リーマンショック 日銀 危機対応の舞台裏

リーマンショック 日銀 危機対応の舞台裏
世界経済をどん底に突き落とし、国内でも「派遣切り」などの深刻な打撃を与えた2008年9月の「リーマンショック」。未曽有の危機の渦中で対応にあたった日銀が、当時の金融政策決定会合の議事録を公表した。「後手に回った」とも言われた当時の政策。議事録からは、苦渋の判断を迫られた様子がにじむ。(肩書きは当時)
(経済部記者 峯田知幸/梶原佐里)

危機渦中の激論

『尋常ならざる高い不確実性がある』《野田委員》

『まさに緊急事態』《中村委員》

『相当踏み込んだ政策対応を打ち出さざるを得なくなっている』《水野委員》

公表されたのは、2008年下半期に開かれた金融政策決定会合、11回分の議事録。1199ページに上る膨大な資料だ。
緊急対応を話し合う臨時会合の回数が4回に及ぶ、極めて異例の時期。半年分の議事録からは、想定を超えるスピードで悪化する事態に、委員たちが次第に緊迫の度合いを高めていく様子が分かる。

“後手に回る”日銀

時計の針を、2008年10月6日、7日に合わせてみる。

9月15日にリーマン・ブラザーズが破綻してから、3週間がたった頃だ。すでに世界の金融市場は大混乱に陥り、日銀は、各国の中央銀行と協調して、市場で枯渇していた「ドル」を供給する緊急措置を取っている。

一方、国内の景気判断についての発言からは、そこまでの危機感はうかがえない。経済のさまざまな動きの実績を示す「ハードデータ」には、まだ危機的な状況は見えなかったのだ。

『欧米の急速な減速に比べて日本は比較的まだ余裕がある』《亀崎委員》

『判断には輸出等のハードデータの動きをもう少しみていく必要がある』《西村副総裁》

日銀はこのとき、金融政策を維持した。しかし、直後の10月8日に欧米の6つの中央銀行が協調利下げを行ったことなどから、「日銀が後手に回った」という受け止めが市場で広がる。円高・株安に拍車がかかっていく。

4対4、薄氷の採決

そして迎えた10月31日の会合。委員からは景気の急速な悪化を懸念する声が相次ぎ、日銀は利下げに踏み切ることになる。

『我が国経済の牽引役であった輸出が長期に亘って伸び悩む可能性が高まっており、何らかの景気刺激策が必要な状況である』《中村委員》

『残念ながら日本経済においても明確に従来のメインシナリオとは不連続な下方シフトが生じたと判断せざるを得ない』《西村副総裁》

しかし、この会合は揺れた。焦点は、当時0.5%だった政策金利をどの程度、下げるかだ。「前例通り0.25%とすべき」という意見と、「0.2%にとどめるべき」という意見を中心に、8人の委員から、実に4種類の意見が出た。
『長い間、会合に出ているが、4種類の意見が出たのは初めてだ。我々が置かれている厳しい経済の情勢や、政策金利の水準が非常に低い状況の難しさも反映している』《白川総裁》

『政策金利の水準は既に極めて低い。さらなる金利引き下げを行うにあたっては、金利水準の低下が持つ金融緩和の効果と合わせて、金利の引き下げが金融市場の機能を阻害し、かえって資金の流れを悪くする可能性についても十分配慮する必要があるように思う』《山口副総裁》

『出し惜しみしているとか、みられるべきではない。我々は予想以上のダウンサイド・リスクについて、事前に防ぐために、毅然として手を打つのだという姿勢が重要だからである』《亀崎委員》

本音が飛び交う。結果、「0.2%の利下げ」を主張する議長・白川総裁の提案は、賛否が4対4と真っ二つに割れた。およそ7年半ぶりとなる利下げは、異例の「議長判断」で決まったのだ。

薄氷を踏むかのような決定。しかし、市場からは「日銀が小出しにした」と受け止められた。

2か月後の12月、日銀は追加の利下げを迫られる。白川総裁からは、中央銀行の使命と限界との狭間で揺れる、率直な本音が漏れる。
『非常に厳しい経済の情勢に対して、中央銀行としてなしえる最大限の貢献をしたい。一方で過去の経験からすると、中央銀行に対する過大な期待、あるいは過大な要請というものが出やすかったということもこれまでの幾多の歴史が示す通りである。結果として、それが後々問題を引き起こす事もなかった訳ではない。いずれにせよ、私自身は結果として日本の経済にしっかり貢献することを冷静に考えて、判断をしなくてはいけないというのが基本だと思う』《白川総裁》

当事者は

今回、当時、審議委員の1人だったキヤノングローバル戦略研究所の須田美矢子特別顧問が取材に応じた。ハードデータにあらわれない加速度的な経済の落ち込みをどうとらえ、どう手を打つのか。その厳しさを語った。
「当初は、先進国が落ち込んでもアジアなど新興国の成長力で日本の輸出も持つだろうという認識だった。しかし、金融市場の影響が“問題ない”と思われた国にも駆け巡って世界経済全体が落ち込んでいったのは想定外で、日本の輸出と生産が世界で一番大きな落ち込みになってしまった」
「実体経済と金融が“負の相乗作用”でだんだん悪化していったが、その判断もすごく難しく、どこが出発点でどう次につながったかとても悩みながら政策を決めていた」
そして、今の日銀に対して、次のように訴えた。
「何かが起こった時に、“影響を食い止める政策手段がない”と市場に受け止められてしまうと、中央銀行は、政策効果を発揮させることができない。マイナス金利の深掘りとか、長期金利をもっと下げるとか、資産買い入れを増やすというような政策は、これまでの5年余の経験であまり効果がないことが分かってしまった。日銀は、今の政策の枠組み以外でどういうことができるか、しっかり考えておく必要がある」

教訓を生かせるか

日本の景気回復は、戦後最長を更新した可能性が高いと言う。その一方で物価の伸びは鈍く、黒田総裁のもとで2013年に始まった大規模緩和は、丸6年に迫ろうとしている。

金融機関の収益低下をはじめ、副作用への懸念の声も強まってきた。海外に目を転じても、米中貿易摩擦やイギリスのEU離脱問題、中国経済の減速など、不確実さは増し、その解決に必要な国際協調の推進力は失われている。

2019年1月の記者会見で、黒田総裁は、「何かショックとか不況になった時に、伝統的なやり方で短期金利を引き下げるという形では対応する余地が狭まっている」とする一方、「非伝統的な金融政策の余地が狭まっているということではないので、政策の余地が全体として狭まっているとは思わない」と述べた。

再び経済の大きなショックが起きた時、今の日銀が、日本経済を支える防波堤の役割を十分に担えるのか。10年前の議論から得られる教訓を、忘れてはならない。
経済部記者
峯田知幸

平成21年入局
富山局、名古屋局を経て
金融業界を担当
経済部記者
梶原佐里

平成22年入局
徳島局、大阪局を経て
金融業界を担当