震災で被災の茨城 高萩市 小学生が避難マップで防災学ぶ
東日本大震災の地震や津波で大きな被害を受けた茨城県高萩市の小学校では、授業で6年生が災害時にどう避難するかを地図に記した避難マップを作りました。
2010年や2011年に生まれ、震災の直接の記憶を持たない子どもたちが授業を通して災害について学んでいきました。
(取材:NHK日立支局 相野台 弘 記者)
【避難マップ作りに取り組む東小学校】
(教員)
「東日本大震災3月11日です。生まれていたかな」
授業を受けているのは、高萩市の東小学校の6年生。子どもたちは2010年から2011年に生まれ、震災の記憶はありません。
そうした子どもたちに防災への意識を高め、大地震の際にスムーズに避難できるよう、小学校では去年からこの春卒業を迎える6年生たちが避難マップ作りを行い、在校生たちに残す活動をしています。
東小学校は海からおよそ300メートル、海抜2メートルのところにあり、12年前の東日本大震災の時には津波が校庭まで押し寄せました。市のハザードマップの想定でも最大で10メートルの津波が押し寄せ、学校周辺は浸水して孤立するおそれがあります。大地震が起きたら、子どもたちは小学校からおよそ2キロの高台にある高校に避難することになっています。
【震災を経験した地域の人の協力のもと マップ作り】
実際の避難に役立つマップ作りをしたい。避難マップ作りには、学校近くの地区の自主防災組織に所属する宮田哲郎さんらが子どもたちを指導、学校のまわりを実際に歩いて見て回りました。危険な場所や避難に使えそうなルートを調べていきます。
地域を回る中、避難ルートの陸橋で、宮田さんが子どもたちに話しかけました。
(自主防災組織 宮田哲郎さん)
「高萩陸橋わかりますか?震災の時、通れなかったそうです」
子どもたちは高校へ避難する際、JR常磐線にかかる高萩陸橋を通ることになっています。しかし12年前の震災直後、高萩陸橋は、地震で倒壊の危険があるとして通行できなくなっていました。
地元の人からも当時の話を聞いたところ。
(地元の人)
「私も高萩陸橋を渡ろうとしたら、完全にバリケードが張られていました」
陸橋が使えなかった場合、どうやって線路を渡って避難すればいいでしょうか。子どもたちは、宮田さんとともに、アンダーパスや歩行者のみが通ることができる踏切の場所など複数の避難経路を調べて、地図を作っていきました。
マップ作りを通して宮田さんは「1つの避難ルートだけでなくて 2つ3つの避難ルートがあるのでそれを頭の中に入れてほしい」と子どもたちに伝えました。
(授業に参加した男子児童)
「避難する場所の距離とか、時間、約何時間何分とか、細かく書いてすごいマップにしたいです」
【両親から震災当時のことを聞く】
マップ作りをするうえで、新たな宿題も出されました。自分たちが避難する時、周りが
どのような状況になっているか知るために、保護者に震災当時のことを聞くことです。
児童の一人で震災の4日後に生まれた大橋望愛さん。望愛さんもこれまで両親に震災のことを聞いたことがありませんでした。この日、望愛さんは父・龍介に震災の時の話を聞くことにしました。
(大橋望愛さん)
「東日本大震災の時、私は誰とどこにいましたか?」
(父親)
「地震のときはお母さんのおなかの中にいました」
(大橋望愛さん)
「大橋家に地震の被害は何があった?」
(父親)
「地震のときは家の屋根が落ちたりして、車のガラスが割れて大変だった」
さまざまな質問をした望愛さん。震災の4日後、自分が生まれたときのことを初めて聞きました。
(父親)
「お母さんが産気づいたときに、車がガラス割れてたんだけど、修理ができなくて、それでも病院に運ばなくちゃならない状況だった。水道とか電気が止まってる状況で、病院が受け入れてくれるかわからなくて、必死で病院の前に車を止めていた。うまれそうになったので、病院の方にすごく助けられて望愛も無事にうまれたっていうのがあったね。あの状況の中でうまれてきてくれたのは、とても感動があったよ」
そして、望愛さんの名前には、家族の生きる希望になってほしいという願いが込められていることも知りました。
(大橋望愛さん)
「身近な人から聞くと、具体的な話とかを聞かせてくれるから、どういう被害があったのか聞けて、より災害とかが怖いんだなって思いました」
【マイタイムライン作り】
マップを完成させた子どもたち。さらに大きな地震が起きたら津波に備えてどのように行動するか決めておくマイタイムラインを作成しました。望愛さんも作った避難マップをもとに避難ルートを確認。家族から聞いた震災の時の様子をもとにマイタイムラインを完成させました。
(大橋望愛さん)
「災害の時はこの東っこ安全マップの知識を使って安全に家族とか友人とかを助けてあげ られたらいいなと思います」
東小学校では完成した避難マップを使い、今後も子どもたちの防災教育を続けていくことにしています。そして、来年度以降もマップの作成を続けていき、今後は地域の人たちにも配っていくということです。