「高木監督は選手の自主性重んじる人」立浪氏 恩師の死を悼む

「高木監督は選手の自主性重んじる人」立浪氏 恩師の死を悼む
プロ野球・中日で通算2000本安打を達成し、監督を2度務めた高木守道さんが今月17日に78歳で亡くなりました。高木さんが最初に監督を務めた時に主力選手だった立浪和義さんがNHKの取材に応じ「同じ内野手ということもあって見る目は厳しかったと思う。ただ、選手の自主性を重んじ、自分のことを初めて大人として認めてくれた人だった」と思いを語りました。
中日の主力選手として高木さんの後に「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた立浪さんは高木さんが最初に中日の監督を務めた平成4年から平成7年の間、指導を受けました。

立浪さんは20日、名古屋市内でNHKの取材に応じました。

最後に高木さんと会ったのは去年12月の立浪さんの野球殿堂入りを祝うパーティーだったということで「すごく元気な姿を拝見していたので亡くなったと聞いたときはとても驚いた」と話しました。

立浪さんは平成6年には巨人との同率首位で迎えたシーズン最終戦、いわゆる「10・8決戦」に3番・ショートで先発出場しました。

立浪さんは「すごく注目された試合の中で、選手たちを緊張させないようにあえて特別なことは何も言わなかった。あの試合で勝てていたら高木さんの野球人生もまた違うものになっていたとも思うので、勝って喜びを分かち合いたかった」と振り返りました。

そのうえで監督時代の高木さんについて「同じ内野手ということもあって見る目は厳しかったと思う。ただ、選手の自主性を重んじ、自分のことを初めて大人として認めてくれた人だった。野球に対して真面目で常に向上心を持っている方だった」と早すぎる恩師の死を悼んでいました。