「高松空襲」の被害を伝える展示会

78年前の太平洋戦争末期に、およそ1300人が亡くなった「高松空襲」の被害を伝える展示会が、高松市で開かれています。

太平洋戦争末期の昭和20年7月4日未明、アメリカ軍の空襲によって高松市中心部の市街地は、およそ80%が焼けて、1359人が亡くなりました。

「高松空襲」からことしで78年になるのを前に、高松市平和記念館では、当時の様子を描いた絵画や町並みを撮影した写真など、およそ20点が展示されています。

このうち、当時15歳だった女性の手記は、ことしの展示で新たに加わったもので、火の手が、町を一瞬で包み、家族と離ればなれになってしまったことなどが記されています。

また、当時の年表には、高松市長がお年寄りや子どもなどの疎開を提案したものの、県警幹部が「反戦思想につながる」などとして、認めなかったことなどが記され、空襲前後の出来事を知ることができます。

みずからも大阪で空襲を経験したという愛媛県の男性は「母に手を引かれながら火の中を逃げました。展示を見たとき、当時を思い出して、泣いてしまいました」と話していました。

高松市平和記念館の中條輝宗さんは「ウクライナ侵攻でも空襲の様子が報道されたが、78年前の高松で同じことが起こっていたので、展示を通して、平和について考えてほしいです」と話していました。

この展示会は、来月5日まで開かれています。