日航ジャンボ機墜落事故から34年 遺族など慰霊の登山

日航ジャンボ機墜落事故から34年 遺族など慰霊の登山
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520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で34年となり、墜落現場の群馬県上野村では朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

事故から12日で34年となり、上野村では朝早くから遺族などが墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を行い、亡くなった人の墓標に花を手向けたり線香を供えたりしていました。

また、墜落現場にある慰霊碑「昇魂之碑」の前で手を合わせて犠牲者を悼んでいました。

夕方にはふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、遺族などが墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうをして、空の安全を祈ります。

事故から34年がたち関係者の高齢化が進む中、事故の記憶を次の世代にどう伝えていくかが課題となっています。

親戚亡くした大学生

事故で親戚の石倉六郎さん(当時41)を亡くした茨城県の大学生の磯天成さん(19)は、両親とともに御巣鷹の尾根に登りました。

磯さんは「事故のことを知らない人も多くなり、この時期が近づかないと思い出さない人もいると思います。きょうは『事故を忘れないよう元気に登ってきました』と伝えにきました」と話していました。

機長の次男も手を合わせる

事故機の機長だった高浜雅己さん(当時49)の次男の浩二さん(48)は、息子の優人くん(9)と一緒に墓標に手を合わせました。

浩二さんは、「ことしは母がケガをして慰霊登山に来られなかったので、来年は母と一緒に来ますと墓標の前で伝えました。34年は長いようであっという間でした」と話していました。

また優人くんは「ことしに入って飛行機が好きになったので、将来はパイロットになりたいです」と話していました。

妹一家を亡くした男性

事故で妹の吉田仁美さんとその夫、それに生後3か月の子どもの一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さんは、「一家全員いなくなってしまったので、遠いところに嫁いで連絡がないような気持ちでいます。さみしい思いをしています」と話していました。

機長同僚の元航空機関士

日本航空の元航空機関士で、亡くなった機長らと同僚だった千葉県佐倉市の藤川秀男さん(84)は、「ローテーションで任務にあたっていたので自分も事故機に乗っていた可能性があった。航空安全をお守りくださいと伝えました」と話していました。