聖火リレー変更 参加予定の人たちからは落胆の声

聖火リレー変更 参加予定の人たちからは落胆の声
東京オリンピックの聖火リレーについて大会組織委員会が大会の延期をめぐる判断が出るまでトーチを使ったリレーは行わない方針を固めたことについて聖火リレーに参加する予定だった人たちからは落胆の声が聞かれました。

震災遺族の男性「亡くなった家族に見てほしかった」福島

福島県南相馬市の上野敬幸さん(47)は9年前の東日本大震災の津波で両親と幼い2人の子どもを亡くしました。

亡くなった家族のためにも、できることは精いっぱい取り組もうと心に決めていて聖火リレーも一生に一度のチャンスと考え応募したといいます。先週末には、リレーのために購入した新しい白いシューズも届き、26日の本番では家族のために笑顔で走り、多くの人に命の大切さを伝えたいと考えていました。

聖火リレーの方法を変更する方針について上野さんは「組織委員会や福島県などから連絡がないので、今のところ、当日は予定の時間に集合場所へ行こうと思っている」としたうえで、「走るところを亡くなった家族にも見てほしかった。もう一度走るチャンスがあればと思うが、誰が悪いわけでもないのでしかたがない」と話していました。

父親亡くした小学生「心の準備しておく」群馬

今月31日に参加する予定だった前橋市立桂萱東小学校の6年生 金井健太郎さん(12)は24日、卒業式に臨みました。

卒業式は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で全員マスクをつけ、在校生の出席を取りやめるなど規模を縮小して行われました。

金井さんは父親の誠さん(当時42)を平成29年に仕事中の事故で亡くしました。小学校時代には父親が監督をしていたサッカーチームでキャプテンとして活躍し、中学校に入学してからもサッカーを続けることを決意しています。

金井さんは父親の生前、「一緒に東京オリンピックのサッカーを見に行こう」と話していたということで、父親との果たせなかった思いを胸に走りたいとランナーに応募しました。

金井さんは「友達も見に来てくれると言っていたので残念です。オリンピック自体が今後どうなるか分からないですが、聖火リレーで走りたいですし、心の準備をしておきたいです」と話していました。

歩けるようになった男性「また機会もらえるなら」香川

香川県観音寺市で聖火リレーを走る予定の社会福祉法人の理事長毛利公一さん(38)は、アメリカ留学中の23歳のときに事故にあって首から下を自由に動かすことができなくなりました。

しかしその後、トレーニングを重ねて回復し、去年12月に聖火ランナーに決まってからは歩く練習を始め、いまでは支えられながら200メートルを歩けるようになりました。

毛利さんは「今回聖火ランナーの機会をいただいたことで、歩く距離も延び、体力もついた。自分の自信につながっているのも事実で、今回残念な状況になったが、悪いことばかりでもないと前向きにとらえている。また聖火ランナーの機会をもらえるなら、今よりもパワフルな姿を見せて支えてくれている人たちに恩返ししたい」と話していました。

福島の漁師の男性「またチャンスあると信じる」

福島県新地町の漁師、小野春雄さん(68)は原発事故のあと福島の漁師たちが漁業の再建に取り組む姿を発信したいと考えていました。

当日は息子の買った新品の靴を履き、仲間たちが大漁旗や垂れ幕を掲げて応援する中を走る予定でした。

小野さんはオリンピックの延期が決まれば再び走るチャンスがあると信じていて、「安倍総理大臣が今回のオリンピックを“復興五輪”としている以上、福島の聖火ランナーたちにまた走るチャンスがあると信じています。もし走ることができれば、福島の漁師が震災と原発事故にも負けず頑張っている姿を見せたいと思います」と話していました。

義足のランナー「練習はやりがいあった」栃木

栃木県大田原市の大山夏奈さん(24)は、今月29日に茂木町を走る予定だった義足のランナーです。

生まれつき左脚に障害がある大山さんはひざを曲げることができず、思うように運動できない不自由さを感じていましたが、高校3年生の時に、走り幅跳びでパラリンピックに3大会連続で出場した谷真海選手の自伝を読んだことをきっかけに、左脚を切断し、義足で生きていくことを選択しました。

そして、言語聴覚士として働くかたわら、去年からは義足ランナーの陸上クラブに参加し、積極的にスポーツに挑戦してきました。

聖火リレーに応募したのは障害があっても運動を諦める必要はなく、前向きに生きられるというメッセージを伝えたいと考えたからで、本番に向け筋力やランニングのトレーニングを積んできました。

聖火リレーで走ることを楽しみにしてきた大山さんは「家族などに走ってる姿を見せることができず残念ですが、新型コロナウイルスの状況もあるのでしかたないと思います」と話していました。

そのうえで「聖火リレーの200メートルを走りきるために練習に打ち込んだことはやりがいがありました。今後も走ることを楽しんでいきたい」と話していました。

五輪子さん「ことばには表せない」栃木

このうち、今月29日に参加する予定だった栃木県下野市の中学校教諭の本田五輪子(いりこ)さん(55)は「ことばには表せない残念な気持ちでいっぱいです。先週は自分が走るコースを下見するなど準備を進めていたので、本当に残念です」と話していました。

本田さんは1964年の前回の東京オリンピックで聖火リレーが栃木県庁を出発した日に産まれ、「五輪の子」と書いて「五輪子」と名付けられました。
再びふるさとの栃木県で行われる憧れのオリンピックの聖火リレーに参加したいと応募しました。

一方で、新型コロナウイルスが感染の拡大を続けていることについて本田さんは「世界中で流行するとは思ってもいませんでした。私たち一人一人ふだんの生活がいち早く取り戻せるように終息してほしい」と話していました。