後、アメリカの大学で学び、脳科学やロボット、AI=人工知能の専門家として、ビジネスの世界でも活躍を続けています。

現在はパナソニックで常務執行役員を務めながら、シリコンバレーに立ち上げた子会社でCEOとしてビジネスの指揮を執っています。

松岡さんは、日本の大手電機メーカーを新たな活躍の場に選んだ理由をこう語ります。
松岡さん
「テクノロジーを使って人を助けたい。毎日の生活を良くするものを作りたいと思いました。パナソニックは家電など家の暮らしの中にたくさん入っているものを作っているので、パートナーになり、新しいサービスを作っていこうと思いました」

Yokyに学べ

パナソニックはいま、アメリカにいる松岡さんのもとに、会社の将来を担う社員たちを次々と送り込んでいます。

シリコンバレーの一線で活躍する多くのエンジニアなどが集まる恵まれた環境で、“Yoky流”の仕事のしかたを学び、新たな製品やサービスの開発につなげるためです。

その数は、ことし春以降、およそ30人。

期間は、数週間から数か月と、人によってさまざまです。

その1人が冒頭にも登場した浜崎さん。

浜崎さんは国内では、「ソースコード」と呼ばれるソフトウエアの設計図について、社内や委託先から出される内容をチェックして指導する立場でもあります。

しかし、自信をもって乗り込んだ新たな職場で、すぐに衝撃を受けます。

得意の「ソースコード」を作成すると、同僚のエンジニアたちから、すぐさま100か所以上の指摘が。

しかもその内容は、どれも正しいものばかり。

さらに、アプリなどを開発したあとでもソースコードのメンテナンスや修正がしやすいよう、細かな点まで気配りしていたことに驚いたといいます。

どれも日本にいたころには発想しなかった点でした。
浜崎さん
「『やばい、これはメジャーリーグに来てしまった』と。Yokyさんの会社にいたのは、元グーグルのエンジニアなどで、最先端のものすごい人たちだった。(対応できる技術について)守備範囲が広いし、1個1個の深さも深い」
新しい技術が出てきて、わずか2か月ほどで新製品に取り入れられるのを目の当たりにした浜崎さん。

新技術に対応するスピード感も、日本とは全く違っていました。
浜崎さん
「これは日本というか、パナソニックが頑張らないといけないと痛感しました。日本にも素養のある技術者はたくさんいるので、自分の経験を還元していきたい」

“すべてを決めない”Yoky流

商品やサービスの開発の進め方も、“Yoky流”はパナソニックとは大きく違ったと語るのは、デジタル技術を活用したサービスの開発などを統括する、郷原邦男さんです。
郷原さん
「例えば、メーカーとして良かれと思って作ったある機能が、お客さまが、なぜか3日間で使わなくなっているとします。日本では、次に発売する新製品ではそこを直そうという考え方なんですが、Yokyさんの会社では、『なぜか?』というのをすぐに調べて、その結果を次の2週間の改善に織り込んでいくんです」
パナソニックの場合、商品やサービスの「企画会議」で多くのことを決め、試作品を作ります。

その間、顧客に意見を聞く機会は、ほとんどありません。

商品の完成までの期間は、通常半年以上。

商品によっては2年以上かかることもあり、この間に、当初想定していた顧客ニーズとずれが生じてしまうおそれがあるといいます。

一方、“Yoky流”では、企画段階では多くのことを決めません。

徹底して議論するのは、「顧客が何に困っているのか」

開発期間は2週間ごとに区切り、顧客にもたびたび意見を求めます。

それを反映させて、徐々に見直しを進めていくスタイルを取っています。

そのねらいを松岡さんはこう話します。
松岡さん
「お客様の声を聞こえるようにするために、最初には完全に決めない、というのが一番。すべてがわかっていない時に決めたものって、間違っている時もあるんですよね」
“Yoky流”の開発プロセスを間近に見てきた郷原さん。

顧客の声から徹底的にニーズをくみ取る姿勢の重要さを痛感したといいます。
郷原さん
「世の中に出てきた時には、間違いなく、顧客が『これが欲しかった』というのものが提供できるような開発体制になっているのがよく分かりました。日本はこのままだと世界に置いていかれるなと」
一方、働き方の面で、大きな違いを感じたという社員も。

ことし11月上旬までの3週間、松岡さんのもとで働いた豊島靖子さん。

パナソニックではサービスの開発などに生かすため、将来の暮らしがどのように変化するかを研究しています。

松岡さんの会社では、社員どうしの距離が近く、チームとしてのつながりが強いと感じたといいます。
豊島さん
「チームを引っ張っていく人たちが打ち合わせなどで褒めあって、いい空気をつくりながらプロジェクトを前に進めていました。夕方ぐらいになるとバーベキューのいい香りがしてきて、肉や魚を焼いてメンバーなどにふるまいながら雑談をしていて、すごくいい文化だと思いました。仕事だけではなく余白の部分を会社のメンバーと楽しんでいるのかなと」

Yokyに直撃「AIだけではたどりつけない」

さまざまな面で、パナソニックの社員に刺激を与えている松岡さん。

彼女自身は今後、どのようなサービスの開発を目指すのでしょうか。

ことし9月、松岡さんが指揮をとるパナソニックの子会社「Yohana」は、アメリカ西海岸のシアトルで働く親などを対象に、さまざまな用事を片づける支援サービスを立ち上げました。
松岡さんがパナソニックにきて以来、初めて打ち出した事業です。

仕事と子育てで慌ただしい毎日を送っているという、松岡さん自身の実体験も踏まえて開発されました。

子どもの散髪や病院の予約。

そして、旅行の計画から贈り物の手配まで。

利用者がアプリを通してチャットで頼み事をすると、専属のアシスタントが利用者に代わって手配してくれたり、課題の解決方法を提案してくれるサービスです。
専属のアシスタントは、実在する“人間”です。

AIやロボット研究の第一線を歩んできた松岡さんですが、今回、AIの活用はあくまで補助的なものにとどめました。

データを蓄積し、アシスタントの対応をサポートする役割に限定したのです。

その理由は、松岡さん自身が感じている、いまのAIの限界です。
松岡さん
「ロボットから始めて、AIやマシンラーニング(=機械学習)などを勉強して、そういうものを使って人を助けたいとずっと考えてきました。ただ、私はまだAIが本当に人の生活を助ける、役に立つところまでまだちょっと来ていないと思う。今からの5年後でも、AIがそこにたどりつきますか、といったら悪いけど、たどりつかないんじゃないかと思っています」
AIの専門家であるからこそ、その課題も知り尽くしている松岡さん。AIが人の求めることをすくい取って、きめ細かなサービスを提供するまでには、まだ時間がかかると考えています。

そこで、欠かせないと考えているのが製品そのものの品質の高さだと言います。

そして松岡さんは、そこにこそ、ものづくりに長年関わってきたパナソニックの強みがあると考えています。
松岡さん
「ハードウエアだけでなく、もちろんソフトウエア、AI、そこに人間も入れて、暮らしなど、端から端までカバーしてあげられるためのものが作れるようになっていけば、パナソニックはまたどんどん伸びていくんじゃないかなと思っています」

Yoky流 パナソニックに浸透するか

国内外に24万人の従業員を抱える巨大メーカー「パナソニック」。

長らく低収益構造に悩まされ、かつて電機メーカーとして、トップの座を競ったソニーや日立には、利益水準などで大きく引き離されています。
“Yoky流”の荒波を経験した社員は、会社全体でいえばごくごく一部。

そのノウハウをそのまま取り入れられるかといえば、難しい部分もあるように思います。

松岡さんはその壁の高さを感じつつも、前向きな社員の姿勢に可能性を見いだしています。
松岡さん
「100年も続けているプロセスでものづくりをする会社なので、明日からアメリカのやり方でやろうよ、と言っても全然無理だと思っています。だけど、出向してきた人たちからは『やはり新しいものを取り入れたい、同じやり方じゃダメだよね』というところはものすごく感じます。時間はかかるし、ものすごい難しいところもある。できないところも絶対あると思うんですけれども、これは挑戦しなくちゃと思っています」。
出向を経験した社員はインタビューで、「このままでは日本は置いていかれる。パナソニックは変わらなければ」と口をそろえていました。

Yokyの刺激を受けたまな弟子たちが、それを社内で伝えていくことで、変化の兆しが少しずつ芽吹いていくのではないかと感じました。
大阪放送局
甲木智和
2007年入局。
経済部で金融業界などを取材し、現在、大阪局で経済担当。