パラリンピック テコンドー女子 太田は敗者復活戦で敗れる

東京パラリンピックの新競技、テコンドー女子58キロを超えるクラスで太田渉子選手が敗者復活戦の2回戦で敗れ、メダル獲得はなりませんでした。

東京パラリンピックの新競技、テコンドーは最終日の4日、女子58キロを超えるクラスと男子75キロを超えるクラスが行われ、女子58キロを超えるクラスに日本の太田選手が出場しました。

太田選手は冬のパラリンピックにクロスカントリースキーなどで3大会連続で出場し2つのメダルを獲得していて、夏と冬の両方の大会でのメダルを目指していました。

太田選手は初戦の準々決勝でウズベキスタンのグルジョノイ・ナイモワ選手と対戦し、第1ラウンドでは序盤から次々に蹴りを決められて、11ポイントの差をつけられました。

第2ラウンド以降は積極的に前に出て2連続ポイントを奪う場面もありましたが、12対37で敗れ敗者復活戦にまわりました。

敗者復活戦は1回戦が不戦勝となり、2回戦では太田選手より一回り以上大きいオーストラリアのジャニン・ワトソン選手と対戦しました。

試合は相手に攻撃をうまく防がれるなど苦しい展開となり、12対32で敗れました。

太田選手は夏と冬の両方の大会でのメダル獲得はなりませんでした。

女子58キロを超えるクラスは、金メダルが太田選手と準々決勝で対戦したウズベキスタンのグルジョノイ・ナイモワ選手、銀メダルがブラジルのデボラ・ベゼーハ ジメネーゼス選手、銅メダルがイギリスのエイミー・トゥルースデール選手と、太田選手と対戦したオーストラリアのジャニン・ワトソン選手でした。

夏・冬メダル…日本選手2人目の快挙ならず

太田選手は敗者復活戦で敗れて大会を終え、日本選手で2人目となる夏と冬のパラリンピックでメダル獲得の快挙はなりませんでした。

生まれた時から左手の指がない太田選手は、子どものころ「左手を見られるのが嫌だった」と振り返ります。

そうした思いを小学3年生から始めたスキーが拭い去ってくれました。

右手で持つストック1本だけで、雪上をさっそうと滑っていく姿は周囲を驚かせ「最初は『ストック1本の子』と呼ばれていたが、いつの間にか『太田頑張れ』と応援してもらえるようになった。指がなくても自分の強みとして生かせる」とどんどん自信を深めていきました。

冬のパラリンピックには2006年のトリノ大会に初めて出場しバイアスロンで銅メダルを獲得、続くバンクーバー大会ではクロスカントリースキーで銀メダルを手にしました。

さらに2014年のソチ大会には3大会連続で出場してバイアスロンとクロスカントリースキーに臨み、メダル獲得はなりませんでしたが開会式で日本選手団の旗手を務めました。

この大会のあと第一線を退いた太田選手が、パラテコンドーと出合ったのは東京大会で新競技としての実施が決まっていた2015年、ソチ大会の翌年でした。

パラスポーツへの情熱が衰えず、さまざまな競技の普及に力を入れる中で国内で競技人口が少ないテコンドーを体験しました。

太田選手は「パラスポーツを通して多くの経験や成長ができた。パラテコンドーの選手が国内で少なかったので、自分が競技をすることでたくさんの人に知ってほしい」という思いに加えて「障害で悩んだ幼いころ、スキーを通して得られた喜びをほかの競技でも伝えたい」とスキーとは全く異なる対人の格闘技に挑戦することになったのです。

長年スキーで培った安定した下半身をいかし威力のある蹴りができるようにもなり、日ごとに技術を上げていきました。

競技を始めてわずか3年ほどで全日本選手権を制し、その後、2回の優勝。
おととしの世界選手権では銅メダルを獲得しパラテコンドーでも世界のトップクラスの選手になりました。

冬のパラリンピックと合わせて東京大会で4回目の出場となった太田選手は初戦の準々決勝と敗者復活戦で敗れメダル獲得はなりませんでした。

冬の大会のメダリストとして、26歳の時に出会ったテコンドーで初めて夏の大会に挑みましたが、夏と冬のパラリンピックでメダル獲得という日本選手2人目の快挙はなりませんでした。