太平洋戦争末期の阿久根市の列車空襲 米軍撮影の写真見つかる

太平洋戦争末期、阿久根市で中学生などを乗せた列車がアメリカ軍の攻撃を受け、50人以上の死傷者が出る空襲がありました。
このときの様子をアメリカ軍が撮影した写真を、大分県の戦史研究家がアメリカの国立公文書館から見つけました。

写真を見つけたのは大分県の航空戦史研究家の深尾裕之さんで、アメリカの国立公文書館から入手しました。

太平洋戦争末期、アメリカ軍は交通インフラを破壊するため日本各地で鉄道を攻撃していて、阿久根市でも1945年6月26日に市民を乗せた列車が空襲を受け、中学生2人が死亡しました。

写真は、このときの状況をアメリカ軍が空中から撮影したもので、畑の間を走行する列車の先頭部分が攻撃を受けて明るく光っている様子が確認できます。

また、一緒に収蔵されていた機密文書や写真には、8両編成の1両目と4両目を爆撃したことや、攻撃した軍用機が占領したばかりの沖縄を拠点にしていること、それに、当初の作戦の目的は船への攻撃だったことなどが書かれています。

阿久根市では、この1か月前の5月13日にも列車が攻撃され、2回の攻撃で合わせて3人が死亡し、50人以上が負傷しました。

深尾さんは「地元の人たちの証言が正式な記録として裏付けられるとともに、写真を通してより悲惨さを伝えられる資料だと思います」と話しています。

戦時中の映像や写真に詳しい「豊の国宇佐市塾」の織田祐輔さんは「初めて見た資料です。場所が特定できるほど攻撃の様子がはっきりとわかる写真がアメリカ側の報告書に添付されているのは珍しく、市民の証言を裏付ける貴重な資料です」と話しています。

【空襲を体験した87歳男性の話し】

今回、1945年5月の空襲を体験した男性に話を聞くことができました。
徳田鉄美さん(87)は、小学4年生のころ、自宅のすぐ前に止まっていた列車が突然、攻撃されるのを目の当たりにしました。

(徳田鉄美さん)
「もう音が耳詰めてな、話にならんかったもんな、耳を詰めこうして見てた。松林があったんだけど低空飛行してな、機銃の弾ももうバーッて見えとったもんな。もう怖さは飛び越えてるもんな。珍しさでな」

何が起きたか気になり、家を飛び出した徳田さん。破壊された列車を見て怖くなり、家の中に戻ろうとしたとき、銃弾が襲いかかってきました。

(徳田鉄美さん)
「家に帰ってきて、ここにおったとき、2回目を撃ってきたでな。そんとき当たって、あいたって時にはもう、血でもうここがな」

右足の親指の付け根に、およそ6センチの銃弾が直撃。大量に出血し、しばらくは歩くことも難しくなりました。

この時は1人が死亡し、ひと月後の攻撃では中学生2人が亡くなりました。

徳田さんは、子どもも犠牲になる戦争の恐ろしさを身をもって感じたといいます。

(徳田鉄美さん)
「当たった痛みをわかってるからな、もう2度とね2度と戦争はあってもらいたくないかな。今の子供は幸せじゃって思うな。こういう怖さも味わっておらんしな」

徳田さんは、海外ではロシアによるウクライナ侵攻など、いまも子どもたちが戦争に巻き込まれていることに心を痛めています。

(徳田鉄美さん)
「思い出すな。テレビ見てりゃ、 こげんやったやねって言ってな、二の舞やねって。あの悲劇を見てな戦争さえなければ平和じゃったんでな。もう二度とああいうことが起こってもらわないようにな、願うだけじゃな」