震災から9回目の夏 東北3県の海水浴場 30か所が再開

震災から9回目の夏 東北3県の海水浴場 30か所が再開
東日本大震災の発生から11日で8年5か月です。津波で岩手、宮城、福島の主な海水浴場69か所は一時すべて閉鎖されましたが、震災から9回目の夏を迎え、これまでに30か所が再開したことが分かりました。
8年前の震災では、岩手、宮城、福島の主な海水浴場69か所すべてが津波の被害を受け、砂浜が削り取られたり、地盤が沈下したりして閉鎖を余儀なくされました。

その後、徐々に再開し、NHKが3県に取材したところ、これまでに全体の4割余りに当たる30の海水浴場で遊泳が再開されたことが分かりました。

震災から9回目の夏となったことしは、宮城県気仙沼市の小泉海水浴場や岩手県釜石市鵜住居町の根浜海岸、それに福島県南相馬市の北泉海水浴場などで、9年ぶりに海開きが行われるなど、少しずつかつてのにぎわいを取り戻しています。

一方で、半数以上の海水浴場が再開できておらず、その理由として防潮堤の工事が完了していないことに加え、海の家の再建やライフセイバーの確保が難しいこと、さらに福島県では原発事故の影響で見通しが立たないことを挙げています。

海水浴場は地域の観光資源としても重要で、復興を後押しする一日も早い再開が待ち望まれています。

防潮堤建設と砂浜復旧で海開き

宮城県気仙沼市本吉町の小泉海水浴場は、震災の津波で砂浜が削り取られ閉鎖されていましたが、防潮堤の建設と砂浜の復旧工事を終え、先月20日、9年ぶりに海開きを迎えました。

震災前、環境省が選ぶ快適な海水浴場百選に選ばれ、毎年およそ5万人が訪れていた海水浴場は、再開初日から大勢の客でにぎわいました。

9年ぶりの海開きを盛り上げようと、地元の高校生や住民がイベントを企画し、出店でかき氷を販売したり、太鼓を演奏したりしました。

宮城県内陸部の栗原市から子どもと一緒に訪れた30代の女性は「震災前、毎年のように来ていた思い出の場所です。景色はすっかり変わってしまいましたが、子どもたちも喜んでくれてよかったです」と話していました。

小泉海水浴場は震災前は国内有数のサーフィンスポットとして知られ、全国大会も開かれていました。

海岸近くでサーフィンショップを営む、鈴木優美さん(52)も海水浴場の再開を待ち望んでいた一人です。

20代のころからサーフィンを始めた鈴木さんは、震災の津波で自宅を兼ねたショップを流されました。変わり果てた海岸の姿に一度は再建を諦めた鈴木さんでしたが、全国のサーフィン仲間が後押します。

避難所生活を続ける鈴木さんのもとには連日、支援物資が届き、もう一度、サーフィンができる海岸を取り戻そうと立ち上がったのです。

ほかのサーフィンショップが次々と廃業を決める中、震災のおよそ4か月後には、プレハブのショップで営業を再開。海岸のガレキ撤去も行い、海水浴場近くで小規模ながらサーフィンの大会を開いてきました。

海水浴場が再開したことで、サーフィンを楽しめる区域も広がります。鈴木さんは地域の復興につながると期待していて「震災前のように、ここで全国規模のサーフィン大会を開催できたらと思います。私たちだけでなく、若い世代にもこの海に誇りを持ってもらい、さまざまなイベントを開くなどして、みんなに親しまれる海水浴場を作りたい」と話していました。

住民主体で海水浴場守った地域も

一方、住民の力で美しい砂浜を守り、再開が待ち望まれる海水浴場もあります。同じ気仙沼市本吉町にある大谷海水浴場です。

およそ2キロにわたって白浜が広がる大谷海水浴場も環境省が選ぶ快適な海水浴場百選に選ばれ、『白砂青松』のことばにふさわしい海水浴場でした。

目の前には「日本一海水浴場に近い駅」と呼ばれたJR気仙沼線の大谷海岸駅があり、1970年代のピーク時には年間40万人以上、震災前でも宮城県内トップのおよそ6万5000人の海水浴客が訪れていました。

しかし、津波で美しい砂浜や防潮林のほとんどが失われ、行政側からは砂浜に防潮堤を建設する案が示されます。

観光の要だった海水浴場がなくなる事態に立ち上がったのが住民たちです。その一人が、津波で母親を失った三浦友幸さん(39)です。

海水浴場を守ろうと、住民で作るまちづくり検討委員会の事務局として活動してきました。

三浦さんたちは住民主体の勉強会を重ね、海水浴場を残す形でのまちづくり計画を立案。行政側とのおよそ4年にわたる交渉の末、海岸からおよそ70メートル陸側に、高さおよそ10メートルの防潮堤を兼ねた国道を建設し、海水浴場を残すことで合意したのです。

海水浴場近くには、新たに道の駅なども整備される予定で、震災から10年となる再来年の海開きを目指して工事が進められています。

現在、気仙沼市の市議会議員を務める三浦さんは「海水浴場に再び多くの人々が集まることで、地域のにぎわいを取り戻していきたい」と話しています。