車いすテニス 国枝慎吾 涙の理由 もがき苦しんだ日々

今月4日に行われた東京パラリンピック、車いすテニスの男子シングルス決勝。国枝慎吾選手(37)は、相手のショットがネットにかかって2大会ぶりの金メダルが決まった直後、乾いたまめで硬くなった手のひらで目頭を押さえた。スタッフに抱きしめられ、涙。日の丸にうずくまって、また涙を流した。いつもの冷静さとは異なる感情を高ぶらせる姿だった。

表彰式の後、国枝選手は意外な心情を吐露した。
「今回は金メダルは無理なのではと思っていた」
日本選手団の主将も務めた第一人者は、人知れずもがき苦しんでいた。

胸の内に秘めていた苦悩

戦いを終えた翌日、国枝選手はNHKの単独インタビューに応じた。大会中は「全然疲れを感じない。若返ったんじゃないか」と話していたが、「終わった瞬間に反動が来ましたね」と苦笑いしながら疲労の色を隠さなかった。
「金メダルは無理だと思った」と試合直後にもらした理由を尋ねるとゆっくりと口を開いた。
国枝選手
「去年9月に全米オープンを制した後から自分のパフォーマンスを最大限発揮できる体ではなかったというのが正直あった。どこの部位かは言えないが、それが重圧に拍車をかけた。テクニック面でも、ことし2月の全豪オープンで敗れてからパラリンピックが迫っているというプレッシャーもあり『このままじゃいけない』という迷いが生じた。3月くらいからずっと眠りが浅かった」
パラリンピックが開かれるはずだった2020年、国枝選手は1月から2月に開かれた全豪オープンを制し「自分史上いちばん強い」と胸を張るほど仕上がりは万全だった。しかしその直後、大会の1年延期が決定する。
30代後半の国枝選手にとって、一度合わせた照準を定め直して体調を維持することは簡単ではなかった。ことしに入ると体のコンディションが整わず、思うようなショットが打てなくなった。「体」と「技」への不安は「心」にも影を落とし、眠れない日々が続いた。時には睡眠薬を頼ったりベッドに横たわり体だけでもなんとか休めようとしたりした。
大舞台が刻一刻と近づく中、6月の全仏オープンは準優勝、7月のウィンブルドン選手権では1回戦敗退と、金メダルを争うライバルたちに勝ちきれない試合が続いた。
国枝選手
「負けるたびに何かを変えたことで、糸が絡まってしまい何が正解かがわからなくなってしまった。今度は絡まった糸をほどいて元に戻そうとしても、体が思い出せなくなっている。ウィンブルドンのころはあと1か月しかなく重圧だった。毎日のように昔のビデオやノートをすべて見返した。自分のテニスの経験上、こんなに何年も過去をさかのぼったこともないくらい、何かヒントはないかとあがき続けていた。時間との闘いだった」

挫折から5年の経験

もがきにもがいた末、光がようやく差し込んだのは、パラリンピックのわずか1週間前だったという。
国枝選手
「僕もコーチも、最後は『お互いに腹をくくってどんな結果でもこれをやりきろう』と決めて貫くことにした。本当にギリギリ。あと1週間大会が早かったら、たぶん金メダルはなかった」

いちばん大きかったのは、国枝選手の代名詞で、攻撃を組み立てる生命線ともいえるバックハンドの復調だった。
2018年から指導する岩見亮コーチと話し合い、この1年に試行錯誤してきた努力はすべて捨て、最後の1か月で去年までのバックハンドの打ち方に戻すことを決断した。急な修正ではあったが、大会1週間前にはなんとか形にすることができた。去年から続く体の調子も北嶋一紀トレーナーの献身的なサポートによって少しずつ上向いてきた。
なぜ、国枝選手は大会本番まで時間がない窮地から活路を見いだすことができたのか。
5年前、国枝選手は3連覇のかかったリオデジャネイロ大会でひじのけがと若手の台頭からベスト8敗退という屈辱を味わった。その後、一時は引退も考えたが、「万全な状態ならば若手にまだ負けないことを証明したい」と、どん底からはい上がり、2018年に世界1位に返り咲いた。
王座を明け渡し、挑戦者として再び頂点を目指し走り続けてきたこの5年間の経験が自らを救ったのだという。

国枝選手
「リオでの挫折の経験が大きかった。チャレンジャーとして再出発してからは何のけがもなくプレーできる喜びを再認識した。大会に負けた帰りの飛行機では『体さえ無事であればまた進めるし、進めるならばどんどんチャレンジしていけるよね』と思えるようになった。その考えがきょうにつながった」

“熱狂させたい” パラスポーツの未来へ

重圧、不安。それらを乗り越えた国枝選手は、強かった。
準々決勝は、15年にわたり世界のトップを争ってきた宿敵、50歳のウーデ選手を2時間18分の熱戦の末に撃破。
準決勝では、国枝選手が「ことしいちばんのテニス」と振り返る会心の内容でリオデジャネイロ大会金メダリストのリード選手を寄せつけなかった。
世界ランキング8位のエフベリンク選手との決勝は、ネットダッシュ、素早いチェアワーク、大会直前に感覚を取り戻したバックハンドのダウンザラインと、国枝選手の引き出しを全開にした試合だった。
「僕は、パラリンピックはスポーツとしての魅力にこだわりたい。そうすることで、人々の考え方を変え『障害のある人たちでもここまでできるんだ』とか『うわ、すごいな』などと思うようになる。それこそ、共生社会とか多様性とか、そんな言葉がいらなくなることが一番の理想。世界が、もっとシンプルに、競技を楽しめるようなパラリンピックになってほしい」

取材に対して常々、「人々を熱狂させたい」と繰り返してきた国枝選手。東京大会で見せたテニスと涙には、2009年にプロ宣言をして以来、プレーを通じて競技の魅力を発信することを使命としてきた国枝選手のきょうじが凝縮されていた。