諫早湾干拓 最高裁 国勝訴の2審取り消し 審理やり直し命じる

諫早湾干拓 最高裁 国勝訴の2審取り消し 審理やり直し命じる
長崎県諫早湾の干拓事業をめぐり排水門の開門を命じた確定判決を無効とするよう国が求めたことについて、最高裁判所は判決で国の訴えを認めた2審の判決を取り消し、福岡高等裁判所で審理をやり直すよう命じました。開門の是非には直接、触れなかった一方で、開門を命じた確定判決を無効にする方向性を示唆したといえ、今後の裁判への影響が注目されます。
諫早湾の干拓事業では、平成9年に国が堤防を閉めきったあと、漁業者が起こした裁判で開門を命じる判決が確定した一方、農業者が起こした別の裁判では開門を禁止する決定や判決が出されました。

司法の判断が相反する中、国は開門を命じた確定判決の効力をなくすよう求める裁判を起こし、去年7月、2審の福岡高等裁判所は「漁業者の漁業権はすでに消滅している」として国の訴えを認め、確定判決を事実上、無効とする判決を出し、漁業者側が上告していました。

これについて、最高裁判所第2小法廷の菅野博之裁判長は判決で、「漁業権が一度消滅しても免許が再び与えられる可能性があり、開門を求める権利は認められると理解すべきで、2審には法令違反がある」と指摘して、国の訴えを認めた2審の判決を取り消しました。

そのうえで、「長い時間が経過し事情が変わったことによって、確定判決に従わない国に制裁金を課すことが権利の乱用となっていないかなど判決を無効とする理由がないか、さらに審理を尽くすべきだ」として、福岡高裁で審理をやり直すよう命じました。

開門の是非には直接、触れませんでしたが、高裁で審理すべき争点を具体的にあげたことから、開門を命じた確定判決を無効にする方向性を示唆したといえます。

今後の裁判は和解に向けた話し合いが行われるとみられますが、13日の判決がどのような影響を与えるか注目されます。

原告の漁業者「豊かな有明海に戻して」

判決言い渡しのあと、原告の漁業者や弁護士たちは最高裁判所の正門前で、「農漁共存の和解を!」と書いた紙を掲げました。

原告の漁業者の平方宣清さん(66)は「また豊かな有明海に戻して以前のような漁業ができるようにしていきたい。今後の福岡高裁での差し戻し審では、ぜひ私たちの漁業者の訴えに耳を傾けてもらいたい」と話しました。

また、弁護団長の馬奈木昭雄弁護士は会見で「今回の問題の解決は和解以外に方法はないと考えていて、高裁では徹底した議論を求めたい。漁業者にとっても営農者にとっても、みんなが納得できる結論を得られるようにしたい」と話しました。

のり漁業者「少しほっとした」

福岡県大牟田市ののり漁業者、松藤文豪さんは「高裁でやり直しになったことで、司法も少しは漁業者の気持ちをわかってくれたと思い少しほっとした。裁判はこれからも長引くと思うが、有明海の再生には開門調査が必要なので、開門を命じた確定判決を覆さないでほしい」と話していました。

佐賀県の漁協「順当な判断」

佐賀県有明海漁協の徳永重昭組合長は「つい先ほど知ったばかりなので、コメントのしようがないが、審理をやり直すよう命じたのは順当な判断だと思う。原因がわからないことには有明海の再生もできないので開門も含め必要な調査を行っていくべきだと考える」と話しました。

営農者「すっきりしない」

長崎県諫早市の干拓地に11年前から入植している営農者の男性は、「審理のやり直しということで開門しないという主張が今後、通ることを期待したい」と話したうえで、「裁判が長引くことは根本的な解決にはならないのですっきりしない気持ちです」と話していました。

地元理事長「残念」

長崎県諫早市の干拓地の農業者で、11年前の設立時から地元の土地改良区の理事長を務めている山開博俊(71)さんは、「最高裁では、『開門しない』という判決が出て、決着がつくものと思っていました。これまで開門をめぐって振り回されてきて、さらに裁判が長引くのは残念です。開門されると農業者に大きな被害が出るので、開門しないで、漁業者と国が折り合いをつけてほしい」と話していました。

長崎県知事「驚いた」

長崎県の中村知事は、「福岡高裁の判決が取り消されやり直しが命じられたことについては、正直、驚いている。これから最高裁の判決の内容をしっかり確認したうえでコメントしたい」と述べました。

佐賀県知事「今後の審理を注視」

最高裁判所が審理をやり直すよう命じたことについて、佐賀県の山口知事は、「判決文を見ると漁業権の消滅をもって確定判決を無効とするのはおかしいとしている。これについては私も常々、現場のことをわかっていない判決だと申し上げてきていて、最高裁もそう判断したのだと思う」と述べました。

さらに、最高裁が開門の是非に直接、触れなかったことについては、「本質論である開門の是非については非常に厳しい状況に変わりはなく、苦しんでいる漁業者の気持ちをわかっていただきたい。今後の審理を注視していきたい」と述べました。

菅官房長官「適切に対応」

菅官房長官は午後の記者会見で「現在、最高裁判所の判決内容を詳細に分析しており、関係省庁において、その結果を踏まえて適切に対応したい」と述べました。

農水省「和解目指す方針変わらない」

農林水産省は「判決内容を詳細に分析し関係省庁と連携して適切に対応する」としています。

そのうえで、排水門の開門ではなく「基金による和解を目指すことが最良」という方針は変わらないとして、今後も漁業者との和解に向けた話し合いを続けていく考えを示しました。

菅野判事「特殊性など踏まえ検討を」

開門を命じた確定判決を無効にする方向性について、4人の判事のうち、裁判長を務めた菅野博之判事は補足意見を書き、考え方を解説しています。

この中で、菅野判事は、平成22年に福岡高裁が開門を命じた確定判決で、「3年を経過するまでに開門し、以後、5年間にわたって開門を継続せよ」とした主文について、「干拓事業が有明海の環境に及ぼす影響がすべて解明されたとはいえず、将来的に状況が変わる可能性があることを考慮して、開門の期間を定めた特殊な主文だ」としています。

そして、「確定判決の効力をなくすか判断するのにあたっては、こうした期間を限った特殊性を十分に踏まえて検討すべきだ。長期間がたった現在では、その後、事情が変わったかどうかや、開門を命じた確定判決の後にも積み重ねられている司法判断の内容も検討する余地がある」と指摘しました。

そのうえで、「確定判決に従わない国に制裁金を課していることが、事情が変わったことによって、権利の乱用となっていないか、判断すべきだ」として、高裁でこの争点について検討すべきだという道筋を付けています。

識者「もう一歩踏み込んで」

民法が専門で、一連の問題に詳しい横浜国立大学大学院の宮澤俊昭教授は、「開門を命じた判決の効力を失わせる場合にはこうした理由があり得るのではないかと説明していて、最高裁判所としては開門しない方向性を示したと捉えることができる」と指摘しました。

そのうえで、宮澤教授は「最高裁判所が示唆した方向で進むのであれば、司法の判断がねじれた状態は解消されるかもしれないが、それが解消されたあと、一体何が残るのかに注目すべきだ。最高裁はもう一歩踏み込んで、多様な利害を調整する政治的な解決について、何かしらの形で言及してほしかった」と話しています。

ねじれた司法判断 相反する義務負った国

開門の是非をめぐって司法の判断がねじれた状況になったのは、開門を求める漁業者と、開門に反対する農業者が、それぞれ国相手に裁判を起こし、いずれも勝訴したためです。

平成9年に堤防が閉めきられる直前から事業に反対する市民や漁業者が国を相手に事業の差し止めなどを求めていくつもの裁判を起こしました。

このうち、漁業者らが開門を求めた裁判で、平成22年に福岡高裁は1審に続いて堤防を閉めきったことと漁業被害との因果関係を認め、3年以内に開門するよう国に命じました。この判決は当時の民主党政権が上告せずに確定し、国に開門の義務が生じました。

これに対し、今度は、開門に反対する農業者らが国を相手に開門を禁止するよう仮処分を申し立てました。平成25年、長崎地裁は「開門すれば干拓地の農業に被害が出る」などと農業者側の訴えを認め国に開門を禁止する決定を出しました。

これにより、国は「開門しなければならない」という義務と、「開門してはならない」という義務の相反する2つの義務を負うことになりました。開門を求める漁業者と、開門に反対する農業者のそれぞれが、いずれも国相手に勝訴したためです。

国は、相反する義務を負ったことで、3年以内に義務づけられていた開門を先送りにします。

開門してもしなくても、どちらかの義務に違反して制裁金が課せられる状況になり、国は、開門の義務に従わず、制裁金を支払いました。

こうした状況を打開するため国が開門を命じられた平成22年の確定判決を事実上、無効にするよう求めたのが今回の裁判です。

そのうえで国は、おととし、開門しない方針を明確にしました。

国は開門しないことを前提に漁場の回復を目指す100億円規模の基金案を示しましたが和解協議は決裂しました。

去年7月、福岡高裁は「漁業者が開門を求める前提となる漁業権はすでに消滅している」として、確定判決を事実上、無効にする判決を出し、漁業者側が上告していました。

干拓事業の歴史 変遷した事業の目的

諫早湾は九州の有明海の西側にあります。

現在、干拓地にはおよそ670ヘクタールの農地があり、長崎県によりますと、35の農業法人などが、たまねぎやレタスなど、30を超える品目を生産しています。

干拓事業の構想が持ち上がったのは戦後すぐの昭和27年。しかし、その事業の目的は米作りや畑作、工業用地など変遷を重ねます。

昭和60年に防災や農業を目的とした現在の事業が動き出し、平成9年、全長7キロの潮受け堤防によって諫早湾の3分の1にあたる3550ヘクタールが閉めきられました。

しかしその後、特産の二枚貝「タイラギ」が不漁となったほか、養殖のりが色落ちし、不作となった年がありました。

このため、国は1か月ほど排水門を開ける調査を行いましたが、原因の特定には至らないまま、中長期の開門調査は行わず、事業を進めることを決めます。

納得できない漁業者らは国を相手に裁判を起こし、争われてきました。