大相撲 栃ノ心が大関復帰へ

大相撲 栃ノ心が大関復帰へ
大相撲の関脇 栃ノ心が、夏場所14日目の25日、横綱 鶴竜に勝って10勝目をあげ、来場所で大関に復帰することになりました。関脇に陥落した力士が1場所で大関に復帰するのは、平成17年初場所の栃東以来、14年ぶりです。
栃ノ心は、大関から関脇に陥落した今場所、10勝以上をあげれば大関に復帰することができ、10日目までに9勝をあげました。

その後、11日目から3連敗を喫したものの14日目の25日、横綱 鶴竜にはたき込みで勝って10勝目をあげ、来場所で大関に復帰することになりました。

関脇に陥落した力士が10勝以上をあげて1場所で大関に復帰するのは、現在の制度が定着した昭和44年以降5人目で、平成17年初場所の栃東以来、14年ぶりです。

栃ノ心「よかった うれしい」

来場所で大関に復帰することになった栃ノ心は「よかった、うれしいです」と笑顔で話しました。

25日の横綱 鶴竜との一番で立ち合い変化したことについては「11日目からの3連敗では、立ち合いの当たりや踏み込みが全然だった。だから、当たりにいったらまわしを取られるんじゃないかと思っていた。迷いはあったが、最後のシーンで変化することを決めた」と振り返っていました。

大関で迎える来場所については「右ひざのけがを治して、もう少し勝てるように頑張りたい」と意気込んでいました。

春日野親方「信じていた」

栃ノ心の師匠の春日野親方は「信じていた。終盤は本人の気の弱さが出たと思う。本当に苦しかったと思う。6月には部屋の合宿があるので、内容のある稽古をして自分なりにがんばることだ」と話していました。

1場所で大関復帰はわずか4人

現在の制度が定着した昭和44年以降、大関から関脇に陥落した力士は栃ノ心を除いて17人いますが、このうち10勝以上をあげて1場所で大関に復帰したのはわずか4人しかいません。

昭和51年名古屋場所の三重ノ海、平成12年初場所の貴ノ浪、平成12年秋場所の武双山、そして、平成16年名古屋場所と平成17年初場所の栃東です。

おととし春場所、関脇に陥落した琴奨菊は、9勝6敗と星1つ届かず大関復帰を果たせませんでした。

その年の九州場所に陥落した照ノ富士は、5日目に途中休場し、その後、序二段まで番付を落としました。

けがなどで調子を崩して大関から陥落した力士にとって、直後にふたけた勝利をあげることは非常に難しい条件で高い壁になっていると言えます。

重圧に勝って大関復帰

ことし3月に行われた春場所千秋楽の屈辱から2か月。栃ノ心は、日に日に増す重圧を乗り越え、最後はほっとしたような笑顔を見せて大関復帰を喜びました。

角番で臨んだ春場所の千秋楽、7勝7敗であとがない栃ノ心の相手は大関昇進がかかる貴景勝でした。事実上の大関入れ替え戦は、貴景勝に軍配が上がり、陥落が決まった栃ノ心は支度部屋で涙に暮れました。

大関復帰を目指した今場所、栃ノ心がこだわってきたのが立ち合いの踏み込みです。栃ノ心は、先場所が終わり春巡業が始まった直後から申し合いを繰り返し、立ち合いの踏み込みを意識して稽古を続けてきました。

場所中の朝稽古のあとにも「あと少しの踏み込みなんだよな」とつぶやいて、わずか数センチの踏み込みにこだわるほどでした。

迎えた今場所、初日から立ち合いの鋭さが際立ち10日目までに9勝を挙げ、大関復帰は間違いないとの見方が大勢を占めていました。

ところが、あと1勝で臨んだ11日目から一気に暗転します。

実は、10日目の夜に古傷の右ひざのみずを抜いていた栃ノ心。このあとから、足に力が入らなくなったと明かしました。

立ち合いで胸を起こされ敗れた阿炎との対戦後は、支度部屋の風呂で絶叫しました。

連敗を喫した明生との一番のあとは、「何も言えない」とうなだれました。

重圧が日に日に増していく中での戦い。13日目の朝乃山との対戦は、1度は、栃ノ心に軍配が上がったものの行司軍配差し違えでの敗戦。先場所に続いて、支度部屋で涙を拭うしぐさが見られました。

追い込まれて迎えた14日目の横綱 鶴竜との一番で、栃ノ心は、立ち合いの変化で白星をつかみました。決してほめられた相撲ではありませんが、勝ちにこだわった末の決断でした。

ぎりぎりの状況でなんとか重圧を乗り越え14日目で大関復帰を決めた栃ノ心。

最後は、「よかった、うれしいです」と2か月前の支度部屋とは違って笑顔を見せました。