高校生たちが“人命救助や遺体搬送” 震災直後の手記

10年前の東日本大震災で800人以上が犠牲になった宮城県南三陸町で、高校生や高校教師が人命救助や遺体の搬送などを行った状況を記した手記をNHKが入手しました。
人の生死に関わる具体的な内容が含まれていて、初めて明らかにした高校教師は「風化させないためにありのままの震災を知ってほしい」と話しています。

手記は当時、宮城県南三陸町にある志津川高校で教師を務めていた百々智之さん(42)が震災の1か月後に書いたものです。

高台で津波の被害を免れた志津川高校では、当時校内にいた教師や生徒、住民などが高台から駆け下りて特別養護老人ホーム「慈恵園」に向かい、一時救助活動をしましたが、その詳しい状況は知られていませんでした。

百々さんの手記は、慈恵園での救助も含め3月11日から16日までの5日間について記されています。

手記によりますと、百々さんたち教師と生徒ら十数人は津波の第1波が引いた直後に浸水域に駆け下りて慈恵園に向かいました。
そのときの状況について手記には「慈恵園はがれきの山と化し、プロパンガスのガス漏れの音が不気味に響き地獄のような状態だった」「生徒たちに『絶対に死ぬなよ!』と声を掛け、がれきの中の生存者を探した」などと書かれています。
また救助された人が運び込まれた学校の保健室の様子も書かれていて、痛みで泣き叫ぶ人や寒さでけいれんが止まらない人などが集まり「地獄だった」と振り返っています。

慈恵園によりますと、津波に巻き込まれた入所者68人のうち28人が救出されました。残る40人に加え、救出された8人もまもなく死亡。犠牲者は合わせて48人に上りました。
さらに手記では震災翌日の3月12日、校舎内で死亡した人を教員たちで1つの場所に運んだ経験が書いてあるほか、まきとして使える木材を探しに生徒とともに浸水した地域に下りたところ、遺体と遭遇したため作業を中止して戻った経緯などが記載されています。

こうした人の生死に関わる内容について、百々さんは遺族や生徒の心情に配慮して公にすることを避けてきましたが、震災から10年がたち人々の関心が薄れていると感じたことから、初めて明らかにしたといいます。
百々さんは「事実を包み隠さず明らかにすることには反対する人もいて、自分も津波の映像を見ると恐怖心が沸く。しかし、それが本当の現実で次の災害に備えるためには包み隠さず伝えることが大切だと感じている。震災を風化させないために、ありのままの現実を知ってほしい」と話しています。

当時の高校生「後生に伝えることが使命」

震災当時、志津川高校の1年生で、百々さんたちと特別養護老人ホームに救助に向かった首藤大知さん(26)は「命の危険を冒してまで助けに行ったことが正解だったのかは、自分でもわからないが、後生に伝えることが使命だ」と話しています。

首藤さんは巨大地震が発生した当時、学校の校庭で野球部の部活動に参加していました。津波の第1波が襲来したときは高台の校庭にとどまり、波が一時引いたとき、ほかの部員たち数人と浸水した地域に降りて特別養護老人ホーム「慈恵園」に向かいました。

ホームに入ると高齢者がベッドに挟まれて亡くなっているのを目の当たりにしました。その時の光景が、いまだに忘れられないと言います。

首藤さんは「亡くなった方の瞳を見た時『なんで助けてくれなかったんだ』と訴えている気がしました。もっと早く動いていれば、多くの人の命を救えたのではないかという後悔がいまでも残っています」と話していました。

首藤さんたちは第2波が来るまで救助を行い、近くにあった畳を担架代わりにするなどして数人を救出し、生徒たちが津波に巻き込まれることもありませんでした。
首藤さんは大学進学後教師となり、現在は石巻市の中学校で数学を教えています。毎年3月11日が近づくと、生徒たちに自分の体験を話し命の大切さや防災について教えています。

首藤さんは「命の危険を冒してまで助けに行ったことが正解だったのかは、自分でもわかりませんが、少しでも多くのことを後生に伝えていくことが使命だと思っています。自分の話を通じて、子どもたちが命や人生について考えるきっかけになってくれればいいと思います」と話していました。

手記を書いた教師「ありのままの現実 伝えていきたい」

震災当時、志津川高校の教師で手記を書いた百々智之さん(42)は震災の後、担任のクラスや部活の教え子に手記の写しを渡し、あの日の現実を教えてきました。

ことしも2月下旬、現在勤めている宮城県塩釜市の高校で野球部の部員16人に手記を配りました。そして読み終えた部員たちに「震災からまもなく10年がたつが、手記に書いてあるような悲惨な出来事が実際に起こったことは忘れないでいてほしい」と語りかけました。

手記を読んだ2年生の部員は「10年前、家族と避難したときのことを思い出しました。災害が起きた時は誰もがパニックになると思いますが、そんな時こそ落ち着いて自分や大切な人の命を守れるように行動したいです」と話していました。
百々さんは「自分たちが何気なく送っている生活は当たり前のことではないんだということを忘れずにこれからの人生も生きていってほしいです。時間がたてばたつほど、震災の記憶は薄れていく一方なので、少しでも風化させないためにこれからも、ありのままの現実を伝えていきたい」と話していました。