チームドクターが語る ラグビー日本代表 “ワンチーム”の意味

チームドクターが語る ラグビー日本代表 “ワンチーム”の意味
ことしを象徴することば「ONE TEAM(ワンチーム)」。
ラグビーワールドカップで躍進した日本代表を支えたことばです。
外国出身が多く、さまざまな言語や文化が集まる選手たちが、まさに「1つ」になってつかんだ初のベスト8でした。
ただこの大会、選手だけでなく選手を支えるスタッフの戦いでもありました。その1人であるチームドクターが “ワンチーム” 激戦の舞台裏を語りました。(スポーツニュース部記者 佐藤 滋)

ドクターが語った3時間

ラグビー日本代表のチームドクター、高森草平さん(41)。
スポーツ専門の整形外科医です。
「個人情報ばかりなので、言えないこともたくさんあります…」
と前置きしながら、史上初のベスト8を勝ち取った日本代表の戦いを3時間近く語ってくれました。
「印象に残っていることは?」と聞いた私に、高森さんは就任直後のある出来事を明かしました。
ことし6月、大会まで3か月と迫る中、高森さんは「メディカルチーム」のトップとしてチームに加わりました。

就任直後の練習でのこと。
ある外国出身の選手が、グラウンドに激しく頭を打ちつけました。
駆け寄り、声をかけた高森さん。
練習を続けられるか、医師として判断が求められました。

しかし、この選手は何も答えませんでした。
高森さんはこの対応を決して許しませんでした。

医師やトレーナーなどでつくる「メディカルチーム」は、選手の体調を管理するプロフェッショナル。
選手たちを万全な状態で、何より安全にグラウンドに送り出すのが最大の使命です。
しかも、チームドクターの高森さんは、出場できるかどうかを最終的に判断する責任者です。
練習後の治療の時間、高森さんはあえて、ほかの外国出身の選手もいる前で選手に対し英語で声を張り上げました。
「(自分は選手を)このチームから出すこともできる」
きぜんとした態度で「ダメだ」と伝えた高森さん。

“プロ” のドクターとして “プロ” の選手に対して発した強いメッセージでした。
その選手は、最後に「ゴメンナサイ」と日本語で謝罪したということですが、チームに加わったばかりのこの時期は、選手との「信頼関係の構築」に苦労した思い出が残っているといいます。

ラグビー王国での経験

選手、監督・コーチ、サポートスタッフなどチームに携わるそれぞれが同じ目標を持った“プロ”として尊重し合う。
こう考えるようになった背景には、みずからの経験がありました。
5歳でラグビーを始めた高森さん。
医師としてラグビーに関わりたいという思いから、スポーツ整形外科医になりました。

20歳以下の日本代表のスタッフなどの経験を経て、去年5月までの2年間はラグビー王国・ニュージーランドに留学。
オールブラックスの代表選手を多数輩出している大学のラグビー部に、メディカルスタッフとして携わりました。

英語が、ほとんど話せない状況で飛び込んだラグビーの本場。
ここでの経験が後の日本代表チームで生きたといいます。
所属した大学のラグビー部でも大切にするのは「個」。
それぞれが “プロ” として、互いに本音をぶつけあう光景が当たり前でした。
高森さん
「外国人との接し方、近づき方、どうすれば信頼されるのか、勉強になりました」
英語力が不足していたとしても、言うべき時はきぜんとした態度で強いことばを発する。
その一方で、ふざけるときは思い切りふざけ合う。
今回のワールドカップも同じでした。
優勝候補の一角、アイルランドを破った試合後のロッカールーム。
コーチ陣と一緒にみずからズボンを下ろし、中に履いていた「桜模様の海パン」を披露、チームは大いに盛り上がったといいます。
ふだんも選手と「じゃれあう」ことが、しょっちゅうだったということです。

“キーマン” 福岡堅樹 復帰までの3週間

今大会、チームドクターの高森さんの存在を語る上で欠かせない1人が福岡堅樹選手です。
ウイングとして4つのトライを決め、ベスト8進出に大きく貢献しました。
中でも、アイルランド戦での逆転トライに熱狂した人は多かったと思います。
大会直前、その福岡選手に “危機” が訪れました。
9月6日、南アフリカとの最後のテストマッチ。
開始直後の前半4分に右足を痛め交代を余儀なくされました。
ふくらはぎの肉離れでした。

一般的に全治までは数週間はかかるケガ。
開幕戦のロシア戦までは2週間に迫っていました。

ここから、福岡選手と高森さんやトレーナーの合わせて4人で作るメディカルチームの戦いが始まりました。
南アフリカ戦のあとはホテルに「かんづめ」になって治療に専念。
治療の詳細の説明は避けましたが、「考えられる治療はすべて行った」といいます。
福岡選手もみずから治療器を購入し、リハビリに積極的に取り組むなど回復を急ぎました。

当時の本人の様子について高森さんは、
「不安もあっただろうが、その不安を打ち消すように必死に取り組んでいた。自分のできることはすべてやっていた」
と振り返ります。
懸命の治療とリハビリが驚異的な回復につながりました。
1週間で歩けるようになり、2週間余りたつと走れるように。

開幕戦のロシア戦には出場できませんでしたが、その翌日、9月21日のイベントでは福岡選手が走る姿が見られました。
ファンの前で走り「モチベーションが上がっていった」と高森さんは精神面の復調も感じていました。

ケガから22日後の逆転トライ

急激な回復を見せる中、焦点は「どの試合で復帰させるのか」でした。
高森さん
「試合に出せるのか、出せないのか」
メディカルチームとジョセフヘッドコーチなどのコーチ陣が、時に激論を交わしました。
高森さん
「大会の “キー” となる選手です。どのタイミングで試合に戻すのか、ジェイミー(ヘッドコーチ)もだいぶ考えていました」
福岡選手の最大の持ち味「走りの能力」が戻っているか。
細かく分析した結果、メディカルチームとしては「自信を持って送り出せる」と判断。
コーチ陣は2戦目のアイルランド戦の試合直前、急きょ、福岡選手を控えとして新たに登録したのです。
後半に途中出場した福岡選手。

歴史的勝利につながる逆転トライが生まれたのは、9月28日、ケガからわずか22日後でした。
復帰まで不安な様子を見せていた福岡選手に、高森さんはどう接していたのか。
高森さん
「選手は弱音を吐きたいものです。だからあえて声をかけないんです。ケガをした選手に声をかけるとしても “大丈夫、大丈夫” と、すべてポジティブなことばだけをかけ続けます」
大会を通じて高森さんの目に映った福岡選手の姿は、
「じっとしていないで自分ができることをやる。まじめ、本当にまじめ、そして逃げない」
私たちの心を揺さぶった、彼のプレースタイルそのものでした。
福岡選手は、今大会を最後に15人制の代表から引退し、7人制で行われる来年の東京オリンピックを最後に、引退することを表明しています。
引退後に志しているのは、高森さんと同じ医師の道です。

限界だった激闘のあと

1次リーグ4連勝で史上初のベスト8進出を決めた日本代表。
高森さんは最後となった南アフリカ戦に、余力は残っていないと見ていました。
高森さん
「 “限界の限界” ですね。めちゃくちゃ疲れていました。よくやったなと思います」
「限界」にあったチームは、後に優勝した南アフリカに圧倒されて敗戦。
ただ高森さんは、4年後のさらなるレベルアップへ「あの試合を経験できたことは大きい」といいます。
高森さん
「今大会で選手やスタッフがこれまで思っていた“限界”が2倍、3倍まで上がった。その感覚を忘れないでさらに取り組むことが大事だと感じた」

“ワンチーム” その意味は

地元開催のワールドカップで社会現象化した日本代表の活躍。
「ワンチーム」ということばは、今やさまざまな場面でいわば「乱発」されているように見受けられます。
「本家」の日本代表における「ワンチーム」。
高森さんはどんなチームだったと感じているのでしょうか。
高森さん
「それぞれがプロに徹していました。決して “仲よしこよし” ではありませんでした。一定の距離感を持ち、時に “ギスギス” した感じもありました。近すぎる関係はよくないんです」
取材中、高森さんは「コミュニケーション」と「信頼関係」の重要性を繰り返し強調しました。
ただ「近すぎる関係」は、時としてプロとしての判断に「ノイズが入る」と高森さんは言い切ります。
ジョセフヘッドコーチとの関係も「対等だった」と感じています。
選手、コーチ、メディカル、フィジカル、マネージメント、通訳…それぞれの部門の「プロ」が本音と本音でぶつかり合い高め合った「ワンチーム」でした。
取材も最終盤。
「ワンチーム」の一員だったことの「自負や誇り」をどう感じているか聞くと、高森さんはチームが解散する最後のミーティングの直前、ある外国出身の選手にかけられたことばを明かしてくれました。
高森さん
「最後に “先生ありがとう” と言ってくれたことですね」
短く語った高森さん、何よりも大事にする「コミュニケーション」と「信頼関係」をもとに、自分の仕事をやり遂げた充実感にあふれていました。