福島第一原発事故の「オフサイトセンター」を解体 福島 大熊町

福島第一原発事故の「オフサイトセンター」を解体 福島 大熊町
東京電力福島第一原子力発電所の事故の際、現地で対策を行う本部でありながら放射性物質への防護対策などが不十分で事故の4日後には放棄された福島県にある「オフサイトセンター」の解体作業が10日から始まりました。
「オフサイトセンター」は、20年前の茨城県東海村の臨界事故を教訓に原子力施設で事故が起きた際、現地に関係者が集まって情報収集や避難の対応がスムーズに行えるように国などが全国に設置しました。

福島県大熊町の「オフサイトセンター」も平成14年に運用を開始し、8年半前の原発事故では国の対策本部が置かれました。

しかし、非常用の発電機が使えなかったほか、放射性物質が入るのを防ぐ防護対策も不十分で、室内の放射線量が上昇し、事故の4日後には放棄されて当初期待された機能を果たせませんでした。

この施設について福島県は、新しいオフサイトセンターが整備されたことや、宅地造成の要望が地元から出たことなどから解体を決め、10日から作業が始まりました。

鉄筋コンクリート2階建ての建物の中からは、当時のまま残されていた机やいすなどが運び出されていきました。

解体は来年3月には終える予定です。

福島県は、当時の対応状況を書いたホワイトボードなど貴重な資料は、建設中の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に移し、教訓を伝えるとしていますが、研究者などからは建物を残すことを求める意見もあり、今回の解体を機に改めて原発事故の教訓をどう伝えていくべきか議論になりそうです。

東日本大震災時のオフサイトセンター

福島県大熊町にあるオフサイトセンターは、同じ町内にある福島第一原発と隣町の福島第二原発でトラブルが発生した際に、国が現地対策本部を設置する施設で、震災前の平成14年から運用が始まりました。

しかし、原発からわずか5キロという至近距離に整備されたこの施設にとって、大量の放射性物質が放出されるような事故は、いわば「想定外」でした。

事故直後には非常用の発電機が使えず、3月12日未明まで停電が続いたほか、通信回線がつながらずに周辺の自治体などと連絡を取ることも困難な状況が続きました。

加えて、備蓄された食料が集まった人員に対して数日分しか用意されておらず、建物内に仮眠室も確保されていない厳しい環境でした。

さらに、空調設備には放射性物質を遮断するためのフィルターがついておらず、室内は一般の人が1年間に浴びても差し支えないとされる1ミリシーベルトに半日たらずで達するほどの高い放射線量になっていたということです。

こうしたことから対応にあたった職員らは、事故発生からわずか4日後に、およそ60キロ離れた福島市にある県庁への撤退を余儀なくされました。

原発事故 教訓の継承は?

原発事故の教訓をどう継承していくのか。

福島県は、当時の資料を収集し活用するとしています。

去年12月から、福島県から委託を受けた福島大学などの専門家が、大熊町のオフサイトセンターで当時の対応状況を記したホワイトボードなど234点を収集しました。

隣接する双葉町に建設中の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に展示する予定です。

解体が始まる4日前、NHKは福島県の許可を得てオフサイトセンターに入りました。

室内には今も、いすや机に加え、事故対応に使われたコピー機や電話、仮眠に使われていたとみられる毛布などが残され、ぎりぎりの環境で対応した当時の雰囲気がうかがえました。

ただ、県や町によりますと建物自体を「震災遺構」として残すことについては、住民から望む声が寄せられていなかったとして、議論する場などは設けられませんでした。

重要な教訓を風化させないためにどう取り組んでいくのか、オフサイトセンターの解体を機に改めて問われています。

福島県原子力安全対策課の米良淳一主幹は「国や県の想定が甘かった部分があると思う。資料的価値のあるものは、新たに整備されるアーカイブ施設を最大限活用し風化を防いでいく」と話していました。