ビジネス特集

“役立たず”から 豚1000頭分のワクチン

「世界でここにしかいない」という生き物が福岡県の九州大学にいます。「種の保存」だけを目的に育てられ、何の役にも立たないと思われてきました。でも、実は人や動物の命を感染症から救うかもしれないということが分かってきたのです。(福岡放送局記者 金子泰明)

正体は“カイコ”

九州大学の一角にある施設に、世界でここにしかいない生き物がいます。
これがその生き物、“カイコ”です。カイコというと、養蚕に使われることで知られていますが、九州大学で育てられているカイコは特別です。実はこのカイコ、感染症から命を守るワクチンの原料を生み出しているのです。

カイコに特定のウイルスを注入すると、体内で、ワクチンの原料になる希少なタンパク質が作られることが知られています。
黄色の部分がタンパク質(紫外線をあてています)
九州大学のカイコが普通のカイコと違うのは、1度に多くのタンパク質が採取できる点です。このため、ワクチンを効率的かつ大量に生産できるのではと期待されています。

研究とビジネスのはざまで…

この特別なカイコを見つけ出したのが九州大学の日下部宣宏教授です。

実は九州大学には、世界的にも類を見ない450種類ものカイコがいて、「種の保存」だけを目的に、人知れずおよそ100年にわたって繁殖が続けられています。
しかし、種を保存するにもお金が必要です。さらに研究費の確保にも迫られた日下部教授は、養蚕以外の目的でカイコを活用できないかと考えました。

そこで目を付けたのが、以前から知られていたカイコの特徴でした。それはカイコからワクチンの原料になる希少なタンパク質が取り出せるというものでした。

日下部教授は450種類ものカイコの中から、最も効率的に大量の希少なタンパク質を採取できるカイコを探そうと決意します。

450種類すべてを丹念に調査した結果、7年かかってようやく、希少なタンパク質を多く作り出す4種類のカイコを見つけ出すことに成功。いずれも病気に弱いなど、生糸の生産者などからは見向きもされてこなかった、いわば「役には立たない」種類のカイコでした。
しかし、日下部教授は、せっかく発見したのに、その成果を有効に活用することができずにいました。希少なタンパク質を抽出できても、研究一筋だった教授は、ワクチンを製造する製薬会社にどう売り込めばいいかなどのノウハウがなかったのです。

大学発ベンチャーが大量生産へ

そんな時、日下部教授の研究成果のことを耳にしたのが大和健太さん(51)です。

起業を志して企業を退職し、九州大学大学院で経営学を学ぶ中で、大学にはビジネスにつながる優れた研究が多く眠っていると感じていました。

そして、九州大学の特別なカイコの存在を知った大和さんは、ベンチャー企業「KAICO」を立ち上げたのです。
大和健太さん
「この大学でしかできないことをやることに、大学発ベンチャーとしてやる意義があると感じました」
日下部教授は、大和社長からビジネスへの展開を持ちかけられ、その誘いに可能性を感じたといいます。
「研究しながら、同時に自分でビジネスを展開するのは難しい。大学での研究成果を商業化し、最終的にはその利益を大学の基礎研究に回せるような、循環的なシステムをつくることが、大学発ベンチャーの使命だと思っています」(日下部教授)
「KAICO」では、これまでにカイコ1頭から、なんと豚1000頭分に使えるワクチンの開発に成功しています。

今後はヒト用でも、マラリアなどの感染症から命を守るワクチンを開発できる可能性もあるとしています。

海外からも注目

カイコを活用したビジネスには、アメリカも注目しています。

ことし2月には、アメリカへの投資を働きかけている福岡にあるアメリカ領事館から、事業内容の説明を求められました。領事館の反応は上々でした。
在福岡アメリカ領事館 ジョイ・サクライ首席領事
「大学の研究成果を実用化して、商業化を目指すのは本当にすばらしいことだと思います。アメリカで事業を展開したいということであれば、私たちもサポートしていきたい」

ワクチン 認可が課題

「KAICO」では、iPS細胞など、再生医療の研究で使う試薬の販売をすでに始めています。今後は、人や動物を感染症から守るワクチンについて、国内外で製造や販売の認可を受けられるかが課題です。

大和社長は、市場が大きいアメリカでの許可が今後のビジネス拡大の鍵を握ると見ていて、そうしたノウハウや販路を持つアメリカの製薬メーカーとの連携を模索しているということです。
大学で連綿と続けられている基礎研究は、ビジネスに結び付けることができるか否かだけで、その重要性を評価できるものではありません。ただ、ビジネスと結び付くことで、実社会で多くの命を救う道が開けることもあるのであれば、今後より一層、起業家と研究者との接点を増やすことに、産学が力を入れて取り組む意義は大きいと感じました。
福岡放送局記者

金子 泰明


平成22年入局
宇都宮局、さいたま局を経て
現在 経済を担当

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