表現の自由~立場超えて尊重を 憲法学者 井上武史さん

表現の自由~立場超えて尊重を 憲法学者 井上武史さん
愛知県の国際芸術祭で「表現の不自由」をテーマにした展示会が、脅迫によって、わずか3日で中止となった問題。この展示会に抗議した人たちのツイートには、税金を投入して行うのに、ふさわしくないとか、出展された『少女像』や『天皇のコラージュ』は政治的なもので芸術ではないという意見が多く寄せられました。こうした抗議について、関西学院大学の憲法学者、井上武史教授はどう考えたか、聞きました。

“芸術作品”と政治

井上さんは、「非常に難しいと思うんですけれど」と前置きしつつ、こう語りました。

「ある芸術作品がどのくらいの政治性を帯びているか、作者はもちろん意図しているわけですけれど、専門家や芸術家の人が『これが芸術だ』と思ったものを一応、芸術として受け取る必要はあると。そして、受け取った人は、投げられたボールをどう考えるかというのが正常なプロセスだと思うんですよね」

そのうえで、こう指摘しました。

「今回の展示内容も、1つの表現であるので、それはやっぱり表現をもって対抗すべきもので、展示の中止に追い込むべきではなかったと思います。これが作品としてどういう意味や価値を持っているのか、どういうメッセージを受け取ったのかということを、作者や見た人たちと意見交換する必要があります。もちろん良いとか悪いとか、さまざまな意見があると思いますけれど、それが芸術だと思います。今回、そういうところに行き着かなかったのが残念ですね」

電凸はどう考える?

それでいうと、今回、展示内容に対して、電話やメールで集中的に抗議するいわゆる「電凸」も、1つの表現だと、いえるのでしょうか。

井上さんにそう問うと、ある理論に似ているのではないかと言いました。

「昔、道路でデモをしていたら集まった人たちの集団心理が働いて暴徒化したことから『集団暴徒化論』という理論があり、デモや集会には一定の規制がかけられています。以前は、同じ意見をもって、みんな集まりシュプレヒコールをあげ、一体化して、抗議をしていたんですけれど、今は技術の進歩でネットで呼びかけたら集まることができるので、(電凸は)それに近い感じがします」

しかし、実際に業務に支障が出た場合、法的な対応が必要とケースもあると指摘します。

「批判をするのは自由ですが、組織や集団で行うと実際の業務妨害になるので法的にも問題があると思います。しかし、電凸のようにネット上で広がって首謀者が誰だか分からない場合は、責任の所在を特定するのが難しいかもしれませんが」

立場を超えて尊重を

最後に、井上さんは、どんなに納得できない表現であっても、抗議活動で中止させることがあってはならないと主張しました。

「今回の展示は、主に保守派からの攻撃によって表現物が除去され見られなくなったという問題が起きていますが、逆のパターンもあって、保守派の講演に対してリベラル派が反対運動をしてやめさせることも起きています。表現の市場が萎縮してしまって多様な見方が社会からなくなると、われわれの考えが浅くなる結果になります。表現の自由の基本というのは、『できるだけ社会に出す』というのが原則で、よほどのことがないかぎりとめてはいけません。お互いが逆の立場に立ち、自分の考え方と違う表現を除去することはすべきではないと、社会として認識すべき時ではないかなと思います」