「二・二六事件」青年将校の遺品 千葉 野田市に寄贈

「二・二六事件」青年将校の遺品 千葉 野田市に寄贈
k10011884451_201904151446_201904151449.mp4
80年余り前、陸軍の青年将校たちが首都 東京の中枢を占拠した「二・二六事件」で、中心人物の1人だった青年将校の遺品が、襲撃を受けた当時の侍従長、鈴木貫太郎にゆかりのある千葉県野田市に寄贈されました。
寄贈されたのは、二・二六事件の中心人物の1人、安藤輝三陸軍大尉の遺品です。

安藤の次男で静岡市に住む、日出雄さん(83)と妻の梅子さん(78)が、野田市役所を訪れて、軍服や軍刀など20点余りを寄贈しました。

「二・二六事件」は昭和11年2月26日、「昭和維新」を掲げて決起した陸軍の青年将校たちが、およそ1400人を率いて東京の中枢を占拠したもので、政府の要人など9人が殺害されました。

安藤大尉の部隊は、当時の侍従長だった鈴木貫太郎の公邸を襲撃し、鈴木の頭や胸などを銃で撃ちましたが、妻のタカが「とどめだけはどうか待ってください」と必死に訴えると、安藤はとどめを刺すことなく引き上げたとされています。

命をとりとめた鈴木は、事件のあと処刑された安藤について、みずからの自伝の中で、「首領になっていたから抜き差しならん場面に追いつめられて、あのままついに実行するに至った」、「間違った思想の犠牲になったのは気の毒千万に思う」などと、若き将校の死を悼んでいます。

そして、太平洋戦争末期、敗戦の色が濃くなる中で総理大臣を務めて、戦争の終結に道筋をつけたあと、今の野田市にあった自宅で「永遠の平和」ということばを残して生涯を閉じました。

遺品を寄贈した安藤日出雄さんは「鈴木貫太郎の生涯を知れば知るほど、父の遺品を収めてもらうのは野田市しかないという気持ちになりました。これをきっかけに平和について考えてほしい」と話していました。

野田市教育委員会の笹川知樹さんは「事件から80年以上がたつ中、非常にきれいな形で遺品が維持されてきたのは奇跡に近い」と話していました。

野田市はこのあと、遺品の調査などを進め、再来年には、市内にある鈴木貫太郎記念館で公開したいとしています。