コロナのせいで、選挙も“エアー”に

コロナのせいで、選挙も“エアー”に
選挙といえば、バンザーイ!
…ではない。これ、“エアハイタッチ”だ。

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で行われた熊本県知事選挙。候補者は、どう戦ったのかを追った。
(志賀祥吾、西村雄介)

コロナ禍、大もめの前哨戦

4期目を目指す現職と元熊本市長の新人が争った熊本県知事選挙。前回も対決した2人の選挙は、告示前から大もめの事態となった。

「このままでは民主主義の根幹たる選挙の意義が損なわれる。選挙期日の延期が必要だ」
2月末、元熊本市長の新人、幸山政史は、県選挙管理委員会に3月5日告示、22日投票の日程を延期するよう求めた。

新型コロナウイルスの感染者が、2月下旬に熊本県でも初めて確認され、感染への警戒感が広がる中、国が大規模なイベントの自粛や学校の一斉休校を要請。県知事選挙を予定どおり実施するのか注目が集まった。

公職選挙法では、知事選挙は任期満了の前、30日以内に行う必要がある。
現職の任期満了日は4月15日。つまり、3月16日から4月14日までの間に、投票が行われないといけない。
一方で、選挙の日程は、告示前なら再設定できるほか、告示後も、台風や地震などで投票所が使えない場合は、任期満了の前日まで投票日を繰り延べできるとされている。

選管は、協議を重ねた末、告示の3日前に、予定どおりの日程で選挙を実施すると結論づけた。
仮に日程を延期したとしても感染が収束する見通しが立たないことや、国が延期を要請した対象に選挙が入っていないことなどが理由だった。

遊説よりも公務

前哨戦から異例の展開となった選挙。告示日もふだんとは全く違う光景を目にすることになった。

通常、選挙の告示日には、候補者が必勝祈願をして、大勢の支持者の前で第一声を発し、勢いよく選挙カーで街頭演説に向かう。

しかしこの選挙の告示日に、現職の蒲島郁夫の姿は支持者の前になかった。
出陣式は取りやめ。必勝を祈願する熊本市内の神社での神事には、妻が出席した。
代わりに県庁で報道陣に今後4年間の政策を語り、その後、県の新型コロナウイルスの対策会議に出席した。
この日の未明に、県内で6人目となる感染者が確認されていた。

蒲島は、選挙期間中、新型コロナウイルスの感染防止を最優先として、遊説日程もすべてキャンセル。
▽新たな感染者を発表する記者会見(告示日の未明にも実施)、▽医療機関や経済的な打撃を受けた観光業界などへのヒアリング、▽県の対策本部会議などをこなした。
県の対策の陣頭指揮をとる蒲島の姿は連日、地元メディアで報道された。

そして、公務の合間に撮影した動画のメッセージをホームページに公開し、これまでの実績や公約を訴えた。
選挙期間中、多選批判を警戒していた蒲島陣営。
異例の選挙戦に、陣営からは、「選挙運動をできないことは不安要素だが、危機管理に対応することは追い風になる」という声も聞かれた。

消える争点

一方、新人の幸山は、政策を知ってもらうためには県内をくまなく回るしかないとして、全45市町村の200か所以上で街頭演説を重ねた。
新型コロナウイルスの感染防止に、気を遣いながらの選挙運動。
選挙では、おきまりの握手作戦も、接触を避けるために、ハイタッチのふりをする「エアハイタッチ」に切り替えた。
それでも、ついつい、これまでの習慣で握手してしまうことも…。こんな時は、準備していた消毒液を使った。
さらに、屋内集会は取りやめたほか、支持者を集会に動員するのも自粛。4年前の選挙では大勢の有権者が集まった場所でも、人がまばらなケースが相次いだ。

「前回の選挙で敗れたあと、県内各地を地道に回り続けていた。新型コロナウイルスさえなければ」
幸山陣営の関係者からは、ため息がもれた。
幸山は、蒲島の掲げる熊本空港へのアクセス鉄道整備の見直し、水俣病をめぐる健康調査を前進させることなどを争点に据え、政策論議を挑みたいと考えていた。

しかし新型コロナウイルスへの対応で、こうした争点がかき消され、最後まで手応えはつかめなかったという。

静かな戦いに

有権者は、この異例の選挙戦をどう見ていたのか。

「今までにない静かな選挙戦だ」
「候補者の訴えを直接聞くことができず、どちらに投票していいか分からない」

戸惑いの声が上がる一方、こんな声も。

「混み合わない時間帯を狙って期日前投票したい」
「投票所は消毒しているので大丈夫だと思う」
町を歩く人たちに聞いてみると、私たちが予想していたほどには、選挙が行われることに否定的な意見は無かった。

忘れ去られたか

ただ、今回の選挙戦に、やるせない思いを抱く人もいる。

4年前に起きた熊本地震の被災地。
これまで国政選挙などの大型選挙では、ほとんどの候補者が、特に被害の大きかった益城町などを歩き、復旧復興の政策を訴えてきた。

地震発生後、初めてとなる今回の県知事選挙。選挙戦で、これまでの復興に対する評価や、今後の復興の進め方についての議論が期待されていた。

被災者の中には、自分たちの存在が忘れられ、被災地の問題がかすんでしまったと感じている人もいる。
「地震からの復旧復興はもう忘れ去られてしまったんだなって。この知事選で感じた率直な気持ち」
仮設住宅で暮らす益城町の60代の女性は、県が主体となって進めている区画整理事業の影響で、自宅再建の着工の時期にめどを立てられずにいる。行政の説明が十分ではなく、今後の支援なども不透明な部分が多いと不満を抱いている。

「『すべての被災者の住宅再建のめどが立った』と熊本県は発表しているが、少なくとも私はそうは思えていないのが正直な気持ち」

被災地だけではない。
若者の政治参加を考える大学生のグループのメンバーも、選挙運動の規模が縮小され、政策をめぐる議論が消化不良だったと残念がる。
「遊説する候補者の姿どころか選挙カーの声だって1度も耳にしなかった。直接、候補者の政策に耳を傾けたり、自分の思いを候補者に伝えたりしてみたかった」

そして17日間の選挙戦が終わった。

バンザイも控えめに…

開票の結果、蒲島43万7133票、幸山21万6569票。現職の蒲島がダブルスコアで圧勝し、4回目の当選を果たした。
屋外で行われた蒲島の祝勝会では、恒例のバンザイ三唱は取りやめに。それでも1回だけ、控えめにバンザイをして祝った。

蒲島は、異例の選挙戦を、こう振り返り、選挙活動を取りやめた判断に胸を張った。
「有権者の顔が見えない選挙で不安だったが公務に専念してよかった。この間、私にしかできない政治的な決定ができた」

一方の幸山。思わぬ”敵”の出現に、思い描いていた選挙戦が展開できなかったとこぼした。
「制約があったことは間違いない。政策の違いを訴える機会が少なかった」

注目されていた投票率は45.03%と、前回よりも約6ポイント低くなった。

感染症を想定し新たな仕組みを

政治学が専門で地方政治に詳しい熊本大学法学部の伊藤洋典教授は、新型コロナウイルスの感染拡大が、今回の知事選に与えた影響を、こう分析する。
「感染症の影響で県政の争点がはっきりしなくなり、今後4年間の将来構想よりも実績評価が決め手になった。集会などがなくなった分、無党派層の票の掘り起こしが難しく、組織がバックにある蒲島さんが強かった」

伊藤教授は、感染症が流行した場合の選挙の仕組みを検討する必要があると指摘する。
「今回のように十分に情報が有権者に行き届かない場合、どんな仕組みが必要か、社会全体として考えておく必要がある。また、感染を恐れて投票所に行けないような人には、ネット投票など外出しなくても投票できる方法を検討してもいいと感じている」

選挙戦で聞けなかった声に傾聴を

緊急事態下の選挙はどうあるべきか。
それを考えるきっかけにもなった今回の熊本県知事選挙。

蒲島知事には、新型コロナウイルスの感染拡大で見えづらくなってしまった課題に向き合い、選挙戦で聞く機会の少なかった有権者の多様な意見にも耳を傾けながら、県政運営にあたってほしいと思う。
(文中敬称略)