住民の3分の1が犠牲の地区 語り部活動 宮城 気仙沼

住民の3分の1が犠牲の地区 語り部活動 宮城 気仙沼
東日本大震災から8年4か月となる11日、住民のおよそ3分の1が津波の犠牲になった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区で、震災の記憶を伝える語り部活動が始まりました。
気仙沼市の杉ノ下地区では、指定避難場所となっていた高台に多くの住民が避難したものの、この高台も津波に襲われ、住民のおよそ3分の1にあたる93人が犠牲になりました。

震災から8年4か月となる11日、住民は杉ノ下地区でも震災の記憶を伝える語り部の活動を始めました。
このうち、高台で夫を亡くした三浦祝子さん(74)は当時、多くの住民が高台にいれば安全だと信じすぎていたと話し「これからもいろいろな災害が起きると思います。常日頃から防災の意識を高く持ってください」と語りかけていました。

東京から来た30代の男性は「実際に被害があった場所で生の声を聞くことができてよかったです。帰ったら自分が住む場所で災害が起きたらどうするべきか考えたいと思います」と話していました。

活動のあと三浦さんは「これまで自分の体験を人前で話すことに抵抗がありましたが、今は大事な命を守るために少しでも役に立てたらいいなと思っています」と話していました。

杉ノ下地区 教訓を慰霊碑に

宮城県気仙沼市の沿岸部にある杉ノ下地区は、震災前およそ300人が暮らしていて、わかめの養殖やいちごの栽培などが盛んに行われていました。

この地区にある高さ11メートルほどの高台は、今から86年前の昭和三陸津波で浸水しなかったことなどから、市の指定避難場所になっていました。

しかし東日本大震災では15メートルを超える津波が押し寄せ、多くの住民が避難していたこの高台も浸水して76人が死亡し、17人の行方がいまも分かっていません。

犠牲者の遺族たちは悲劇を繰り返してはならないと、震災のよくとし犠牲者の名前とともに「大地が揺れたらすぐ逃げろ より遠くへ…より高台へ…」という教訓を刻んだ慰霊碑を高台に建て、今も多くの人が祈りをささげています。