JR福知山線脱線事故14年 追悼施設で慰霊式

JR福知山線脱線事故14年 追悼施設で慰霊式
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乗客など合わせて107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から14年の25日、追悼施設が整備された兵庫県尼崎市の現場で初めての慰霊式が行われ、JR西日本の来島達夫社長がおわびと追悼のことばを述べました。
追悼慰霊式は去年9月に事故現場に整備され「祈りの杜(いのりのもり)」と名付けられた施設で初めて行われました。

14年前の25日に起きたJR福知山線、通称、宝塚線の脱線事故ではカーブを曲がり切れなかった快速電車が線路脇のマンションに衝突して乗客と運転士合わせて107人が死亡し、562人がけがをしました。

式では、はじめに遺族やけがをした人たち、それにJR西日本の幹部など参列者が黙とうをささげました。

そしてJR西日本の来島達夫社長が「あの日、何ものにも代えがたい尊い命、夢や希望にあふれた掛けがえのない人生を奪ったことを改めて心から深くおわびします。この『祈りの杜』を事故を反省して安全を誓い続ける場として将来にわたりお守りします」と述べました。

現場では事故が起きた午前9時18分とほぼ同じ時刻に通過した快速電車が、速度を落として警笛を鳴らし、哀悼の意を表しました。

9階建てだったマンションは5階より上が取り壊されて全体が屋根で覆われました。現場の姿が大きく変わる中で、JR西日本も事故のあとに入社した社員が全体のほぼ半数を占めるようになり、事故の記憶や教訓をどのように引き継いでいくかが課題となっています。
脱線した電車の2両目に乗っていて負傷した神戸市北区の土田佐美さん(50)は「14年がたち、日常生活を送る中で、事故の事は忘れがちになりますが、慰霊式に参加して、改めてあの日を思い起こす機会になりました。事故現場で慰霊式が行われることにはいろんな意見はあると思いますが、亡くなった人の思いが集まる場で事故が起きた日に手を合わせることは意味があると思います」と話していました。
脱線した電車の2両目に乗り右足の骨を折る大けがをした兵庫県多可町の小椋聡さん(49)は「慰霊式は事故現場で行うべきだと思う。式の途中も、近くを走る電車の大きな音が聞こえてきて改めて事故の大きさを思い起こした」と話していました。
脱線した電車の3両目に乗っていて、車外に投げ出され大けがをした兵庫県伊丹市の玉置富美子さん(69)は「追悼施設での初めての慰霊式でしたが、事故現場の臨場感や切迫感というものが全くなくなっていました。けがからのリハビリでまだ苦しんでいる人は私も含め大勢いるのに、それを忘れたように感じられました」と話していました。
事故で当時、31歳だった長男の吉崇さんを亡くした菅尾美鈴さんは「事故現場を整備してもらい感謝しています。『祈りの杜』が完成して初めての慰霊式ということで、あの時のことが鮮明によみがえります。息子を失った悲しみは決して薄らぐことはなく、年とともに増してきています」と話していました。
脱線事故で当時40歳の長女を亡くした藤崎光子さん(79)は、慰霊式が行われている間、「娘の近くにいたい」との思いから用意された席には座らず、電車が衝突したマンションの近くで黙とうをして長女を悼みました。

追悼施設ができて大きく姿を変えた現場について藤崎さんは「そのまま残してほしいと訴えてきたので、周囲に高い木が植えられて外からよく見えなくなってしまったのは残念だが、遺族の集まる場所ができたのはうれしく思う」と話していました。
神戸市北区の上田弘志さん(64)は脱線事故で当時18歳だった次男の昌毅さんを亡くしました。

上田さんは「事故から14年がたっても息子のことが諦められず、気持ちの整理がつきません」と話しました。

そして慰霊式が初めて、追悼施設が整備された現場で行われたことについては「胸がざわざわして落ち着かず、電車が通る音や警笛を聞くたびに事故当時が思い出されて倒れそうになりました。とてもつらい慰霊式で、二度と現場で開催してほしくない」と話しました。

昌毅さんの弟で神戸市東灘区の上田篤史さん(29)は事故をきっかけに医療の道を志し、救急部門の看護師として働いています。

篤史さんは「年々、兄のことに思いを寄せるようになりました。命の瀬戸際にいる人たちを救えるよう最前線で頑張りたいと、きょう気持ちを新たにしたと兄に伝えたい」と話していました。
追悼慰霊式に参列した国土交通省の工藤彰三政務官は「JR西日本には社員一人一人が事故の事を胸に刻み、将来にわたり安全な鉄道の実現に取り組んでもらいたい。国土交通省としても、改めて公共交通機関の安全確保に全力で取り組んでいく」と話しました。

JR西日本社長「重大さを改めて感じ おわび」

追悼慰霊式のあと、JR西日本の来島達夫社長は「私たちが引き起こした事故で多くの方の希望ある人生を奪ってしまった、その重大さを改めて感じ、おわびを申し上げるしかない」と話しました。

また追悼施設が整備された現場で、初めて式を行ったことについては「さまざまなお気持ちがあると思うが、とても大切で意味のあることだと思う」と話しました。

同時刻に現場を通過した電車内では

事故が起きたのとほぼ同じ時刻に現場を通過する快速電車は、午前9時ごろ宝塚駅を出発しました。

車内では途中、車掌が「本日で福知山線列車事故から14年を迎えます。私たちはこの事故を心に刻み、安全運行に努め、改めてお客様から安心と信頼を頂けるよう全力を挙げて取り組んで参ります」とアナウンスしました。

そして尼崎市の現場のカーブにさしかかると、通常よりも速度を落として6秒ほど警笛を鳴らし、哀悼の意を表していました。

車内は通勤や通学の人たちで混み合っていましたが、話し声がやんで静かになり、窓からじっと外を見つめる人もいました。

千葉から来たという44歳の男性は「鉄道が好きで、事故を忘れてはならないという思いで毎年来ています。二度と事故を起こしてはいけない」と話していました。

別の事故や大震災の遺族らも献花

脱線事故の現場には別の事故や災害で家族を失った遺族なども訪れ花を手向けていました。

13年前に東京 港区のマンションで起きたエレベーターの事故で、当時16歳の長男を亡くした市川正子さんは「脱線事故の遺族から手紙が届き励まされたのがきっかけで、ほぼ毎年、この日にこの場所を訪れています。事故現場の様子はずいぶん変わってしまいましたが、事故についてこれからも語り続けていくという気持ちは、皆さん、変わりがないと思います」と話していました。

また、東日本大震災の津波で、宮城県女川町の銀行で働いていた当時25歳の長男を亡くした田村孝行さんは「現場の姿が変わったことで事故の風化が進むのではないかと心配に思いました。遺族や被害者の話を聞くことで学び取れることは多くあります。亡くなった方々の無念を思い、何をメッセージとして伝えていくべきなのか、これからも考えていきたい」と話していました。