大阪 新世界 老舗ふぐ料理店「づぼらや」閉店へ コロナ影響

大阪 新世界 老舗ふぐ料理店「づぼらや」閉店へ コロナ影響
新型コロナウイルスの影響で休業を続けている大阪・新世界の老舗ふぐ料理店、「づぼらや」が再開をしないまま、閉店することになりました。運営会社は「大勢で鍋を囲むスタイルの飲食店で、密を避けながら、これまでどおりに営業する見通しを立てられなかった」などとしています。
「づぼらや」はふぐをあしらった張り子の看板で知られる大阪の老舗のふぐ料理店で、「新世界本店」と「道頓堀店」の2つの店は、緊急事態宣言を受けて4月8日から休業していました。

再開を目指してきましたが、運営会社は新型コロナウイルスの影響で経営状況が悪化したうえ、「大勢で鍋を囲むスタイルの飲食店で、再開しても密を避けながらこれまでどおりに営業する見通しを立てられなかった」として、臨時休業から営業を再開しないまま、ことし9月で閉店することを決めました。

づぼらやがある「新世界」は、外国人旅行者にも人気の大阪を代表する観光名所ですが、多くの店舗が長期間の休業や営業時間の短縮を迫られ、厳しい経営環境に置かれています。

運営会社の松田隆治会長は「『再開してほしい』という電話を多くいただいているだけに、申し訳なく思います」と話しています。

店の張り子の看板は、観光名所の通天閣とともに大阪を象徴するランドマークの1つとして長年、親しまれていて、会社は、今後、対応を検討したいとしています。

大正9年創業 ことしで100年迎える

「づぼらや」は大阪を代表する老舗のふぐ料理店です。大正9年(1920年)に創業し、ことしでちょうど100年を迎えました。新世界本店と道頓堀店の2店舗を展開しています。

いずれの店先にも巨大なふぐの張り子の看板が掲げられていて、くいだおれの街を象徴する存在感を発揮しています。

新世界本店は客席が150席、道頓堀店は400席あり、大人数の宴会にも対応していることから団体客の利用も多く、観光客も含めた幅広い顧客に親しまれてきました。

街の人たちは…

大阪・新世界では、「づぼらや」の閉店を惜しむ声が数多く聞かれました。

新世界に50年近く住む80歳の男性は「30年くらい前は景気もよく、しょっちゅう食べに来ていました。その頃からてっちりが安くておいしくて、多くの人でにぎわっていました。閉店すると聞いてびっくりしましたし、看板がなくなったらさみしいです」と話していました。

また大阪・熊取町の63歳の女性は「100年続いた老舗がなくなるのは残念です」と閉店を惜しんでいました。

出張で東京から訪れた47歳の男性は「大阪といえばこの風景だと思っていたので、店が閉まるのは残念です」と話していました。

外食需要 解除後に元の水準は50%にとどまる

野村総合研究所は、新型コロナウイルスの影響を受けた外食需要の推計をまとめています。

それによりますと緊急事態宣言が出ている期間中は感染拡大前の水準の23.8%まで下がったということです。

そして、緊急事態宣言が解除されても外食需要は元の水準の50.1%にとどまると推計しています。

この推計は、利用者が以前と同じ頻度で外食することを前提としているため、人々が外食に行く回数が減れば、さらに厳しい数字になるとみています。

野村総合研究所は「新型コロナウイルス感染拡大前の水準まで需要が回復するには長い時間を要すると想定される。感染防止対策で店舗の収益性が低くなり、経営が成り立たない店も出てくるだろう」と指摘しています。

同業者からも惜しむ声

同じ新世界で、老舗の串カツ店を経営する上山勝也さんは、「づぼらやさんが閉店すると聞いて、一緒に新世界で長くやってきた仲としてショックを感じています」と閉店を惜しんでいました。

創業100年のづぼらやに対し、上山さんの店も創業91年を数える老舗で、長年、ともに街のにぎわいを支えてきた店の閉店に「寂しいし、痛いし、もったいない。できればこの場所でずっと一緒に商売をしていたかったです」と話していました。

また、上山さんは「通天閣の写真を撮ると必ず、づぼらやさんのふぐが一緒に映り込む。づぼらやさんが無くなると新世界の景色が変わってしまう。大阪の1つの象徴、シンボルマークが消えてしまうのはとてもさみしい」と話していました。

消えゆくシンボルに…

新世界にそびえる通天閣と、づぼらやのふぐの看板は、この街の言わばシンボルとして多くの人たちに親しまれてきました。

大阪を代表する観光名所、通天閣の高井隆光社長は、「新世界では、通天閣とづぼらやさんのふぐのちょうちんが2枚看板だと思っていたので、それがなくなるかもしれないと思うと、相方を失ったような気持ちで、さみしいです」と話していました。

また「新型コロナウイルスの影響で、新世界の街もまだまだ客が戻りませんが、通天閣だけでも街を背負っていくつもりで、地域の人たちと協力して乗り越えらるよう頑張っていきたい」と話していました。