成田空港 不発弾のようなもの撤去 “闘争”の「飛翔弾」か

成田空港 不発弾のようなもの撤去 “闘争”の「飛翔弾」か
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13日未明、成田空港で不発弾のようなものが見つかり、滑走路2本のうち1本が3時間近くにわたって閉鎖されました。警察は、見つかったのはいわゆる「成田闘争」で過激派が使っていた「飛翔弾」とみて確認を進めています。
13日午前2時半すぎ、成田空港に2本ある滑走路のうちA滑走路の北端近くにある緑地帯で、掘削作業をしていた業者が不発弾のようなものが埋まっているのを見つけました。

この影響で、成田空港は午前5時半から午前8時20分までA滑走路を閉鎖し、警察が撤去作業に当たりました。この間、国際線1便が行き先を成田から韓国のインチョン(仁川)空港に変更しましたが、B滑走路の運用は通常どおり続けられたため、運航に大きな影響はなかったということです。

警察によりますと、埋まっていたのは長さおよそ60センチ直径およそ10センチの円筒形で、さびていたため金属製とみられ、ロケットの羽根のようなものも付いていたということです。

これは、昭和40年代から続いたいわゆる「成田闘争」が激しくなる中、過激派が空港の施設などに撃ち込んだ「飛翔弾」に特徴が似ているということで、警察が確認を進めています。

成田空港会社保安警備部の菅井理博部長は、「大きな影響もなく滑走路を再開することができた。引き続き警察の捜査に協力していきたい」と話しています。

成田闘争と「飛翔弾」

成田空港の建設は、昭和41年7月4日に閣議決定されましたが、建設を強引に進めようとする国の姿勢に地元の農家などが反発していわゆる「成田闘争」が起きました。

闘争は、全国から集まった学生や過激派も加わることで激しさを増し、土地の強制収用などをめぐって対立が深まりました。

こうした中、過激派は鉄パイプなどの底に火薬などを詰めてロケット花火のように飛ばす「飛翔弾」を空港などに向けてたびたび発射しました。

空港や警察の施設だけでなく、成田空港問題の解決を模索していた有識者の自宅なども被害を受けたほか、最近では平成20年3月、空港会社が管理する敷地に飛翔弾が落下しているのが見つかり、過激派を名乗る団体が犯行声明を出していました。

利用客「『成田闘争』 過去の話と思っていた」

空港の利用客からは驚きの声が聞かれました。旅行でベルギーに向かうという60代の男性は「東京オリンピックやパラリンピックも控えているので、本当に不発弾のようなものが見つかったとしたら困ります」と話しました。

インド洋の島国、モルディブに旅行で向かうという20代の女性は、「夏休みを利用した旅行なので、ニュースを見て驚きましたし、飛行機が予定どおり飛ぶのか、不安になりました。『成田闘争』のことは詳しく知りませんが、日本でこういうことがあるんだという気持ちです」と話していました。

さらに旅行でタイに向かうという60代の男性は、「撤去作業が済んだと聞いて安心しました。『成田闘争』は過去の話だと思っていたので驚きです」と話していました。

空港会社「捜査に協力」

成田空港会社保安警備部の菅井理博部長は「ご心配をおかけしましたが、航空機の運航に大きな影響もなく滑走路を再開することができました。警察が捜査を進めると聞いているので、引き続き協力していきたい」と話しています。