「ルパン三世」のモンキー・パンチさん死去

漫画「ルパン三世」などの作品で知られる漫画家のモンキー・パンチさんが、今月11日、肺炎のため亡くなりました。81歳でした。
モンキー・パンチさんは、北海道東部の浜中町の出身で、地元の定時制高校を卒業後、上京しました。

そして、電気関係の専門学校に通いながら貸本専門の出版社でアルバイトとして漫画を書き、昭和40年に漫画家としてデビューしました。

その2年後、週刊漫画雑誌の創刊と同時に連載が始まった「ルパン三世」は、アメリカンコミックに影響を受けた、手足の長い独特のキャラクターと異国情緒あふれる作風で話題になりました。

昭和46年にテレビアニメが放送されて以来、映画やテレビで繰り返し作品化され、主人公のルパン三世のほか、マドンナの峰不二子やライバルの銭形警部といった個性的な登場人物たちが活躍する多彩なストーリーで幅広い人気を得ました。

モンキー・パンチさんは、60歳を超えて大学院に入り、コンピューターを使った漫画制作を学ぶなど、新しい技術に挑戦したほか、大学の客員教授などを務めて、若い制作者の育成にも力を注いでいました。

「ルパン三世」のアニメの制作会社によりますと、モンキー・パンチさんは、今月11日の夜に肺炎のため亡くなったということです。

ルパンの声 栗田貫一さん「先生に救われていました」

アニメでルパン三世の役を長年演じている栗田貫一さんは「声優経験のない自分が、先生から大切な『ルパン三世』をまかせていただき二十数年。初めてお会いした時からずっと変わらず、いつも笑顔で、優しく、穏やかで、温かく。終わりのない不安とプレッシャーの日々の中、笑顔で接してくださる先生に救われていました。『何も心配するな』…と、守られていた気持ちでした。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。

担当編集者「誠実で本当に漫画が好きな人」

「ルパン三世」を連載していた漫画雑誌の担当編集者は、亡くなったモンキー・パンチさんについて「誠実で本当に漫画が好きな人でした」とその人柄をしのびました。

東京 新宿区にある出版社、双葉社の編集者、遠藤隆一さんは「ルパン三世」を連載した漫画雑誌でモンキー・パンチさんの担当を務めていました。

遠藤さんは、モンキー・パンチさんについて「温和で誠実で怒ったところを見たことがなく、新人の編集者でも分け隔てなく接するなど優しい人でした」とその人柄をしのびました。

遠藤さんによりますと、モンキー・パンチさんはほかの漫画家に先駆けてパソコンによる作画を始めるなど、新しい技術も取り入れながら漫画に情熱を傾けていたということです。

遠藤さんは「いい意味で自分のスタイルにこだわらず、新しいものを取り入れていこうとしていました。とにかく漫画が好きで、漫画家志望の若者たちにも熱心に指導していました。本当にありがとうございましたと伝えたいです」と話していました。

出身地の北海道浜中町では

モンキー・パンチさんの出身地、北海道東部の浜中町では、代表作の「ルパン三世」による町おこしに取り組んできました。

役場近くにある通りは「ルパン三世通り」と名付けられ、主人公のルパンが描かれた看板が設置され、人気キャラクターの「峰不二子」や「次元大介」のシルエットも街路灯に飾りつけています。漫画の世界観を表現した映画館やバーといった仮想の店舗も建ち並んでいます。

町では、毎年「ルパン三世」にちなんだ催しが開かれ、町によりますとモンキー・パンチさんは生前、自分が亡くなったあとは喪に服して活動を自粛することは控えてほしいという意向を関係者に伝えていたということで、町はことしも催しを開く方向で検討しているということです。

地域活性化プロジェクトの会長で旅館業を営む栗本英彌さんは「まさかという思いです。毎年のように旅館に泊まっていただきました。謙虚で穏やかでふるさとへの思いが非常に強い方でした」と話していました。浜中町の松本博町長は「亡くなったと聞いてショックを受けています。町に大きな力を与えてくれました」と話していました。

地元の千葉 佐倉では

モンキー・パンチさんは、平成8年から千葉県佐倉市に住んでいました。佐倉市によりますと、モンキー・パンチさんは気さくな人柄で、市からのさまざまな依頼に快く応じていたということです。

平成14年には広報カレンダーの制作に協力し、「ルパン三世」のキャラクターと、佐倉市内の風景写真を自分のパソコン上で組み合わせ、まるでルパンたちが佐倉にやってきたような画像を作り上げたということです。

5年前の平成26年、市制60年を記念して、ルパン三世をデザインしたご当地ナンバープレートを企画した際にも快く承諾し、合わせて3000枚が地元で交付されてファンの話題を集めました。

また、市制60年に合わせて発行した市の広報紙に「子どもたちへのメッセージを寄せてほしい」と依頼すると、人さし指を天に突き上げた笑顔のルパンと、「夢に向って 元気に 明るく!!」とかいた直筆の色紙が、届けられたということです。

去年4月からは、地元の魅力を発信する佐倉親善大使を務めていました。

20年近くにわたってやり取りを続けてきた佐倉市の山口真宏副主幹(46)は「子どものころからルパンの大ファンだったので、カレンダーが出来たときは立場を忘れて興奮しました。先生はいつ訪ねても優しく出迎えてくれました。年齢を重ねてもなお、佐倉のために力を尽くしてくれたことに感謝の思いでいっぱいです」と話していました。

教え子「先生の講義あるので大学選んだ」

モンキー・パンチさんが教べんをとっていた兵庫県の大学では、教員や教え子たちから惜しむ声が聞かれました。

モンキー・パンチさんは、平成17年に兵庫県西宮市にある大手前大学の教授に就任し、みずから「マンガ・アニメーションコース」を新設しました。
関東の自宅から毎週、大学に足を運び、漫画家やアニメーション制作に興味を持つ学生たちに対し、講義や実技の指導を行っていたということです。
ここ数年は体調を崩していましたが、自宅と教室をテレビ電話でつないで講義を行い、終了時刻をすぎても熱心に指導を続けることもあったといいます。
大学によりますと、今月からは名誉教授に就任し、漫画教育の発展に向けて取り組んでもらおうとしていたやさきだったということです。

井澤幸三副学長は「ショックで動転している。大学に愛情を注いでいて、学生たちの人生の役に立ちたいと言っていた。思いを引き継いで学生たちが夢を持てるようなカリキュラムを作っていきたい」と話していました。

また、学生時代に指導を受け、現在、非常勤講師になった南修平さんは「漫画を描くときにはわかりやすく、おもしろく、そして新しくということを意識するようにと言っていたのが印象に残っている。フランクで優しく、新しいものをどんどん作っていこうという先生で、学んだことを引き継いでいきたい」と話していました。

テレビ電話で講義を受けたことがある4年生の女子学生は「亡くなったと聞いてびっくりした。先生の講義を受けてみたいと思ったのも、この大学を選んだ理由の1つだったので、対面でも講義を受けてみたかった」と話していました。

大学のホームページには動画も

大手前大学のホームページには、7年前の平成24年に当時、客員教授だったモンキー・パンチさんが講義を行う様子を収めた動画が載っています。

講義では、実際に「ルパン三世」を描きながら、わかりやすいキャラクターを作る大切さなどを伝えていました。

そして、漫画家を目指す学生たちに対し「漫画家は24時間が仕事。絶えずアンテナを張り、貪欲に見たもの聞いたもの触ったもの感じたものを工夫して作品に生かせるようにしてほしい」と話していました。