長浜城跡の石垣 秀吉の時代につくられたか 滋賀

長浜城跡の石垣 秀吉の時代につくられたか 滋賀
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滋賀県長浜市の長浜城の跡で見つかった石垣の遺構が、豊臣秀吉や山内一豊が城主だったとされる時期につくられた可能性が高いことが市の調査で分かりました。長浜城は築城の時期や当時の城主について文献以外では証拠が残されておらず、専門家は「文献を裏付ける重要な成果だ」としています。
長浜城は440年余り前の天正2年ごろに豊臣秀吉が築城したあと、家臣の山内一豊などが城主となり、築城からおよそ40年後、大坂の陣に勝利した徳川家によって廃城になったとされています。

しかし、これはすべて文献に基づくもので、廃城となった際に、資材の大半が彦根城の築城に使われたことから、遺構はほとんど残されておらず、築城の時期や城主についての明確な証拠は見つかっていません。
こうした中、長浜市がことし3月から先月まで行った発掘調査で、城跡の一部から4.5メートルにわたって石垣の遺構が見つかりました。

石は大きさや種類がばらばらでくさびを使って石材を割る技法が使われていないことなどから、石垣がつくられたのは秀吉や一豊が城主だったとされる時期と推定されるということです。

長浜城の跡で時代や構造を分析できる遺構の発見は初めてだということです。

考古学が専門の滋賀県立大学の中井均教授は「秀吉や一豊が城主だったとする文献の内容を裏付ける重要な成果だ。全体像が分かっていない長浜城の構造を知る上でも大きな手がかりとなる」としています。