震度7の地震からあすで3年 37人犠牲 北海道厚真町で追悼式

北海道で震度7の揺れを観測した地震から6日で3年となります。37人が犠牲になった北海道厚真町で追悼式が行われ、参列した遺族などが亡くなった人たちを悼みました。

3年前、北海道の胆振地方を震源とする震度7の揺れを観測した地震で、厚真町では大規模な土砂崩れが起きるなどして、災害関連死を含め37人が亡くなりました。

地震から6日で3年になるのに合わせて、5日新たに完成した慰霊碑の除幕式が行われました。

この慰霊碑は時計をモチーフにしていて、地震が発生した午前3時7分を示す針が刻まれているほか、中心部にある黒の御影石は太陽をイメージしているということです。
続いて行われた追悼式では、宮坂尚市朗町長が「犠牲となった37人の方々とこの地で同じ時を生きた証しを刻み、改めてふるさとのあしたを切り開く誓いを立てました。被災者に寄り添い、だれ1人として取り残すことのない復旧・復興を目指して、たゆまぬ努力を続けていきます」と式辞を述べました。

また遺族を代表して両親を亡くした中田仁さんは「山間部にはいまだ地震の爪痕が多く残り、新しい生活環境になじめていませんが、私の両親を含めた皆さんの思いを引き継ぎ、これからの厚真町の復興、発展に努めていきたい」と述べました。

会場には献花台が設置され、参列した遺族などが花を手向けて犠牲者を悼みました。

厚真町に献花台

厚真町の総合福祉センターには献花台が設けられ、3年前の地震で家族や知人を亡くした人が花を手向けた後、静かに手を合わせていました。

4年前に神奈川県から厚真町に家族で移住した42歳の男性は「引っ越してきたときにお世話になった役場の方が亡くなったので、『安らかに』と手を合わせました。子どもも厚真町にずっといたいと言ってくれているし、お世話になっている人がたくさんいるのでこれからも住み続けたいです」と話していました。

また厚真町の社会福祉協議会で住民の支援にあたっている50歳の男性は、「私自身、気持ちに折り合いをつけていいのかわからないまま3年を迎えました。いろんな方々が今も応援してくれるので、励ましを力に変えて進んでいきたいです」と話していました。

遺族「後世に伝えていかなければ」

厚真町の中村忠雄さん(59)は3年前の地震で自宅が土砂に押しつぶされ、同居していた母親のミヨさん(当時76)を亡くしました。

中村さんは地震のあと、町内の仮設住宅で暮らしてきましたが、去年11月から災害公営住宅で1人暮らしをしています。

中村さんは「やっと生活が落ち着いてこの部屋にも慣れてきました。お盆の時期や、地震のニュースを見ると母のことを思い出します」と話していました。

5日は追悼式に参列し、献花台に花を手向けたあと静かに手を合わせていました。

町が設置した慰霊碑には、ミヨさんを含め厚真町で犠牲になった37人の名前が刻まれています。

中村さんは「追悼式に参列して3年間はあっという間だったと感じました。慰霊碑ができてひと区切りがついたと思いますが、ずっと忘れないために建てられたと思うので、大事にしていきたいです」と話していました。

そのうえで「年を重ねると地震を忘れがちになりますが、この出来事は後世に伝えていかなければならないと思っています」と話していました。

厚真町 宮坂町長「森林再生これから 景観取り戻したい」

厚真町の宮坂尚市朗町長は追悼式のあと記者会見を開き、町の復旧状況について「インフラは順調に進んでいるが、山腹が崩壊した森林の再生はこれからなので、できるだけ早く景観を取り戻したい。それが被災者の心を癒やすことにつながるのではないか」と述べました。

また宮坂町長は、地震から3年となり、風化が懸念されているとした上で「震災の記憶、被災の出来事を風化させない努力を続けなければならない。震災の記憶と記録、教訓をつないでいくことで、全国の支援の恩返しにつながると思う。すべてに対して備えが大事だと伝えていきたい」と述べました。