東京 新宿西口の「メトロ食堂街」54年の歴史に幕

東京 新宿西口の「メトロ食堂街」54年の歴史に幕
新宿西口で半世紀にわたって親しまれてきた駅直結の飲食店街「メトロ食堂街」が、9月30日で閉館することになり、懐かしの味を惜しむ多くの客が訪れています。
「メトロ食堂街」は、新宿駅のJR西口改札と東京メトロ丸ノ内線を結ぶ通路のそばにある飲食店街で、昭和41年に開館しました。

利便性の高さから買い物客やサラリーマンなどに広く親しまれ、利用客は年間およそ300万人に上りますが、新宿駅の再開発に伴って30日で閉館することになり、54年の歴史に幕を下ろします。

このうち、昭和58年に開店した洋食店では営業開始前に店長の宇田川啓介さん(51)が従業員たちに「きょうで最終日です。感謝を込めていきましょう」とあいさつしていました。
30日は、午前中から閉館を惜しむ多くの客が訪れていて、行列ができている店もありました。

訪れた会社員の女性は「社会人になってから十数年、この飲食店街にはお世話になりました。ひとりで気軽に入れるお店が多いので残念です」と話していました。

営業終了時間はそれぞれの店によって異なり、一部を除きほとんどの店舗は30日で営業をやめるか、別の場所に移転するということです。

洋食店「墨繪」の宇田川店長は「きょうもたくさんのお客さまが来店してくれるので、これで最後なのはとても残念な気持ちです。お客さまには本当に感謝しています」と話していました。

大規模な再開発

「メトロ食堂街」の閉館は、新宿駅周辺で行われる大規模な再開発によるものです。

新宿駅は1日に380万人が利用する世界有数の巨大ターミナルですが、老朽化した施設が多く、駅の構造が複雑でわかりにくいことや、人が滞留できる空間が少ないことが課題になっています。

このため東京都や新宿区はおととし「新宿の拠点再整備方針」を策定し「新宿グランドターミナル」として鉄道会社などと駅や駅前広場、駅ビルなどを一体的に整備することを決めました。

構想の実現は2040年代を目指していて、線路の上にデッキを新設して、東西の移動をスムーズにするほか、駅前広場の車の流入を抑制し、歩行者優先に再構成するなどとしています。

この構想を踏まえて小田急電鉄と東京メトロは9月に、新宿駅西口の小田急百貨店などが入る建物を建て替え地上48階、高さおよそ260メートルのビルを建設する計画を発表しています。

完成は2029年度を目指していて、この再開発に伴って「メトロ食堂街」は閉館するということです。

「メトロ食堂街」

地元、新宿に本店がある和菓子屋やフルーツパーラー、天ぷら店など、飲食店10店舗が入る地下1階のフロアは、JR西口改札と東京メトロ丸ノ内線を結ぶ通路の上にあり、利便性が高いことから買い物客やサラリーマンなどに広く親しまれています。

洋食店の店長「感謝しかない」

昭和58年にオープンした洋食店の「墨繪」は、フレンチをベースにしたカジュアルな西洋料理を楽しむことができ、特に自家製のフランスパンが評判です。

店長の宇田川啓介さん(51)が、この店と出会ったのは33年前。

アルバイトとして働き始めた18歳のときでした。

その後、22歳で社員に、そして31歳で店長を任され、20年にわたって店を切り盛りしてきました。

宇田川さんは「調理師の専門学校に通い始めたころに、友人が『アルバイトを探している店がある』と教えてくれたんです。あのときは、こんなに長く店にいることになるなんて思ってもいませんでした。フランチャイズではなく個人店だったことも魅力に感じました。当時も比較的にぎわっていましたが、今のように行列ができることはなかったと思います」と話しました。

行列ができるようになったのは、パンの提供を本格的に始め、ハード系のパンが評判を呼んだ20年ほど前からです。

店を訪れていた女性からは「気軽に来られるし、値段も良心的でパンもおいしい」とか「店の雰囲気がよくて、料理もとてもおいしいです」と料理に加え、店の雰囲気を気に入っているという声が聞かれました。

テーブルには生け花、壁には店名の由来になった墨の絵が飾られ、女性客を中心に、駅のすぐそばにある“都会のオアシス”として親しまれてきました。

30年余りにわたり、この店で働いてきた宇田川さんは、これまで出会ったお客さんとの思い出の品を大切に持っています。

中でも印象深かったのが、高齢のお客さんにもらった開店当時のメニュー表です。

宇田川さんは「ご年配の方が『老人ホームに入る前に、たくさん楽しませてもらったお店の方にお返ししたい』と持ってきてくれたんです。開店当時のメニュー表はスタッフも持っていない貴重なもので、本当にありがたいです」と話しました。

そして、9月いっぱいで閉店するという情報がインターネット上で広がると、最後に食事したいという予約の電話が相次いだといいます。

閉店を前に宇田川さんは「ここまで反響があるとは思っていませんでした。30年以上過ごした場所で、自分にとっては生活の一部なので、悲しいというか、感慨深さもあります。メトロ食堂街は、昭和的な雰囲気が残る食堂街で、店のスタッフどうしも仲がよく、長く仕事を続けられたのは、それもあると思います。そして何より、お客様にはずっと支えられてきたので、感謝しかありません」と話しました。

「墨繪」は、10月中旬に近くのビルに移転し、再オープンします。

新型コロナウイルスの影響が続く中、これまでより小さな店になりますが、宇田川さんは心を込めた料理とおもてなしで客を迎えたいと話しました。

時代とともに変わる「フルーツパフェ」

「タカノフルーツパーラー新宿地下鉄ビル店」は、新宿に本店がある季節の果物を使ったパフェが人気の店です。

本店で商品開発に携わっている森山登美男さん(63)は、昭和53年に入社しました。

最初に担当した店がメトロ食堂街の店舗で、開店当初のことを知っている数少ない社員の1人です。

森山さんは当時、“エキナカ”の店は、まだ珍しかったと振り返ります。

森山さんは「当時は、この店に来ること自体が“おしゃれ”という感じでした。今は駅の中にお店があるのは当たり前ですが、当時はなかった。駅のすぐ近くで座って食べたり飲んだりできる、しかもフルーツを食べられる店も少なかったので本当に毎日忙しかった」と話しました。

会社の歴史をまとめた社史には開店当初の写真が残されていて、店内のにぎわう様子がうかがえます。

森山さんは、当時のエピソードとして「毎日行列が絶えなくて、時間がないお客さんもいたので、パフェ用のグラスを指の間に4本、手のひらに1本、一度に5本のグラスを片手に持ってソフトクリームを入れていた。その上にフルーツを盛りつけて、1つ作るのに1分かからないくらいのスピードでやっていた」と話しました。

また、昭和40年代後半から昭和50年代半ばにかけての3つのメニューブックを見ると、時代とともにフルーツパフェも変わっていくのが分かります。

昭和40年代後半のフルーツパフェは、グラスに入っているのは、ほとんどがソフトクリームで、その上にフルーツが少し載っている程度ですが、だんだんフルーツの種類が増え、パフェの色合いも豊かになっていきます。

森山さんによりますと、昭和の終わりにかけてグレープフルーツやキウイフルーツなどが海外から入ってくるようになったほか、平成に入ると国産のマンゴーや桃、いちごのそれぞれの県のブランドが人気を集めるようになり、店でも提供するようになったということです。

森山さんは「私たちは時代を追いかけるのではなく、フルーツを追いかけてきた。うちの店に来れば季節がわかるように、旬のフルーツを提供してきました。皆さんが知らないフルーツを探して、パフェとして出すことで、新しいフルーツをお客さんに広める役割も背負ってきたと思っています」と話しました。

店には、閉店を惜しむ人たちが次々に訪れていて、このうち娘と一緒に来た武居あやこさんは待ち合わせに利用しやすいことから、およそ20年前から通っているということです。

武居さんは「かなりお世話になりました。とても居心地のいい場所で、なくなるのは本当にさみしいです」と話していました。

メトロ食堂街でキャリアをスタートさせた森山さんは「メトロ食堂街の店舗で育ったので、なくなるのはさみしいです。駅に近く、常連さんだけでなく、地方から東京に観光に来た人など、たくさんのお客さんに来てもらい本当に感謝しています。閉店するのは申し訳ないですが、いつの日か、また新宿駅の西口にお店を出せればと思います」と話していました。