これでしばらく、生きていける

これでしばらく、生きていける
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「これでしばらくは生きていける」
こう話すベトナム人の青年。

もともと技能実習生として来日しましたがコロナ禍で仕事を失い、国に帰ることもできなくなっています。

そして今、「自給自足」に近い生活を始めています。
(ネットワーク報道部・芋野達郎)

野菜を育て、食いつなぐ

建設の技術を学ぶため来日した、ダットさん(仮名・23歳)。

10月の秋晴れのこの日、埼玉県本庄市で農作業を行っていました。

およそ3500平方メートルの畑で作っているのはサツマイモやジャガイモ、カボチャなどさまざま。

販売用ではなく、自分たちで食べる野菜です。
土地を借り上げ、提供してくれている寺にはダットさんのほかにも元実習生や元留学生、20人ほどが身を寄せています。

食事は寺の支援者からの寄付が頼りですが、それだけでは足りず「自給自足の生活」を目指す取り組みを始めました。
夜はみんなでお経を唱えたり、住職の講話を聞いてから就寝します。

いつも考えるのはベトナムに残した家族のこと。

日本に来るために背負った借金100万円はまだ半分しか返せていません。

帰国するにもベトナムまでの飛行機はチャーター便しかなく、価格は片道30万円ほどに高騰しています。

早く帰りたい。
でも帰れない。

「家族を幸せにしたい」 幼い息子残し来日

ダットさんはベトナム中部のゲアン省で小さなバイクの修理店を営んでいました。

日本の外国人技能実習制度に興味をもったきっかけは、おととし、小学校時代からの同級生と結婚し、息子が産まれたことでした。

店の収益は月に7万円ほどあり、ベトナム人の平均的な収入と比べると多いほうでした。

しかし開店時の借金を月に3万円ずつ返していたため生活はぎりぎり。

将来、家族のために家を買ったり、息子を学校に通わせたりすることができるのか。

不安を感じていたとき、知り合いから実習生として働くと収入が数倍になると聞いたのです。
生まれたばかりの息子はかわいい盛りです。

しかも来日するためには仲介業者に手数料などとして100万円もの大金が必要だといわれました。

悩みましたが、家族を幸せにするためにお金を稼ぎたいという思いは日に日に強くなり、借金をして手数料を払い、来日することにしました。

妻は「寂しいけど、息子と一緒に待っているから頑張ってね」と言って送り出してくれました。

わずかな生活費 “つらい現場”

ことし3月、ダットさんは埼玉県の建設会社で働き始めました。

現場は会社の寮から遠いことが多く、朝6時には会社に集合して向かう毎日。

危険が伴う高い場所での仕事や重い荷物の運搬をさせられたといいます。
ダットさん
「ミスをするとバカヤローとののしられました。自分からは何も言えなかった。憤りを感じたし、次の日も同じ人たちと仕事をすることを考えると憂うつでしたが、家族のために耐えるしかありませんでした」
それでも初めは手取りで月14万円ほどの収入があり、ベトナムの家族に10万円ほど送金することができていました。

順調にいけば1年で借金を返して貯金ができるはずでした。

しかし新型コロナの影響で仕事が少なくなると、手取りは9万円まで減少。

わずかな生活費をさらに切り詰めようと肉を買うのを控えたり、閉店間近にセール品を買ったりしましたが、貯金はおろか、借金の返済もままならなくなりました。
実習生の日本での生活をサポートしてくれることになっている監理団体に職場を変えてもらえないかと相談しましたが「会社が破産しないかぎり転職はできない。そのうち仕事は増える」と言われたといいます。

つらい思いをして働いても希望が見いだせない状況に、ことし5月、ダットさんはついに耐えられなくなりました。

技能実習を途中で辞めてベトナムに帰る。

そう決心しました。

チャーター便は30万円 帰国できず…

しかし、そこからがさらに大変でした。

ベトナムでは感染が拡大する中で水際対策が強化され、日本との定期便がなくなっています。

チャーター便は航空券代と隔離期間の宿泊費でおよそ30万円もかかり、とても利用できる金額ではありませんでした。
しかも実習先の仕事を辞めてしまったことで会社の寮に住み続けることもできなくなりました。

知り合いのベトナム人の家に泊まらせてもらう、その日暮らしの生活が始まりました。

日本政府は、こうしたコロナ禍で帰国できない実習生や元実習生を支援するため、特別にアルバイトをすることを認めています。

しかし働く時間が制限されているうえ、日本語が堪能ではないダットさんを雇ってくれるところはほとんどありませんでした。
心配した妻は毎日のように電話をかけてくるようになっていました。

ダットさんは不安な気持ちを隠して「大丈夫だよ」と言うしかなかったそうです。
ダットさん
「妻はいつも早く帰ってきてほしいと言っていますし、私が帰国した夢まで見るそうです」
「日本は憧れの国でしたが、夢をかなえることができないと分かったときは失望しました。行き詰まり、どうすればいいか分からなかったです」

自給自足で見つけた”わが家”

途方に暮れていたとき、SNSで見つけたのが埼玉県の大恩寺でした。

ベトナム人の住職、ティック・タム・チーさんが運営し、新型コロナの感染が拡大する中、職場や住まいを失った元実習生などを保護していました。

多い時でおよそ50人が身を寄せていたそうです。
「自給自足」を目指そうと農家から借り上げた土地は始めは草だらけの何もない所でした。

それを自分たちで草むしりをして、耕しました。
種のまき方も肥料の使い方も分からないダットさんたちに、近隣の農家や住民は丁寧に育て方を教えてくれました。

毎週のように様子を見に来てくれるようになった人たちもいます。
「新型コロナで急に仕事がなくなって、住むところもなくなったと聞いて。
実習生が必要なときは受け入れを進めておいて、コロナ禍で仕事がなくなったら十分な支援もしない。それに腹が立って、できるときは手伝いたいという気持ちです」
来日して1年余り。

日本での暮らしに失望していたダットさんにとって、皆が助け合って暮らしているこの寺は初めて見つけた“わが家”だったといいます。

しばらくは生きていける でも…

10月10日。

「収穫祭」が行われました。

大恩寺に身を寄せている元実習生のほか、寺院の支援者や近所のボランティアが集まりました。

長さが20センチほどの立派なサツマイモを収穫して「でかい!」とうれしそうに声をあげるダットさん。
早速、収穫した野菜を使って天ぷらやけんちん汁、ベトナム風に生春巻きを作って食べました。
ダットさん
「食べるものがあるので、これでしばらくは生きていける。地域の人たちはとても親切に知らないことを教えてくれて感謝しています」
借金返済も、帰国のめどもまだたちませんが、ほんのひとときほっとすることができた瞬間でした。
ティック・タム・チー住職
「助けを求めに来る人は私たちとしては喜んで受け入れ、最後まで面倒を見たいと思っています。一方で、日本の政府と国民の皆さんにも手を差し伸べてもらい、一緒によりよい社会をつくっていきたいです」

帰国できない元実習生は3万6800人

「収穫祭」のあと、ダットさんはようやく印刷会社でのアルバイトが決まりました。

時給は1000円。

何とか借金だけでも返済してから国に帰りたいと考えています。

ダットさんのように新型コロナの影響で今も帰国できずにいる元実習生はおよそ3万6800人にのぼります。

人手不足の業界で貴重な労働力として期待されながらコロナ禍で職を失い、国の支援も届かない中でギリギリの生活を続けています。