子どもたちは都会へ 衰退の町がすがった ふるさと納税の魔力

子どもたちは都会へ 衰退の町がすがった ふるさと納税の魔力
ふるさと納税の返礼品の人気ランキングから突如、消えた町があります。成功例として全国から視察も相次いでいたその町はいま、1円の寄付も集められなくなっています。
(高知放送局記者 田中開)

子どもたちは都会へ出て行ってしまう

高知県東部、太平洋に面したその町の名前は「土佐日記」にも記されています。

「けふは、このなはのとまりにとまりぬ」と、紀貫之が都に帰る旅の途中で宿泊したことを紹介するなど古くから港町として知られてきました。
高知県奈半利(なはり)町。人口はおよそ3000。

マグロの遠洋漁業で発展した1960年代は、漁師たちが体を休める宿舎やスナックなどもあり町には活気がありました。

ところがマグロ漁船が県外に拠点を移すと閑散としていきます。

町長は町の歴史をこう振り返ります。
竹崎町長
「うちみたいな田舎は、まさに典型的な衰退する地方です。果物や野菜、米のブランド化、いろいろ取り組んでもどれも定着には至らず。子どもたちは、高校までは地元で育つけれど、そのあとは都会に行く。高齢化も止まらない。国からの地方交付税を口開けて待っているようなものです」

起死回生のふるさと納税

奈半利町の名が一気に全国に知られるようになったのが13年前(2008年)に始まった、ふるさと納税制度への参入でした。

ふるさと納税は、自分が選んだ自治体に寄付をすると、住民税などが控除される制度です。

地方で育ち、都会に出て仕事をする人たちなどに「ふるさと」に寄付をしてもらうことで、人口と税収が集中する都市圏から地方都市に税が振り分けられる効果が期待されています。
当時、総務大臣だった今の菅総理大臣の政治主導で運用が始まると、各地の自治体が競うように制度に参入しました。

奈半利町も制度がもたらす効果を期待してすぐに取り入れました。

実は、いまでは当たり前のようになっている特産物などの返礼品は当初はなく、自治体が善意の寄付を受けとっていました。

奈半利町も最初の1年間で集められた寄付はわずか13件でした。

寄付してくれる人を増やそうと、町は返礼品の仕組みを導入します。

キンメダイ、米、野菜、豚など、地元自慢の品々を全国に届けました。
すると、しだいに寄付額が増加。参入から7年で四国の自治体として初めて年間10億円を突破しました。

町は次々と新たな戦略を打ち出します。

当時の町の返礼品を紹介するサイトです。
「ドカンと5.7キロ!もっちり食感 奈半利ゆず豚」

「国産牛切り落とし 特盛 2.5キロ」
感謝祭、タイムセールといった売り方や「映える」見せ方などにも工夫を重ね、ふるさと納税の紹介サイトを見る人をひきつけました。

中でもヒットしたのは、1度の寄付で年間通して何度もお任せ商品が届く「定期便」でした。

多くの人がふるさと納税の申し込みをするのは年末。

ただ、年末に集中して寄付をすれば、年明けに大量の返礼品が一度に届き、冷蔵庫はいっぱいになってしまいます。
そこで奈半利町は、寄付は年末でも、返礼品を分散して届ける「定期便」にして「今月は何が届くだろう」というドキドキ感も味わってもらおうとしたのです。

返礼品に関わる事業者や町の忙しさも分散できる一石二鳥の仕組みでした。
「差別化」「付加価値」「ワクワク、ドキドキ感」「動画配信」「ブランド化」をキーワードに、寄付してくれる人たちに奈半利町をいかに身近に感じて喜んでもらうかを考え、生産者や加工に携わる地元の人たちを巻き込んでいきました。

当時の町の担当職員は、意気込みをこのように語っていました。
「奈半利町にとってふるさと納税というのは、もうこれしかないんです。これにしがみついて、町全体を変えていきたい。その一心でやっているんです。他に負けないという気持ちはあるがですね」
ふるさと納税の専門家も町の取り組みに注目していました。
神戸大学大学院経営学研究科 保田隆明准教授
「職員も極めて優秀なビジネスマンになっていましたね。週末のある時間帯だけ、すごいお得なものを出すフラッシュマーケティングなど革新的な取り組みもやっていました。つぶれそうな居酒屋もふるさと納税で息を吹き返して、活路を見いだしたり、80代のおばちゃんたちが生き生き働いていたり。奈半利町は数少ない、自分たちの特産品をつくることに注力していた自治体でした」
町の戦略はどれも的中し、平成29年度には寄付額が全国9位の39億円に達しました。

この頃、テレビではタレントのブルゾンちえみさんが大流行。

町の居酒屋では奈半利町の当時の町長が、これを真似て、振り向きざまに「39億!」と叫ぶ姿も見られたといいます。

かつて遠洋漁業がもたらした活気を思い出させるような瞬間でした。

全国の自治体からは、ふるさと納税を担当する職員が続々と視察に訪れました。
町の幹部
「どこに行っても、奈半利はすごいと褒めそやされる。鼻が高かったね」
ふるさと納税の寄付金は、奈半利町の税収の13倍になっていました。

ランキングから消えた町

奈半利町が制度に参入してから13年目の去年3月。

町の最重要事業となっていた返礼品“ビジネス”は突然、ストップすることになります。

理由は、ふるさと納税の業務を任されていた元職員の逮捕でした。

返礼品を扱う事業者や親族の事業者から約9370万円を受け取っていた疑いがあることがわかり、再逮捕され、起訴されました。
この逮捕をきっかけに次々と町の不正が明らかになりました。

ふるさと納税制度の指定を受けるために国に提出していた文書の虚偽や、返礼品基準の違反を繰り返していたことが発覚。

「返礼割合」という、寄付額に対する返礼品の調達などにかける資金の割合の高さが寄付額の50パーセントを超えるものが多く、中には最大で192パーセントと寄付額を上回る「超お得な」返礼品もありました。

「うなぎかば焼き」や「釜揚げシラス」など地場産品以外の返礼品を提供していたこともわかりました。
去年7月、奈半利町は、ふるさと納税の対象となる地方自治体の指定を取り消されました。

期間は来年7月までの2年間で、いまも町は1円の寄付も集められません。

人口3000の奈半利町が、ふるさと納税で集めた寄付金は117億7800万円。

しかし、そのほとんどを返礼品に使い、町には16億円余りしか残りませんでした。

ふるさと納税の魔力

ふるさと納税制度によって翻弄された奈半利町への1年半にわたる取材で、何度も耳にしたのが「ふるさと納税の魔力」という言葉でした。

全国的にはほとんど知られていなかった奈半利町は、ふるさと納税のフロントランナーになるなかで、返礼品事業に依存し、町も人も冷静さを失っていきました。

その行き着いた先が、職員の逮捕と町の不正の発覚でした。
町は、第三者委員会の報告書などをもとに、長年にわたって担当の職員を変えず、その職員を信用しすぎて任せきりにしたことや、組織内での情報共有ができていなかったこと、法令遵守のコンプライアンスが徹底されていなかったことなどが根本的な原因だと分析しました。

それでも、奈半利町は、現在ふるさと納税制度への復帰に向けて準備を進めています。

返礼品の選定の段階から第三者も含めた委員会を立ち上げるなど透明性を高め、不正を出さない仕組みを整備する予定だといいます。

職員のひとりは「全く白紙の段階から出直すことになります」と意気込みを語る一方、「ふるさと納税は結局、自治体主導のネット通販なんです。全国の自治体が知恵を絞って返礼品を出す中で、復帰後の奈半利が勝負していけるのかどうか」と話し、再び“競争”に身を置く不安を漏らしていました。

コロナ禍の巣ごもり需要で、いまも返礼品人気は衰えていません。

ふるさと納税に詳しい神戸大学大学院の保田隆明准教授は、奈半利町の経験から学ぶことがあると指摘しています。
保田准教授
「肉、米、かに、うなぎを出していれば自然と寄付は入ってくるわけですが、これらは事業者が潤うけれど波及効果が乏しく他の事業者が育ちません。

例えば有力な事業者があるとして、そこに自治体が依存すると癒着も出てきてしまう。それが奈半利町の教訓だと思います。そのためには、ある年数、ある程度の金額を稼いだ事業者は市場から追い出す仕組みが必要だと思います。

もうひとつは、自治体が集める金額に上限を設けることです。奈半利のような人口規模の町が100億円以上を集める必要は絶対になかったと思います。100億円以上集めた瞬間に、町として思考停止に陥ってしまうので、恒常的に財源不足の自治体が補助金のように使うのではなく、投資の観点が大切です。

地域の強みを再発見して「自治体の健康寿命」をのばすような、サステイナブルな地域を作ろうという使いみちが重要になっています」
ふるさと納税の光と影を経験した町。

その教訓は制度に参加する他の自治体にも生かされていくのか、取材を続けたいと思います。
高知放送局記者
田中開
平成30年入局
警察・司法担当
伝統芸能や先端科学の取材も
最近子どもが誕生
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