“ながらスマホ”の果ての自転車事故で

それはちょっとした油断からだったのかもしれません。
しかし、取り返しのつかない事故となりました。

自転車に乗った高校生はスマホを操作しながら運転し、男性に突っ込みました。男性は「子どもたちが安全に通学できるように」と強く願い、交通安全の見守りをしていました。

男性は2年たった今も寝たきりで、ことばを話す事ができません。
「こんなことは二度と起こらないでほしい」家族は訴えています。

(神戸放送局記者 金麗林 / ネットワーク報道部記者 田隈佑紀)

自転車にはねられ、意識不明の重体に

事故が起きたのは2019年6月の朝でした。

兵庫県伊丹市の市道で、近くに住む冨田稔さん(79)が自転車で登校中の高校生にはねられ、意識不明の重体となりました。

当時、新人記者だった私(=金)。

神戸放送局に赴任して1か月余り、事件や事故の取材を担当していました。

「自転車に衝突された人が意識不明の重体になるとはいったいどのような事故だったのか」

警察の広報を聞き、ご家族を訪ねました。

目立つ格好なのにどうして…

冨田さんの妻の益代さんと、娘の真澄さんが迎えてくれました。

冨田さんは毎朝、登校する子どもたちを見守るボランティア活動を行っていて、事故が起きたその日も活動していました。

ボランティア中の様子を撮影した写真です。

道路の脇の電柱のそばに立ち、黄色の帽子に黄色のベスト、黄色の旗を持っています。

当日も同じ格好をして、いつもと同じ場所に立っていたといいます。

はねられたのは、自宅近くの見通しの悪い五叉路。

朝夕は、通勤や通学の人で車や自転車の往来が激しい場所です。

冨田さんは遠くからでも目立つ格好で、道路脇に立っていたのにもかかわらず、自転車にはねられました。

私は2人の話を聞いても、すぐに信じることができませんでした。

小さな違反の積み重ねが重大な事故に

「どうして目立つ格好をして、電柱のそばに立っていた人に自転車がぶつかったのか」

警察に取材をすると分かってきたことがありました。

それは自転車の小さな違反の積み重ねが、重大な事故につながったということです。

自転車を運転していた高校生は、「スマートフォンを操作していて前をよく見ていなかった」などと話していました。

法律で禁止されている、いわゆる“ながら運転”です。

さらに、自転車は原則として左側を走るのが法律で決められたルールですが、事故を起こした自転車が走っていたのは、道路の右側でした。

自転車がルール違反を積み重ね、冨田さんに大けがを負わせる重大な事故を引き起こしてしまったのです。

子どもたち励まし 安全願い続けて

冨田さんは高校の教師でした。

退職後の2012年、京都府亀岡市で登校中の小学生の列に車が突っ込んだ事故をテレビで見て衝撃を受けていたそうです。

「孫がちょうど小学1年生になったばかりの時期だったこともあり、子どもたちを守らねばとボランティアを始めたんですよ」(益代さん)

それから7年間、ほとんど毎朝、通学路に立って児童の登校を見守り続けました。

ひとりひとりの名前を覚え、元気がない子を励まし、ケンカをしたと落ち込む子からは話を聞くなど、ちょっとした小さな変化にも気遣っていました。

地域の保護者からも頼られる存在でした。

冨田さんはボランティアを生きがいとして、孫が小学校を卒業しても「自分が元気なうちは通学路に立ち続けるんだ」と常々、口にしていたそうです。

父の日の誓い その翌日に

交通事故を防ぐため、冨田さんは信号機を設けてほしいと、伊丹市や警察に何度も訴え続けていました。

「道路の構造上、信号機の設置は不可能」という回答だったということですが、危険性は認識され、その後、交差点には新たに歩道とグリーンベルトが設けられました。

しかし、まだ不十分と考えた冨田さんは、事故が起きる4日前にも伊丹市に直接電話をして信号機の設置を訴えていました。

事故の前日の6月16日、「父の日」に集まった家族を前に「体力的に旗振りができるかぎり立ち続ける。年を取って自分が通学路に立てなくなっても、子どもたちが安全に通学できるよう信号機を設置することを人生の集大成とする」と話したといいます。

そして翌日、事故に遭いました。

「これだけ子ども見守り続けてきたのに事故に遭ってしまい悔しいのひと言です。こういう結果で終わってしまうと父も無念だと思います」(真澄さん)

「おじちゃんがいなくてさみしいよ」

事故から3か月後、病院にお見舞いに伺いました。

意識は戻ったということですが、話すことや、体を動かすことができません。

家族が交代で寝たきりの冨田さんの看病を続けていました。

子どもたちから「はやく良くなってね」「おじちゃんが朝いなくてさみしいよ」と書かれた寄せ書きが届いていました。

“スマホのながら運転”の自転車が、ひとりの、家族の人生を大きく左右してしまう。

冨田さんと懸命に看病する家族の姿を見て、ルールを守らない運転をする人をなくしていきたいと強く思いました。

それでも後を絶たない “ながらスマホ”

「やってはいけないことだと分かっていたけれども…」

「急いでいてうっかりしていたので…」

自転車の“ながらスマホ”や右側通行は法律で禁止されています。

しかし、「ちょっとの違反だからいいだろう」とか「誰にも迷惑かけないし」とか、安易に考えてしまうことありませんか?

兵庫県警によると県内で、自転車に重い過失があった事故が去年は約1400件起きています。

警察は冨田さんの事故をきっかけに、ルールを守らない自転車の取締りを強化しています。

5年前の2016年は2638件だった検挙数は、事故が起きた年は1万1012件。

去年、過去最多の1万1629件でした。

このうち、通話をしたり、スマホの画面を見たりしていた、携帯電話に関係する違反は455件に上りました。

家族の願い“みんながつらい思いしないために”

事故から2年余りがたちました。

冨田さんは79歳になり、サービス付き高齢者向け住宅に移りました。

呼びかけに体が反応するものの、今も、ことばを話すことや意思の疎通をとることはできません。

新型コロナの感染対策のため、家族もなかなか会えていません。

家族としてそばにいることができずつらいと、妻の益代さんと娘の真澄さんは話します。

真澄さんは、ことしに入って“ながらスマホ”の小学生とすれ違い、父の事故を思い出して、怒りと涙が込み上げてきたそうです。

「学校に手紙を書いて、子どもたちに指導してほしいとお願いしました。父のように人生を奪われる事故を繰り返してはなりません」(真澄さん)
「ルールを守って、ひとりひとりが危機感を持って注意に注意を重ねて自転車を運転してほしい。あなたも私もみんなで事故のないように努力していきましょう。もうそれしかないです。こんなことは二度と起こっては困ります。本当につらいです。私だけじゃなくて、みんながつらい思いをしないために」(益代さん)

便利だけれども、誤った使い方をすると凶器にもなる自転車。

ルールは必ず守ってハンドルを握ってほしい。

冨田さんと家族の願いです。

視野が“95%減少”も ながらスマホの危険性

“ながらスマホ”は一体どれだけ運転に影響を与え、危険なのか。

体感してもらうことで、安全な運転につなげる取り組みも始まっています。
大手通信事業者のKDDIが開発したのはVR=仮想現実のゴーグルです。授業で活用してもらうため2019年から無償で貸し出しています。

スマートフォンを見ながら運転し、危険な状況に反応して手元のスイッチを押し、きちんとブレーキをかけることができるかを画面上で体験します。

VRでは、運転中に手元のスマートフォンに次々とメッセージが届き、読みながら進んでいると車の陰から歩行者が出てきます。

自転車の走行速度は平均的な10キロ程度ですが、体験したほとんどの生徒が寸前まで歩行者の存在に気が付かず、ブレーキが遅れ、ぶつかってしまうといいます。
(体験した高校生の話)
「視野が狭くなり、出てきた人に全く気が付きませんでした。とても怖かったです」
「想像していたよりも危険でした。信号待ちなどついついスマホが気になってしまいますが、もう見ないように気をつけたいと思います」

移動しながらスマホを操作した場合の視野への影響を研究した愛知工科大学の小塚一宏名誉教授によりますと、通常人間の注意が向く視界の範囲は左右6メートルほどですが、スマートフォンを見ながらでは30センチほどにまで縮まり、至近距離になるまで気が付くことができないといいます。

(小塚一宏名誉教授)
「自転車の速度を考えると直前に人に気付いてからでは止まることはできず、“ながらスマホ”は非常に危険です。最近はスマートフォンの地図アプリが普及するなど、ついスマホを見てしまうような状況になりやすくなっています。運転中は絶対にスマホを見ず、もし確認する場合には必ず安全な場所に停止をしてからにするよう意識を徹底する必要があります」