横浜 重機転落事故 地下タンクの水を抜き作業員救助へ

横浜 重機転落事故 地下タンクの水を抜き作業員救助へ
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かつてアメリカ軍などが燃料の貯蔵基地として使用し、横浜市の公園として造成されている土地で重機を操縦していた作業員が深さ30メートルの地下タンクに転落したとみられる事故で、救助活動の前に、タンクにたまった水を抜く必要があるため、横浜市はポンプでの排水作業に向けた準備を急いでいます。
25日夕方、横浜市金沢区にある公園の造成現場で、盛り土の搬入作業をしていた60代の男性の行方が操縦していた重機ごと分からなくなりました。

現場は、かつてアメリカ軍などが燃料の貯蔵基地として使用した「小柴貯油施設」の跡地で、男性は重機とともに燃料をためるために使われていた直径およそ45メートル、深さおよそ30メートルの地下タンクに転落したとみられています。

男性は当時、タンクの近くでダンプカーから降ろした土を重機でならす作業をしていて、警察によりますと、25日午後1時ごろに別の作業員が重機を確認していましたが、およそ2時間後になくなっているのに気付いたということです。

男性が操縦していた重機は重量が20トンほどだったということです。

地下タンクは、ふたの一部が崩落していて、横浜市によりますと、中には深さおよそ9メートルの水などがたまっていると推定されるということです。

このため救助活動の前に水を抜く必要があり、26日午後から排水ポンプを5台投入するための土台の設置や、周辺の整地作業を進めています。

横浜市は排水作業を終えて安全が確認できしだい、救助活動を始めることにしています。

近所の人「地下タンク知らず」

近くに住む77歳の主婦は、転落したとみられる男性について「仕事をしているときにこういうことになって、気の毒です。早く見つかってほしいです」と話していました。

女性によりますと公園の造成工事が始まる前「小柴貯油施設」の跡地は、敷地内を通り抜けることができたということで、「7年近く住んでいて、地上部分にタンクが残っているのは知っていましたが、地下にもあるとは知らずびっくりしました」と話していました。

また、近くに住む76歳の男性は「昔、燃料の備蓄基地だったというのは聞いていましたが、今は施設は撤去されていると思っていたので、まだ地下のタンクが残っているとは知りませんでした。ほとんどの人は知らないんじゃないかと思います」と驚いた様子でした。

横浜の米軍施設返還状況

横浜市によりますと、第二次世界大戦後に進駐した連合国軍が、市内中心部や港湾施設などを広範囲に接収し、接収された土地は市全体で最大で1200ヘクタールありました。

昭和25年に始まった朝鮮戦争の影響で接収された施設の需要が高まり、昭和27年にサンフランシスコ平和条約が発効したあとも、改めてアメリカ軍に提供され、市内には最大で112の施設があったということです。

しかし、接収の解除を求める運動の機運が高まり、昭和27年には大さん橋や今の横浜スタジアムなどが返還されています。

その後、断続的に返還され、今回、事故が起きた53ヘクタールの金沢区の旧「小柴貯油施設」は、戦後60年の平成17年に返還されました。

また、最近では横浜開港150周年にあたる、平成21年に横浜市神奈川区の「横浜ノース・ドック」の一部2.7ヘクタールと、横浜市金沢区の旧「富岡倉庫地区」の全域2.9ヘクタールが返還されています。

さらに、平成26年には横浜市泉区の旧「深谷通信所」の77ヘクタールが、平成27年には横浜市旭区と瀬谷区にまたがる、旧「上瀬谷通信施設」の242ヘクタールがそれぞれ、返還されました。

返還された施設の跡地については、公園として整備するなど横浜市が活用を進めています。

一方、現在でも返還されていないのは、広さが合わせて150ヘクタールに上るアメリカ軍施設4か所と、アメリカ軍の船の停泊などのための水域2か所です。

このうち、横浜市中区と南区、それに磯子区にまたがる「根岸住宅地区」の43ヘクタールと、横浜市金沢区などにある「池子住宅地区及び海軍補助施設」の1ヘクタールについては、平成16年10月に日米両政府の間で、返還することで合意されています。