戦没者の遺骨 DNA鑑定の対象拡大 遺族の申請あれば鑑定実施へ

太平洋戦争で犠牲となった戦没者の遺骨について、厚生労働省はことし10月から身元を特定するDNA鑑定の対象を拡大します。遺骨が収集されたすべての地域で、遺留品などの手がかりがなくても遺族の申請があれば鑑定を実施することにしています。

太平洋戦争による海外での戦没者は、沖縄と硫黄島を含めておよそ240万人に上り、国はこのうち128万人の遺骨を収集しています。

平成15年度からはDNA鑑定を開始し、身元が特定できた遺骨については遺族のもとに返しています。

ただし、当初は印鑑や名前の入った万年筆といった遺留品が見つかるなど、身元につながる手がかりのある遺骨に限って鑑定を行ってきました。

すべての遺骨にDNA鑑定を実施すると膨大な労力と時間がかかるためです。

こうした状況のなかで、これまでにDNA鑑定で身元が特定されたのは、まだ1200人ほどにとどまっています。

最近は遺留品が残っている遺骨も少なくなっていて、遺族などからは「対象を拡大してほしい」という声も上がっていました。

このため、国は4年前の平成29年度から沖縄で、また、昨年度からは硫黄島と太平洋にあるキリバス共和国で見つかった遺骨について、手がかりがなくても広く鑑定を行う方針に切り替えました。

この結果、これまでに硫黄島で2人、キリバスでも2人と合わせて4人の遺骨の身元が判明しました。

これを受けて厚生労働省は、ことし10月をめどに遺骨が収集され検体が保管されているすべての地域で、手がかりがなくても遺族から申請があればDNA鑑定を行う方針を打ち出しました。

一方で、DNA鑑定の制度自体を知らない遺族も多く、試行的に公募が行われた沖縄では、戦争でおよそ19万人が亡くなりましたが、この4年間に申請した遺族は1130人です。

国は、対象を拡大するだけではなく鑑定制度の周知を徹底し、遺族に広く申請を呼びかけていく必要があります。

遺族「遺骨返還で記憶よみがえった」

遺留品などの手がかりがなくてもDNA鑑定を始めた地域では、遺骨の身元が特定され、遺族の元に帰ったケースが出てきています。

長崎市の野村貞之さん(92)は8歳年上の兄・正敏さん(当時23歳)を太平洋戦争の激戦地、キリバスのタラワ環礁で亡くしました。

おととし9月、厚生労働省からタラワ環礁で見つかった遺骨のDNA鑑定の案内が届き、これに応じました。

その結果、正敏さんの遺骨が確認され、ことし2月、弟の貞之さんのもとに帰ってきました。
正敏さんは5人きょうだいの長男で、父親が早くに亡くなったため学校にも行かずに働きに出て一家を支えていました。

弟の貞之さんにとって父親代わりの存在だったといいます。

正敏さんは海軍佐世保鎮守府の陸上戦闘部隊に所属し、昭和16年21歳の時に出征しました。

見送りの時、貞之さんが「兄ちゃん死んだらだめだよ。帰ってきてよ」と叫ぶと、手を挙げて応えてくれたといいます。

しかし、家族にとってはそれが最後の姿になりました。

貞之さんは兄の遺骨が帰ってきたことで、こうした幼いころの記憶が鮮明によみがえってきたといいます。
野村貞之さんは「経済的に恵まれていなかったため、私は入学式の前日までランドセルを用意できずにいましたが、前日の夜になって兄がランドセルを買って部屋に届けてくれました。そんな記憶がよみがえり、今でもランドセル売り場を見ると優しかった兄を思い出し涙が込み上げてきます」と話していました。

そのうえで「遺骨が戻ってきて初めて、兄が戦争に行き、遠い国の炎天下の中で亡くなったのだと実感しました。ようやく供養することができ本当の意味で戦争は終わったんだと感じています」と話していました。

国や自治体にさらなる支援を求める声も

一方、DNA鑑定の対象を拡大するだけでは、遺骨の返還は進まないと、国や自治体にさらなる支援を求める声も上がっています。

沖縄で遺骨を収集し、遺族のもとに返す活動をボランティアで行っている浜田哲二さんは、DNA鑑定の制度自体を知らない遺族が多くいる現実を目の当たりにしてきました。

ことし1月、浜田さんが沖縄で収集した遺骨のうち、1人の身元がDNA鑑定で明らかになりましたが、この時も、遺族は鑑定制度を知らず浜田さんが一から説明をして申請書の作成などを手伝ったといいます。

浜田さんは、去年からことしにかけて、沖縄南部の複数の地区で9人の遺骨を収集しました。

当時の資料を調べた結果、北海道や東北から出征した人たちが、それぞれの地で亡くなった可能性があること分かり、現在、その遺族を一人一人訪ね歩いています。
今月8日には、叔父といとこを亡くした北海道に住む河村昇さん(89)のもとを訪れました。

河村さんは戦時中、亡くなった2人と同じ家で暮らしていて、戦争が終わったあとも遺骨の帰りを待ち続けていました。

DNA鑑定の制度があることは、報道などを通じて知っていたものの、誰が対象で、何をすれば鑑定してもらえるのかは、全く分からなかったといいます。

浜田さんから説明を受けて、ようやく仕組みを理解でき、DNA鑑定の申請書を作成しました。
河村さんは「一度、役場にDNA鑑定の話を聞きに行ったが、理解できるような説明を受けられませんでした。遺骨が見つからず、『まだ生きているのではないか』と思ってしまうこともあり、戦死したことを心から受け入れられずにいます。何とか遺骨の身元が特定されるよう願っています」と話していました。
ボランティアの浜田哲二さんは「DNA鑑定の制度を詳しく知らず、何をしてよいか分からないという遺族が圧倒的に多い。国が戦争に送り出した以上、遺骨を遺族のもとに返す責任があると思いますが、今は私のようなボランティアが遺族のもとを回って声をかけなければ先に進まないのが現状です。そうした活動にも限界があるので、国や市町村が遺族一人一人に直接、声をかけていかなければ周知は進まないと思います」と話しています。