ウケたいは変わらない。原点を貫き通した「PPAP」

私たちの前に突如現れた謎の人物・ピコ太郎が歌って踊る奇抜な動画「PPAP」は、世界中で6億回以上再生され、旋風を巻き起こしました。そのプロデュースをしたのが古坂大魔王さんです。「自分の発想だけで勝負したい」と、青森県から上京してお笑い芸人を目指しました。しかし、芸人としての王道を歩むことができず、邪道を歩んだという古坂さん。それが、ピコ太郎へとつながっていったのです。青森放送局の高市佳明アナウンサーが聞きました。
(青森放送局 聞き手 高市佳明、取材 土田翼)

ピコ太郎は歌手です!

(高市)
今回、古坂さんとお会いする前に、やっぱりピコ太郎さんの生みの親だから、改めて見ておこうと思って、動画を拝見したんですけれども。あれって、漫才でもないし、コントでもないし、お笑いのジャンルでいうと何なんだろうと思ったんですけれども、あれは、何なんでしょう?

(古坂)
高市さん。おおもとを間違えていますね。ピコ太郎は歌手です。

(高市)
歌手!?

(古坂)
歌手なんですよ。シンガーソングライターですから。カテゴライズは長渕剛と一緒ですね。長渕剛さん、さだまさしさん、ピコ太郎さんって感じになるとは思いますね。古坂大魔王単独ライブの前説をやってもらったんです。なのに、僕の単独ライブが1時間弱で、ピコ太郎が1時間10分やっていました。

(高市)
えーっ。前説の方が長い。

(古坂)
だから、僕が後説って感じになってると思うんですけど、それぐらいピコ太郎っていうのは僕の中で大きな大きな存在ですよね。

(高市)
ジャンルの名前でいうと何になるんですか?

(古坂)
ジャンルの名前でいうと、ポップスです。

(高市)
じゃあ、あれはお笑いというよりも、音楽として楽しむもの?

(古坂)
そうなんですよ。すごく面白いのが、世界中たくさん周ってみて、この質問されるのが、日本しか無いんですよ。誰がどう見ても音楽らしいんですよ。やっぱり日本ってお笑いに多様性があるんで。ああいうお笑いもあるんじゃないですか。

幼稚園でウケた快感が原点に

1973年生まれの古坂さん。笑いの原点と言える体験は幼稚園の時。学芸会の舞台に立った感覚が、ある思いにつながっていきました。


(古坂)
幼稚園からあまり変わっていないらしいです。ウケたいですね。ずっとウケたい。

(高市)
ウケたい?

(古坂)
ウケたかったんです。ウケればいい。幼稚園の時に、桃太郎の舞台が学芸会でありまして。その時に猿の役をやったんですね。で、タイツにしっぽが付いているんですね。そのしっぽをですね、ずっとグルングルンまわしながら猿の芝居をしたんですよ。そうしたら、ウケたんでしょうね、きっと。その感覚が気持ちよくて。

(高市)
男の子三兄弟なんですよね?

(古坂)
兄貴も、明るいんですけれども、基本的には数字を基にキチっ、キチっ、キチっとやっていくタイプで。今、銀行員です。弟はもう本当、優しい子で、蚊が飛んでても逃がして、手のひらが食われるという。それぐらい優しい子でして。今、大学の教授。この3人の中で僕は本当に自由に、勉強もほどよくさせてもらって、遊びもほどよくさせてもらってっていう。だから、まさに次男坊のお調子者って感じでしょうね。僕は普通だなと思いながらいましたけれども、うちのお母さんいわく、学校に何度も呼ばれたそうです。
うちのお母さんがすごく真面目で。真面目というかすごく厳しかったんです。スパルタを通りこえた。もう勉強、勉強、勉強。その中で、その空気をどっかで壊すのが面白かったんですよね。「兄弟3人、公務員になれ」っていうのがうちのお母さんの夢でして。

(高市)
お母さんから、ずっと言われてたことって何かありますか?

(古坂)
これはもういまだに、ある意味自分の一番大事な言葉といいますか。「何やるにも一番になれ」と。「何やってもいいから、一番になれ。一番になんないと弱い人救えない」ってよく言っていましたね。

(古坂)
テレビで当時は、たけしさんとか、小学校の高学年になると、とんねるずさんが出てくるので。

(高市)
たけしさんやとんねるずさんにあった、そのひきつけられたものって何だったんですかね?

(古坂)
場の空気をぶち壊して全部自分のものにする。だから簡単に言うと最強なんです。特にたけしさんにいちばん最初にハマったのは、アントニオ猪木さん、大橋巨泉さん、ビートたけしさんっていう3人がしゃべっている番組があったんですね。僕はアントニオ猪木さんがすごく好きだったので、猪木最強。テレビの中では大橋巨泉さんがもう最強なんです。一番偉い人。

(高市)
よく出てらっしゃいました。

(古坂)
ところが、当時若手だったたけしさんがその場を全部持って行って、一番面白かったんです。みんな、ずっとたけしさんのギャグで笑っているって状態。それを見たときに、お笑いというか、面白いことを言うとその場で一番強くなれるんだなって思ったので、僕の中で最強=一番面白いだったんです。

ぶちあたったテレビの壁

お笑いの世界で一番になるという夢を抱いた古坂さん。高校生になる頃には、もう迷いはありませんでした。古坂さんは、同級生とコンビを組んで、コントを制作。さらに、自ら、出演・編集まで手がけたコントの動画を作り、ビデオ作品の全国大会で入賞も果たしました。卒業後、上京し、1992年にお笑いの世界に飛び込みます。しかし、そこは想像をはるかに上回る過酷な世界でした。


(古坂)
まず、お笑いの世界に触れるまでが大変でしたね。

(高市)
触れるまでが。まずその前段階。

(古坂)
まずね、触れられないんですよ。壁が高くて。いわゆるお笑いライブを見に行きました。見まくりました。それで、オーディションに行くんですよね。オーディションに行って、受かるは受かるんですけれども、お笑い芸人になりたい人が集まっているだけで。別の楽屋にはプロのお笑い芸人たちがいるわけですよ。僕たちでワ―ッて元気よくやります。でも、それはそれまで。そのあと、プロの人たちは自分の楽屋からステージに行って、大爆笑を取って自分の楽屋に帰っていく。だから、僕らが会えるのは、階段に並んで「お疲れした」っていうこの一瞬だけ。僕らがテレビで見ていて、「そんなに面白くねぇな」とか「俺こいつには楽勝で勝てるよ」って思った人と、ライブで一緒にやってみると、一言も返せないんですよ。「あれ?こんなに球速いの?」っていう。
だから、高校野球の人がプロ野球に行った感覚でしょうね。「あれ?1個も打てない。どこ投げても勝てない」もうとんでもない世界。化け物しかいないって思いましたね。キャリアが違うんですね。キャリアが違う人たちと組んだ瞬間になんていうか、力を入れるところが無いというか。ただ、ぼーっと立っているだけになるんですよ。そこで僕たちは勝てないから、テンションとか元気だけで勝負し始めるんですよね。18歳とか19歳の時。

(高市)
若手の皆さんってとにかくテンション高いですもんね。

(古坂)
あれは理由があって。あれくらいしか勝負できないんですよ。本当にお笑いって、すごく層が厚いと思いましたよね。

(高市)
その中で古坂さんご自身が見つけた武器って何かありました?

(古坂)
武器は2つあるんですけど。1つは、くりぃむしちゅーの2人が探してくれた小さな違和感のボケ。大きくボケない。気づかれないようにボケるっていうボケ。もう1個は音楽ですよ。

(高市)
音楽。

(古坂)
やっぱり音楽を作れるっていう。お笑い芸人って、売れたら、音楽、曲出せるんですよ。誰かが作ってくれて。でも、お笑いの人がやる音楽ってお笑いっぽくて。僕は、もうちょっとぶっ飛んだ、とんがった音楽が好きでして。とんがった音でお笑いをしたかったんですね。

(高市)
そういう手法を取る方は、あまりいなかったでしょうね?

(古坂)
そうですね。問題は、いまだにいないということは、需要が無いんじゃないかって。
でも、DJ的な感覚で当時はやっている曲に“あてぶり”するっていうコントがあるんですけれども。当時無敵だった爆笑問題さんとかに、ライブコンテストで唯一勝ったのが、“あてぶり”ってコントだったんですよ。音楽を使ったヘンテコなコントっていうのが、自分の強みかなって思っていますね。小さなライブハウスでやる時、僕はあえて音を爆音で出すんですけれども、爆音でドンって。爆音なのに笑い声が聞こえたんですよ。音楽って強いなってすごく思いましたね。

(高市)
古坂さんの主戦場がテレビとは違う所になっていったっていうことなんですね?

(古坂)
違うんですよ、本当はテレビでやりたかったんですよ。でも、テレビに出られないんですよ。売れないんですよ。テレビって今みんなが欲しいものが欲しいんです。僕が出したいものなんて興味ないんです。売れれば興味ありますけど。売れてない人の自分のプライドなんて何の足しにもならない。自分のやりたいことなんて、世の中の人は、好きにさせてくれないんです。でも、それを一部の人がすごく熱狂的に応援してくれていたので。仕方なくライブでやるしか無かったんですね。ある意味では。

(高市)
同時期に活躍していたほかのお笑い芸人さんたちから、どんなふうに言われてました?

(古坂)
音楽やり始めて、お笑いも音楽もプロでやんなきゃいけないと思ったんで。本当半々にすると、お笑いの方の仕事も減ってくるし。そうすると、特にくりぃむしちゅーの2人とかは「もう音楽辞めちまえ。お前お笑いだけやった方がいいよ」って。「お前のそのしゃべりをいかせよ」ってずっと言っていて。爆笑問題さんも、「お前音楽辞めろ」ってずっと言われて。

たどりついた先がインターネット

お笑いもやる、音楽もやる、でもテレビに出られない。そこで古坂さんがたどりついた場所が「インターネット」でした。


(高市)
スタイルを変えずに、それを突き詰め、ちょっと意地になったといいますか、本当に俺はこれなんだという思いが強かったというわけですね?

(古坂)
そうやって言うと、すごくかっこいいなと思いながら。ただ半面、もうこれしかできないんですよ、僕。いわゆる王道を突き抜くっていうパワーも無いんですね。邪道を突き抜くと言いますか、邪道しか思いつかないんですよ。逆に言うと王道は思いつかないんすよ。これは選んでいるのではなく、僕ができないだけなんです。やろうと思ってできる、やればできるもんじゃないんです。できないから、これをやった。テレビに出られないからインターネットをやった。音楽の著作権のお金払えないから自分で作った。あくまでも、仕方がないからやったんです。当時は、「インターネットに出る=終わったね」って言われていましたから。インターネットで番組を持つ。都落ちかって。
ただ、インターネットの番組だと時間伸びてもいいし、好き放題しゃべってもいいし。台本も無いし、自由にやれるっていうのはすごく向いていたんですよ。何ならカメラ1台置いて、ずーっと3時間しゃべりますからね。そんなのってありえないぜいたくな話なんですよ。だから、自由だな、楽しいな、今何人見ているんだろ。25人か、そうかみたいな。「100人超えたよ、万歳」って時代ですから。当時、200人超えると回線が落ちるっていう時代だったんで。

(高市)
まだ回線がぜい弱で。

(古坂)
はい。200人超えたら切れるって時代もあったんでね。ただ、その時、スキルは磨かれたんです。そこで。インターネットの形というか、インターネットの可能性。アンケートがリアルタイムで取れるとか。その場で自分の自由に方向性決めて、1時間番組と言いながら5時間できるっていうのは画期的だったなと思いながら。でも、「早くテレビに戻って来いよ」って、同期や先輩からは言われていましたね。

(高市)
その当時と大きく状況は変わりましたよね?インターネットは、テレビの下のものじゃないですよね?

(古坂)
そうですね。僕の中で、テレビとインターネットってものは、全く別物であり、全く一緒であると思っています。同じコンテンツであるっていう。なので、上下でなく並列なんですよ、実は。ラーメンとカレーどっちかがなくなんなきゃいけないってことないじゃないですか。同じ食べ物じゃないですか。別にみんながチョイスするだけで。ただこんなにインターネットのインフラが一気にテレビに追いつくとは思わなかったですね。

(高市)
すると古坂さんは、先取っていたって言ってもいいんじゃないですか?

(古坂)
いやあ、それは、おこがましいですよ。僕はあくまでも、当時たまたまインターネットの世界にいたってだけの話です。ピコ太郎さんを動画で配信した時は、その10年ぐらいの期間を経た知識を全部駆使して、全部やったんですよ。だから、あくまでも勉強期間でもあったんですけれども。あくまでも、たまたま避難した場所で、土地が高騰っていう感じです。そういうことだと僕は思っています。自分では、「先取って俺インターネットでつかんでやったぜ」っていうふうに言いたいんですけど。いやいや、そこはね、僕は本当にすごく正直に言うと、テレビに出られなかったってことからの反発ですよね。「テレビに出られないんだったら 俺はこっちで」って。うちのマネージャーと言ったんですよ。「テレビでトップを取るのはもう無理だから。インターネットでトップ取ろうぜ」っていうふうな話をうちのマネージャーとしたんですよ。

「PPAP」は実績、自信そして不安

音楽へのこだわりを捨てず、ライブやインターネットの世界で、道がないところを切りひらいてきた古坂さん。2016年の「PPAP」の大ブレイクを今、こう振り返ります。


(古坂)
僕はずっと、数を打ってきたんですね。いろんなことをとりあえずやってみて。これもやってみよう、ダメ。これもやってみよう、ダメって。まさにトライアンドエラーで。ダメだったものはダメだったと、修正して、たどり着いた先に、ピコ太郎さんとの出会いがあったんですね。つまり、短くて、テクノミュージックで、英語で、意味わかんないというのは、なんか面白かったんですよね。なんかですね。単独ライブのアンケートで、ピコ太郎が一番面白かったっていうのがすごく多かったんですけど。でも、現場はそんなウケてないんですよ。でも、アンケートにはピコ太郎は面白かったって書いてあるんですよ。だから、不思議だなと思って。ウケの量はそんなに取れないのに。終わった後アンケートには一番面白かったって書いてあるんですよ。

(高市)
よく分からないけど心に残る面白さみたいなことなんでしょうかね?よく分からないというのが、まず来る。

(古坂)
そうですね。だって皆さん夕日を見て、なぜきれいですかって質問に答えられますか?

(高市)
深いですね、それはねえ、ええ~。

(古坂)
ピコ太郎は夕日なんですよ。

(高市)
分からないんですね。プロデューサーご自身も。

(古坂)
分析なんか出来ないと思います。ただ、だから何度も言うように何年も何年もやってきて、なんか急に凝縮されたものが鍾乳洞みたいな形になったのが、たまたま面白い形だった。

(高市)
振り返れば、お笑いの一番になるんだという目標からはるかに遠いところに今、来ちゃってませんか?

(古坂)
「PPAP」でバンっといった瞬間に、爆笑問題さんやくりぃむしちゅーから「ごめんね」って言われましたね。でも、「PPAP」の1発が僕の中の自信と実績であり。今後これをうまいこと乗りこなせるかっていう不安でもありますよね。だから、まだ説明書は僕の中でまだ見つかってないんですよ。

(高市)
見つかりそうでしょうかね?

(古坂)
見つからなくてもいいかなと最近思ってます。過去を越えなきゃいけないっていうのを、最近どうなんだろうと思ってきまして。過去を懐かしみ続けると自分がダメになってきますけど、自分が現状維持を退化なりと捉えて、どんどんどんどん前に進んでいけば、別にそれで過去の実績に負けてもかまわないかなと。でも、正直あれを超える方法を逆に誰か教えてくださいって話で。あの現象もあの現象でピコさんとかが頑張ったんで。僕のライバルは今ピコ太郎なんですよ。古坂大魔王は。ライバルはあいつですね。

(高市)
来年デビュー30周年ということで。節目で特にやりたいことっていうのも、おありかと思うんですけれども。

(古坂)
はい。本当たまたま、ピコ太郎が10周年を来年迎えると。で、僕は30周年ということで。僕、実は全国のライブハウスをインターネットにつなげたいんですよ。椅子入れて100人入れるライブハウスなら、いま半分で50人でしょ。きっと今ならね。50人クラスのライブハウスが10個あれば500人なんですよ。それをつないだフェスやりたいんですよね。

(高市)
ライブハウスを、ご自身のブレイクのきっかけになったネットを使ってつなげる?

(古坂)
つなぎたいんですよ。全部を双方向にして歓声が聞こえるようにして。各ライブハウスをつないで、順番に次、青森。次は北海道。次は名古屋。次は福島。次は九州、みたいな感じで。各地域にMCとバンドがいるっていう、それをみんなが爆音で、ライブハウスで見るっていうイベントしたいんですよね。僕ね、あんまりビジネスにしたくないんですよ。今、お笑いや音楽やいろんなものをビジネスに落とし込んでうまくやってる人たちがたくさんいます。それ素晴らしいな。頭いいなと思うんですけど、それはそれで構築してもらって。僕はあくまでもウケてギャラもらうっていう。何かそういう感じでやって行きたいんですよね。僕のこの人生はそれがいいなと思うんですよね。

(高市)
幼稚園でのサル役の「ウケたい」から、ずっとつながってる思いが最後に出てくるとは驚きました。

(古坂)
つながっていると思うし。もっと言うならば高市さんもきっとね、そんなに変わってないですよ。僕は思うんですよ。みんな人って、あんまり変わってないんですよ。周りの部分が増えただけで、おおもとのコアは全然変わってない気がして。それをたまに見つめ直すのがいい気がしているんですよね。


「インタビューここから 古坂大魔王」
放送は、総合テレビで9月23日(木)午前6時30分からです。
https://www.nhk.jp/p/a-holiday/ts/M29X69KZ1G/episode/te/XM655MJ2NW/