イラク派遣の日報 435日分を公表 厳しい治安情勢の実態が

イラク派遣の日報 435日分を公表 厳しい治安情勢の実態が
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保存されていないとしてきた陸上自衛隊のイラク派遣の日報が見つかった問題で、防衛省は16日夕方、これまでに確認された435日分、およそ1万5000ページの日報を公表しました。自衛隊が活動していたイラク南部のサマーワで戦闘が拡大する場面があったことなど、「戦闘」という記載が複数あり、「非戦闘地域」とされた現地の厳しい治安情勢の実態がわかります。
イラク派遣の日報をめぐって、防衛省は去年、国会などで保存されていないと説明していましたが、陸上自衛隊の日報については、これまでに合わせて7つの部署で見つかったことを明らかにしています。

防衛省は16日夕方、平成16年1月からおよそ2年半続いた派遣期間のうち、これまでに確認された435日分、合わせておよそ1万5000ページの日報を公表しました。

イラク派遣では、自衛隊が活動するのは「非戦闘地域」とされましたが、日報の内容を確認したところ、「戦闘」という言葉が複数記されていました。

このうち、平成18年1月22日の日報では、自衛隊が活動していたサマーワの治安情勢として「パトロールを始めたイギリス軍に現地の武装勢力が射撃し、戦闘が拡大」と記され、「戦闘」という言葉を使って悪化する治安情勢が報告されています。

また、平成17年8月24日の日報では、サマーワがあるムサンナ県と隣接するイラク南部のバスラ県で「多国籍軍との戦闘は停止しているが、秘密の指示による戦闘の継続も考えられる」と記され、自衛隊が多国籍軍と連絡を取り合って治安に関する情報を幅広く収集していたことがうかがえます。

このほか、日報には、部隊の宿営地やその周辺にロケット弾などが撃ち込まれた時の状況や、「爆発事案」が発生し自衛隊の車両が被害を受けた時の状況などが詳しく記されています。

日報の記述について、防衛省は、「非戦闘地域」としてきたことを覆すものではないとしていますが、その記述からは、予断を許さない現地の厳しい治安情勢の実態がわかります。

一方、イラク派遣の日報をめぐっては、見つかっていながらなぜ報告が遅れたかなど、一連の経緯について防衛省の調査チームが確認を続けています。

小野寺防衛相「法に基づいて実施の認識変わらず」

小野寺防衛大臣は日報を公表したあと記者団に対し、「戦闘という記載が、何か所かあったと確認しているが、それが実際にどのような意味合いを持つのかということは、公表された文書を見て判断し、質問してほしい」と述べました。

そのうえで記者団が、「『非戦闘地域』で活動が行われたという認識に変わりはないか」と質問したのに対し、「イラク支援法に基づいて自衛隊の活動が実施されたという認識に変わりはない」と述べました。

佐藤外務副大臣「戦闘行為ではなく散発的なもの」

陸上自衛官として平成16年のイラクへの自衛隊派遣の際に先遣隊の隊長を務めた、佐藤正久・外務副大臣はNHKの取材に対し「当時、日報には、隊員の健康状態や活動の状況を書いていた。部族どうしの小競り合いの発砲事件や、宿営地に迫撃砲が飛んできたりロケット砲がコンテナを貫通したりということもあり、特記事項として報告していた。ただ憲法9条が禁止する戦闘行為ではなく、散発的なものだったと評価している」と述べました。

そのうえで、佐藤氏は「日報は、現場で汗を流し、時には体を張ってまとめたものなのでしっかりと活用・管理してほしい。安全保障関連法で海外での活動の枠も広がり、イラク派遣の教訓は、新しい法律の中でも活用できる」と述べました。

石破氏「原則保存 不徹底は言い訳無用」

イラク派遣当時、防衛庁長官を務めていた、自民党の石破元幹事長は、記者団に対し、「原則保存すると徹底させていなかったことで、用済み後は、破棄するとか、上級指揮官に報告したらもうないということがまかり通っていたのだと思う。言い訳無用であり、場合によって、いろいろな規則を改めなければならないだろう」と述べました。

また石破氏は、日報の中に「戦闘」という文言が複数記載されていたことについて「法的な戦闘と、いわゆる『ドンパチ』が混同されている面があったのだろう。法に触れることがあったとは思っていないが、法の趣旨が徹底されていなかったということで反省点がある」と述べました。

立民 辻元国対委員長「どこに責任あるか追及」

陸上自衛隊のイラク派遣の日報問題をめぐり、去年2月に、防衛省に資料を請求していた立憲民主党の辻元国会対策委員長は16日夕方、国会内で、防衛省の担当者から、公表された日報を受け取りました。

このあと辻元氏は記者団に対し、「イラクでどういうことがあったのかを点検していきたい。1年以上たって資料が出てくること自体、シビリアンコントロール=文民統制がきいていなかった証左で、どこに責任があるのか追及していく」と述べました。

共産 小池書記局長「非戦闘地域は虚構」

共産党の小池書記局長は、記者会見で「イラク派遣での非戦闘地域というのは虚構で、日報には『戦場』の真実が書かれていた。それを隠蔽するため、これまで明らかにしなかったとしか思えない。日報を通じて『戦場』の実態はどうだったのかを明らかにしていきたい。引き続き、稲田元防衛大臣や黒江前防衛事務次官、岡部前陸上幕僚長の証人喚問を求めていく」と述べました。

公表された日報の内訳

今回公表された陸上自衛隊のイラク派遣の日報は、平成16年1月からおよそ2年半続いた派遣期間のうち、これまでに確認された435日分、合わせて1万4929ページです。

部隊ごとの内訳は、給水活動など現地の支援活動に当たった「復興支援群」の日報が370日分、現地の関係者との調整に当たった「復興業務支援隊」が26日分、部隊の後方支援に当たった「後送業務隊」が39日分となっています。

見つかった部署の内訳は、一部重複していますが、陸上幕僚監部の衛生部が381日分、陸上幕僚監部の警務管理官が154日分、陸上幕僚監部の防衛部が5日分、陸上自衛隊の研究本部が33日分、陸上自衛隊の北部方面隊が1日分、情報本部が108日分となっています。

日報 報告されるまでの経緯

陸上自衛隊でイラク派遣の日報が見つかり、報告されるまでの経緯です。

イラク派遣の日報は、去年2月16日に野党議員から防衛省に対し資料確認の要求があり、調査が始まりました。

連絡を受けた陸上自衛隊は、当日中の返答を求められ、部隊の運用を管理する陸上幕僚監部の運用支援課だけで調査を行い、「存在しない」と回答しました。

この4日後、2月20日の国会で、当時の稲田防衛大臣はイラク派遣の日報について「確認したが、見つけることはできなかった」と答弁しました。

一方、2日後の2月22日、稲田大臣は省内で行われた国会答弁の打ち合わせの際に「イラク派遣の日報は本当にないのか」と発言。
これを統合幕僚監部の幹部が再度調査を行うよう求める「指示」と受け止め、部下の職員が陸上幕僚監部などに対し、メールで連絡しました。

しかし、メールの記述があいまいで、6日前に行われた16日の調査で、日報がないことが確認された部署の問い合わせとも受け止れる内容でした。
実際、陸上幕僚監部などはこのメールに対し、16日の調査で日報がなかった部署が返答しています。

一方、イラク派遣の日報とは別に、翌月の3月17日には南スーダンのPKO部隊の日報問題を受けて特別防衛監察が始まり、陸上自衛隊のすべての部署で南スーダン関連の日報の調査が行われました。

この過程で、3月27日に研究本部の教訓課でイラク派遣の日報が見つかりましたが、教訓課の課長はすぐにこれを報告することはありませんでした。

その理由について、防衛省は、南スーダンの日報を調べていたので、イラクの日報を報告する必要があると認識していなかった可能性があるとしています。
さらに、国会で南スーダンPKOに加えて、イラク派遣の日報まで議論になっていることを認識していなかった可能性もあるとしています。

しかし、日報が見つかったのと同じ3月27日に、イラク派遣の日報について情報公開請求が行われ、研究本部はその3日後に「存在しない」と回答していたことが明らかになり、当初の理由では説明がつかない事態になっています。

その後、去年7月に南スーダンPKOの日報問題を受けて、再発防止策として、過去の海外派遣を含め陸海空の自衛隊のすべての日報を統合幕僚監部で一元的に管理することになりましたが、研究本部で見つかったイラク派遣の日報の存在がすぐに報告されることはありませんでした。

結局、研究本部に日報があるのが報告されたのはことし1月で、陸上幕僚監部の衛生部で見つかったことと合わせて、2月27日に統合幕僚監部に報告されました。

統合幕僚監部から小野寺防衛大臣に報告されたのはさらに1か月後の3月31日のことで、イラク派遣の日報の調査が始まってからおよそ1年がたっていました。

陸自のイラク派遣は2年半にわたる

陸上自衛隊のイラク派遣は、イラク戦争後の復興支援にあたるため、平成16年1月から平成18年7月にかけておよそ2年半にわたって行われました。

延べおよそ5600人の隊員がイラク南部のサマーワに派遣され、学校や道路などの施設整備のほか、給水活動や医療技術の指導などを行いました。

イラク支援法に基づき、自衛隊は「非戦闘地域」で活動するとされましたが、部隊の宿営地やその周辺に13回にわたって迫撃砲弾やロケット弾が撃ち込まれました。
また、道路脇に仕掛けられた爆発物が突然爆発して自衛隊の車両1台が被害を受け、19日間にわたって宿営地の外での活動を自粛するなど、予断を許さない治安情勢が続きました。

結果として犠牲者は出ず、隊員が発砲することもありませんでしたが、陸上自衛隊は、ひつぎを現地に持ち込んだり、家族への連絡手順を決めたりして、ひそかに最悪の事態に備えていました。