聖火リレー 栃木でスタート 第1走者はタレントの勝俣州和さん

東京オリンピックの聖火リレーは28日から関東に入り、28日朝、最初のランナーが栃木県足利市をスタートしました。

今月25日に福島県で始まった東京オリンピックの聖火リレーは、28日から関東に入り、栃木県足利市の陸上競技場で28日朝、出発式が開かれました。

式では、新型コロナウイルスの感染を防止するため、観客を事前に申し込んだ人だけに制限し、席の間隔を空けるなどの対策が取られ、ステージでは地元の子どもたちが力強い太鼓の音を響かせました。

このあと午前9時すぎに、栃木県内最初のランナーとなるタレントの勝俣州和さんが持つトーチに聖火がともされ、勝俣さんがゆっくりと歩きながらスタートしました。

一方、沿道では観客が密集しないよう、栃木県などが広報車を走らせて距離を取っての応援を呼びかけていますが、日曜日の28日は多くの人が詰めかけています。

観客が複数の列に重なる場面が見られると、スタッフが「密を避けてください」などと呼びかけていました。
沿道で応援した女性は「二度と見られないと思うので、すごく感動しました。ボランティアが密を避けるよう対応していたのでよかったと思います」と話していました。

また、足利市内に住む男性は「ちょっと密だという感じがします。無事に何とか開催できればと思いますが、心配なところはあります」と話していました。

栃木県の聖火リレーは28日と29日の2日間、県内の16の市と町で行われ、192人のランナーが聖火をつなぎます。

第1走者 タレントの勝俣州和さん「応援がすごくうれしかった」

栃木県の第1走者は、足利市のマラソン大会に毎年参加し、市の観光の魅力などをPRする「あしかが輝き大使」に就任しているタレントの勝俣州和さん(56)が務めました。

勝俣さんは、「お世話になっている街の代表として走るということで、自分が走ることによって多くの方に元気になってほしいという気持ちで走りました。街のかたが応援してくれたんで、それがすごくうれしかったです」と話しました。

走った距離が陸上競技場の中の80メートルほどだったことについては、「9か月ぐらい前から犬を飼い、一緒に1日10キロぐらい走っていたのでもっと走りたかったですね」と話していました。

著名人ランナーは直前まで非公表 密集解消しない場合は中断も

栃木県は聖火リレーの実施にあたり、新型コロナウイルスの感染防止対策のマニュアルをまとめ、沿道や式典会場で対策を取っています。

まず、沿道での対策です。

沿道ではランナーが走るルートを事前に県などの広報車が走り、人が密集しないよう呼びかけを行います。

著名人ランナーが走る区間などに観客が集中するのを避けるため、ランナーが走る区間については、スタートの30分前まで非公表とされています。

それでも多くの観覧客が詰めかけた場合は、密集の回避を呼びかけますが、解消しない場合はその場所でのリレーを中断し「スキップ」することもありえるとしています。

このほか、マスクを着け、大声を出さずに拍手で応援することや、住んでいる市や町以外での沿道での応援は控えること、それに、できるだけインターネットのライブ中継で見ることなどを呼びかけています。

次に、出発式など式典での対策です。

式典では観覧者の人数を制限し、事前の申込制としました。

会場では、来場者の検温や消毒を徹底するほか、スタッフも2週間前から体温などの健康状態をチェックシートに記入し、体調管理を行っています。

観客どうしはできるだけ2メートルの距離を確保できるようにし、動線を一方通行にするなどの対策を取るとしています。

前回の東京大会にちなんだ昭和39年生まれ「五輪子」さんも走る

聖火リレーを走った栃木県下野市に住む本田五輪子(いりこ)さん(56)は前回の東京大会が開かれた昭和39年生まれです。

聖火リレーが栃木県庁を出発した日に生まれたことにちなんで「五輪の子」と書いて「五輪子」と名付けられました。

祖父が「こんなにめでたいことはない」と名付けた名前でしたが、子どものころは自分の名前を少し恥ずかしく感じていたといいます。

その後、体を動かすことが大好きな五輪子さんは、体育教師になり、今は県内の中学校で非常勤講師をしています。

聖火ランナーに応募したのは、名前の由来となったオリンピックの聖火を自分の手でつなぎたいと考えたからです。

五輪子さんは、栃木県小山市で沿道から家族が応援するなか、聖火を手に満面の笑みを浮かべながら走りました。

沿道で応援した次男の翔さん(25)は「母親らしい笑顔で本当に楽しそうに走っていて感動しました。お疲れさまと言ってあげたいです」と話していました。

走り終えた五輪子さんは、「家族や親戚などたくさんの人に見守られながら夢のような楽しい時間を過ごすことができました。この名前を付けてくれた祖父には『2人の夢がかなったよ』と報告したいです。この東京大会が終わっても聖火を心の中でともし続けていきたいです」と話していました。