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11月30日のニュース

汚染水放出に至った経緯は

  • 2号機
  • 3号機

汚染水の海への放出が決まるまでの経緯を、政府や国会が設置した事故調査委員会の報告書の記述などからまとめます。
発端は、事故から8日後の去年3月19日。
6号機の地下の電源設備がある部屋に汚染水が流れ込んでいるのが見つかったことから、検討が始まります。
「電源設備に被害が出ると、重大な事故に至っていない5号機と6号機にも影響が及ぶおそれがある」。
こうした危機感から、3月23日には、6号機の地下にたまっている汚染水を海に放出したいと、初めて「海洋放出」を当時の保安院に伝えています。
しかし、放射性物質の濃度が法令で定める基準より高かったため、東京電力はいったん、「海への放出は困難」と判断します。
その後、6号機につながる立て坑の水が地下に流入していることが分かり、今度は、この水の海への放出を検討しますが、こちらも濃度が高く、再び断念します。
一方、この間に重大な事態が発生します。
3月24日、3号機の地下にたまった汚染水で、作業員3人が被ばくをする事故が起きます。
原子炉から流れ出た高濃度の汚染水がタービン建屋などにたまっていたことが原因で、東京電力と国は特別チームを作り、汚染水への対策を本格化していきます。
この中で、高濃度の汚染水を放置すれば、立て坑から外に漏れ出るおそれがあるとして、移送先を確保することになり、特別チームは3月28日、別の施設にたまった比較的低い濃度の汚染水を海に放出する方針を固めます。
これに対して、4月1日、特別チームの全体会議で、「汚染水の海への放出は絶対にありえない」という強い意見が出されます。
事態が変わったのはその翌日。
最も恐れていた、高濃度の汚染水の海への流出が起きたのです。
2号機の立て坑から、ピットと呼ばれる施設を通じて、海に漏れ出ました。
この事態を受けて、翌4月3日に開かれた政府と東京電力の会議の席上、「やむをえず低い濃度の汚染水を海に放出せざるをえないかもしれないが、国民が納得できる説明が必要」という意見が出されます。
そして、4月4日朝のテレビ会議で、吉田所長が「手足を縛られたなかで頑張れと言われても、到底頑張れる状況にない」と現場の状況を訴えると、一気に海洋放出に傾き、政府内での了承、原子力安全委員会からの技術的な助言など、事務的な手続きが同時並行で進められ、原子炉等規制法の64条に基づく「危険時の措置」と判断され、海への放出が決まりました。
こうした一連の経過について、国会の事故調査委員会は「大量の汚染水の処理は当初より予測可能で、十分な検討や対策が行われていれば、海への放出を余儀なくされる事態は回避できた可能性が十分に考えられる。本店はふかん的、長期的視点から、現場を支援する役割を十分に発揮できなかった」と指摘しています。
また、関係者の理解を完全に得られないまま放出したことについても、「放出計画を適切に説明する時間的な余裕があれば、こうした事態は避けられた可能性がある」と厳しく指摘しました。

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