田淵幸一氏など3人 新たに野球殿堂入り

田淵幸一氏など3人 新たに野球殿堂入り
野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に阪神などで強打のキャッチャーとして活躍した田淵幸一氏など3人が新たに選ばれました。
新たに野球殿堂入りしたのは、競技者表彰が1人特別表彰が2人の合わせて3人です。

田淵氏は競技者表彰のうち、プロ野球の指導者経験がある人や引退から21年以上経過した人が対象の「エキスパート表彰」で選ばれました。

73歳の田淵氏は法政大から昭和44年に阪神に入団し強打のキャッチャーとして7年目にはホームラン王に輝きました。その後移籍した西武では2年連続のリーグ優勝と日本一に貢献し、通算で歴代11位となる474本のホームランを打ちました。引退後はソフトバンクの前身のダイエーの監督を務めたほか、阪神や楽天それに北京オリンピックの日本代表でコーチを務め、大学時代から親友だった星野仙一監督を支えました。

また特別表彰には東京六大学野球で慶応大の監督を通算18年務め4年前に85歳で亡くなった前田祐吉氏と、早稲田大の監督を通算13年務め5年前に亡くなった石井連藏氏の2人が学生野球の発展に大きく貢献したとして選ばれました。

田淵幸一氏 感無量だ

野球殿堂入りを果たした田淵幸一氏は「感無量の気持ちだ。長い野球人生を振り返ると指導者との出会いに恵まれていた。阪神では村山実さんという先輩や、江夏豊という大投手に出会ったことで成長させてくれた。巨人の王貞治さん、長嶋茂雄さんという大きな存在と戦った結果、こういう賞をいただけたと思う」と喜びをあらわしました。

また大学時代から親友の山本浩二さん、星野仙一さんに続いて殿堂入りしたことについて「いちはやく、山本浩二が『ブチ、おめでとう』と言ってくれた。星野仙一は3年前に殿堂入りしたときのパーティーで『おまえもいつか殿堂入りするからそしたら浩二と3人でパーティーやろうな』と言ってくれていた。『仙ちゃん、おれももらったよ』と心の中で報告した。今でも夢に『キャッチボールしようや』としょっちゅう出てくる。もうちょっと一緒にやりたかった。それだけ悔いが残る」と話していました。

田淵幸一氏 強打の捕手として1年目からホームラン22本

田淵幸一氏は東京都出身の73歳。法政大では東京六大学野球の当時のリーグ最多記録となる通算22本のホームランを打ち、昭和44年に阪神にドラフト1位で入団しました。

強打のキャッチャーとして1年目から22本のホームランを打って新人王に輝き、7年目の昭和50年には43本のホームランを打ち、前の年まで13年連続でホームラン王の巨人・王貞治さんを抑えて初めてホームラン王になりました。

昭和53年のオフにトレードで移籍した西武では2年連続のリーグ優勝と日本一に貢献し通算で歴代11位となる474本のホームランを打ちました。

引退後は平成2年から3年間ソフトバンクの前身のダイエーで監督を務め、平成14年には大学時代から親友だった星野仙一さんが阪神の監督に就任したのに伴いチーフ打撃コーチを務め、翌年のリーグ優勝に貢献しました。

その後、星野監督のもと北京オリンピックで日本代表のコーチを務め、平成23年から2年間は楽天のコーチとして三たび星野監督を支えました。

前田祐吉氏の教え子 慶大前監督の大久保さん祝福

野球殿堂入りを果たした前田祐吉氏の教え子で、慶応大の前の監督の大久保秀昭さんは「フレンドリーで朗らかでいろんなことを教えてくれる監督だった。『エンジョイベースボール』の精神をわれわれに説いてくれて全員がベストを尽くすこと周りへ気を配ることみずから考えて行動することが大事と教わり、大学での指導に生かしてやってきた」と祝福のスピーチをしました。

前田祐吉氏 高知県出身 慶応大で投手で活躍

前田祐吉氏は高知県出身、旧制の高知城東中学、現在の高知追手前高校から慶応大に進んでピッチャーとして活躍し、卒業後は社会人チームでプレーしました。

昭和35年に母校・慶応大の監督に就任し、その年の秋のリーグ戦では早稲田大と6試合を戦ったいわゆる「早慶6連戦」で指揮をとりました。

前田氏は昭和35年から40年までと、昭和57年から平成5年までの合わせて18年間慶応大の監督を務め、この間リーグ戦で優勝8回昭和60年の秋のリーグ戦では10戦全勝での優勝を果たしました。

前田氏は監督を退いたあとも、アトランタオリンピックでは全日本アマチュア野球連盟の強化対策委員長として銀メダル獲得に貢献しました。

また平成9年からはアジア野球連盟の事務局長として発展途上国の支援や野球道具の寄付を行うなど、野球の普及に貢献し、平成28年に85歳で亡くなりました。

石井氏の教え子で早大監督の小宮山悟氏 祝福

野球殿堂入りを果たした石井連藏氏の教え子でプロ野球・ロッテなどで活躍し、現在は早稲田大の監督を務める小宮山悟氏は「石井さんは鬼だったという話がとどろいていると思うが、僕にとっては仏だった。言っていることに1点の曇りもなく、信じ切ってついていっていた。自分が監督という立場になり将来、教え子にいい指導者に恵まれたと思ってもらえるか。その目標になっているのが石井さんだ」と祝福のスピーチをしました。

石井連藏氏 25歳で監督就任

石井連藏氏は水戸一高から早稲田大に進みピッチャーとして活躍した一方、キャプテンを務めた4年生の昭和29年にはバッターとして秋のリーグ戦で首位打者と打点王に輝きました。

卒業後、社会人チームでプレーしたあと、昭和33年に25歳の若さで監督に就任し、厳しい指導を前面に打ち出して昭和38年までの6年間と昭和63年からの平成6年まで合わせて13年監督を務め、リーグ戦で4回の優勝を果たしました。

また昭和35年秋のリーグ戦で慶応大と6試合を戦った末に優勝を勝ち取ったいわゆる「早慶6連戦」で指揮をとったことでも知られています。

プロ野球に進んだ選手ではロッテなどで活躍し、現在早稲田大の監督を務める小宮山悟さんや巨人や横浜でプレーした仁志敏久さんなどが石井氏の指導を受けました。

石井氏は監督を退いたあとも全日本大学野球連盟や日本学生野球協会の要職を務めて学生野球の発展に尽力し、平成27年に83歳で亡くなりました。