1985ねんがつ12にち東京とうきょうから大阪おおさかかっていた日本航空にほんこうくう飛行機ひこうき群馬県ぐんまけん上野村うえのむらやまなかちました。日本にっぽんこっ飛行機ひこうき事故じこなかでいちばんおおい520にんくなりました。

事故じこから34ねんになった12にちくなったひとたちの家族かぞくなどが上野村うえのむらやまのぼりました。家族かぞくたちは飛行機ひこうきちた場所ばしょにある石碑せきひまえくと、しずかにいのっていました。

午後ごごからは、やましたのほうにある「慰霊いれいその」で家族かぞく日本航空にほんこうくうひとなどがしきおこなって、かなしい事故じこがまたこらないようにいのりました。

事故じこ祖父そふくなった27さい男性だんせいは「むすめれて、はじめてやまのぼりました。『元気げんきそだているよ、このまもてください』という気持きもちでいのりました」とはなしていました。