作曲家の船村徹さんが死去 「王将」や「矢切の渡し」

作曲家の船村徹さんが死去 「王将」や「矢切の渡し」
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「王将」や「矢切の渡し」などのヒット曲で知られ、文化勲章を受章した作曲家の船村徹さんが、16日、心不全のため、亡くなりました。84歳でした。
船村さんは栃木県の生まれで、独学で作曲法を学んだのちに、昭和28年に作曲家としてデビューし、春日八郎さんの「別れの一本杉」などのヒットで評価を高めました。

昭和36年には村田英雄さんの「王将」が戦後初めてのミリオンセラーとなり、作曲家としての地位を不動のものにしました。

また、昭和53年からは、ギター1本だけを携えて全国各地を回りながら曲の構想を練る「演歌巡礼」という試みを始め、「風雪ながれ旅」や「兄弟船」それに「矢切の渡し」など、男の人生や別れをテーマにした演歌のヒット曲を次々と世に送り出しました。

船村さんは日本作曲家協会や日本音楽著作権協会などで長年要職を務め、これまでに旭日中綬章や紫綬褒章などのほか、去年、文化勲章を受章しています。

家族などによりますと、文化勲章を受章したあとも作曲活動を続けたということで、16日、神奈川県藤沢市の自宅で倒れているのを家族が見つけ、その後、病院で心不全による死亡が確認されたということです。

妻「旦那様としては最低 作曲家としては最高」

船村徹さんの妻の福田佳子さん(78)が、神奈川県藤沢市で取材に応じ、「一緒になって最初のころに水ギョーザを作ってくれたことがあって、『すごくおいしい』と言ったら『週に1回作ってやるよ』と言ってくれましたが、作ってくれたのはそれが最後でした。旦那様としてはわがままで最低でしたが、作曲家・船村徹としては最高で尊敬しています」と時折笑顔も見せながら、夫婦生活の思い出を振り返っていました。

「矢切の渡し」の舞台では

船村徹さんが作曲した曲の舞台となった、江戸川を船で結ぶ「矢切の渡し」では、訪れたファンが船村さんの死を惜しんでいました。

「矢切の渡し」は、江戸川をはさんだ葛飾区柴又と千葉県松戸市矢切の間を結ぶ渡し船です。江戸時代から続き、この時期は週末を中心に観光用として往復しています。

17日は、船着き場や、柴又側の船着き場の近くにある曲の歌碑に多くのファンが訪れ、訃報に接して、船村さんの死を惜しんでいました。

東京・北区の85歳の女性は「『矢切の渡し』が好きで、歌詞を書き留めておこうと来ました。船村さんは作る曲もいいし、心優しい方で大好きだったので、ほんとうに悲しいです」と話していました。
また、横浜市から観光で訪れた70歳の男性は「船村さんの曲は私たちの年代にはしみいってくるし、カラオケでも船村さんが作った曲ばかり歌っているので、残念です」と話していました。

出身の栃木の記念館に記帳台

船村さんは栃木県塩谷町出身で、今の日光市に事務所を置いて作曲活動をしていました。

船村さんの作品や功績を紹介するため、おととし日光市の道の駅にオープンした「船村徹記念館」では、入り口に船村さんの訃報を知らせる紙が貼られるとともに、記帳台が設けられました。
船村さんが亡くなったことを知らせる新聞の号外を手にしたファンの人たちが訪れて、遺影に向かって手を合わせたり、記帳したりしていました。

宇都宮市から訪れた男性は「けさ、歌謡教室で『男の友情』を習ってきたところで、これからも船村先生の曲を歌っていきたい」と涙ながらに話していました。
「日光街道ニコニコ本陣道の駅」プロデューサーの加藤加代子さんは、「先日行われた先生の文化勲章を祝う会では元気な様子だったので、非常に残念です。これからも先生の楽曲を多くの人に伝えていきたい」と話していました。