棺で眠る母と過ごした最後の7日間

棺で眠る母と過ごした最後の7日間
白血病の闘病の末に、病院で亡くなった母。

しかし、“コロナ禍”により、面会が制限され、思うような見舞いができず、最期のときにも寄り添うことがかなわなかった家族。

「母の死をどうやって受け入れればいいのか」

残された家族が選んだのは、母の遺体と一緒に自宅で1週間過ごすことでした。

後悔しない弔いとは。

コロナ時代の“弔い”のかたちを追いました。

(大阪拠点放送局 記者 清水大夢 ディレクター 小林あかり)

コロナ禍の闘病 寄り添えなかったことが「心残り」に

去年9月。
茨城県に住む平間弘隆さんの母、幸江さんは白血病のため65歳で亡くなりました。

孫たちからも「幸江ちゃん」と呼ばれ、家族の笑顔の中心にいた母。

闘病生活は2年以上に及びました。
しかし新型コロナの感染拡大によって面会に制限があり、入院している母には思うように寄り添うこともできません。

病気の寛解を目指してリスクのある移植手術を受けるかどうかなど、母が命に関わる重要な決断を下すとき、そばにいてあげられなかったことが、平間さんにとって大きな心残りになりました。
平間弘隆さん
「母は決して弱音を吐いたりしない人だったので、メールのやり取りだけでは、つらさとか悲しさとか、本当の気持ちを聞いてあげることも難しかった。コロナのせいで孤独な闘病生活にさせてしまい、やり場のない怒りと悲しみがこみあげてきた」

選んだ「自宅葬」 自宅で“ふだん通りの時間”を

9月18日、母・幸江さんが他界。

病院から無言で帰宅しました。

後悔のないお見送りをしたいと、平間さんが選んだのが「自宅葬」。

葬儀ホールなどを利用せず、すべて自宅で行うことにしたのです。

コロナ禍で奪われた最後の別れの時間。

それを取り戻すことができればと、特別なことはせずできるだけ「ふだん通りの時間」を過ごすことを決めました。

棺で眠る母と寝食をともに

寝食は棺(ひつぎ)の中で眠る母と共にしました。

幸江さんが眠る部屋には、精進料理ではなく、生前好きだった料理が並びます。

家族でよく通ったレストランの料理や、平間さんの妻・沙知さんの作るおでんなどを、家族みんなで囲みました。
納棺も家族で行いました。

ゆっくりと時間をかけて幸江さんを棺に納め、家族みんなで、幸江さんの体を声をかけながらさすり、闘病生活をねぎらいました。

母との思い出の写真で棺の周りを飾り…

7日間かけて行われた幸江さんの自宅葬。

時間にゆとりがある中で家族が始めたのが、たくさんの写真で棺の周りを飾ることでした。

孫たちと訪れたテーマパークや、海外旅行。

写真の一枚一枚が、幸江さんと過ごした家族の大切な歴史です。
幸江さんが最も大切にしていた娘と息子の2ショット写真は、棺にいちばん近いところに飾りました。

祭壇は幸江さんの人生を表す写真の数々で彩られ、家族の思い出話に花を咲かせました。

心の整理がつき 母の死を受け入れて…

母との思い出をゆっくりと振り返ることができた、自宅での最後の時間。

7日間、遺体が傷み始めるギリギリまで一緒にいられたことで、心の整理がついていったといいます。
平間弘隆さん
「少しずつ階段を下っていくように気持ちを落ち着け、母の死を受け止める時間になりました。母らしい見送り方を模索する中で、そのたびに心の中の母と会話して、その過程こそ、弔いの納得感につながっているんだと思います」

見送りに立ち会えなかった古くからの友人も

一方、コロナ禍で別れの時間を奪われたのは、家族だけではありません。

葬儀の後に届いた一通の手紙。

送り主は幸江さんの古くからの友人でした。

亡くなったことを知らず、病気の回復と再会を願うことばがつづられていました。

家族だけで弔ったが、友人たちにも別れの場が必要だったのではないか。

そう考えた平間さんは、ことし8月に迎えた初盆の法要に、幸江さんの友人や知人を招くことにしました。

初盆当日。

平間さんが、遺影を前に手を合わせてくれた古い母の友人に、そっと差し出したのはアルバムです。
そこには、自宅での最後の7日間が記録されていました。

たくさんの花に囲まれ納棺された幸江さんの写真。

「いい笑顔。すてきなお見送りをしてもらえたのね」。

そうつぶやいた友人の顔には、涙と同時に笑顔が浮かんでいました。

葬儀をやり直す「骨葬」というかたちも

多様化する現代の弔い。

「葬儀をやり直す」という動きも出ています。

大阪府の高槻市にある神峯山寺で行われているのが、すでに火葬されたあとの遺骨を前に法要を挙げる「骨葬」です。
ことし執り行われた「骨葬」は、去年の同じ時期と比べて、およそ2倍。

葬儀に不満や後悔の念を抱える人たちからの依頼が相次いでいます。

中には、新型コロナに感染して死亡し、葬儀を挙げたくてもあげられなかったという遺族からの相談もあったと言います。
神峯山寺 近藤眞道住職
「大々的な葬儀を挙げることが経済的に難しい人、家族が遠方で亡くなった人、コロナが理由で葬儀を挙げられなかった人など、遺族はいろんな事情を抱えてやってきます」

丁寧に弔えなかったことが心残りに

ことし6月末、取材に訪れたときに、ちょうど「骨葬」をしていた大阪府の喜多勝さん。

さいたま市で離れて暮らしていた姉が孤独死していると連絡を受けたときには、すでに死後1週間が経過しており、葬儀を挙げずそのまま火葬せざるをえませんでした。

丁寧に弔えなかったことが心に残っていたといいます。

「骨葬」で亡き姉の遺骨を前に、静かに手を合わせていた喜多さん。

住職が生前の姉の話を丁寧に聞き取ったうえ、1時間にわたって読経をしてくれたことで、抱えていた心残りが晴れたといいます。
喜多勝さん
「姉が亡くなったのを知ったときは突然のことで、いろいろなことを考える余裕がなかった。コロナでお葬式をやろうにも人も呼びにくいし。しかし、こうしていま、きちんとした形で送っていただけて、いい供養になった」
神峯山寺 近藤眞道住職
「葬儀の簡素化が進む現代において、残された人の気持ちはどうなるのだろうと、問題意識を持って取り組み始めた。葬儀の形は変われど、亡き人をきちんと弔いたいという気持ちは不変なのでは」

一般的な葬儀を挙げた割合 5年間で10%減少

1年半にも及ぶコロナ禍で、遠距離の移動や多人数での集まりが制限されるなど、弔いの場は、小規模化あるいは簡素化されるケースが相次いでいます。

葬祭事業を手がける会社が行ったアンケート調査では、葬儀ホールや公民館などを借り、故人の親戚や友人、それに職場の同僚などが集う一般的な葬儀を挙げるなどした人の割合は、去年は半数を切り、5年間で10%減少しています。※1

コロナ禍でも心残りがないようにできれば

今回、取材した私たちはともに20代で、これまで肉親の死を強く意識することは多くありませんでした。

取材を通じ「簡単に葬儀を済ませて心残りがある」「慌ただしくて気持ちの整理がつかなかった」と話す皆さんと、数多く出会いました。

弔いは、亡くなった人を供養するだけでなく、残された人たちが大切な人の死を受け入れ、生きていくための大切なプロセスなのだと、強く感じました。

コロナ禍で死に対する意識が強まっているいまだからこそ、そのときが来ても、心残りがないよう思いをめぐらせることが大事だと思いました。
●この内容は、9月16日(木)の総合テレビ「クローズアップ現代+」でも詳しくお伝えしました。
※1:「鎌倉新書」のアンケート調査。2020年=48.9% 調査数1979 / 2015年=58.9% 調査数1851。
大阪拠点放送局 記者
清水大夢
大阪拠点放送局 ディレクター
小林あかり